今朝、4歳の子どもが保育園で
私の足にしがみついて離れませんでした

1カ月通ってやっと慣れた幼稚園を辞めて、
親の都合で突然また新しい環境に放り込まれたのですから
納得できないのも無理はありません

【私】

「幼稚園に慣れたばっかりなのに、
 また新しいところで大変だよね。
 お母さん、ひびちゃんのこと応援してるよ。
 お母さんも頑張るからひびちゃんも応援して。」

【子】
「遠くで応援しても聞こえないよ~。」
「お母さんの話をしてるんじゃないの~。」

【私】
(・・・ごもっとも(+_+) レベル1でした・・・)

4歳でも一人の人間。
納得できない、いやだ、不安だ、
いっぱいあるだろうなぁ

私は自分で納得してどんどん環境を変えているけれど
それと同時に子どもも否応なしに
新しいところにポンと投げ出されてる
私と一緒に戦ってくれてる同志なんだな。

いくら泣いてても一緒にいられないときもあるけれど
せめて、泣いているということは忘れないでおこう・・・

そんなことを考えながら電車に乗っていたら
2駅目で私の前の席が空いて座りました

ふと目の前を見ると、妊娠中のバッチをつけて
明らかに具合の悪そうな女の人が目の前に立っています

急いで席を譲り、そのままその前に立ちました
顔面蒼白でハンカチで口を押さえて顔をしかめて
・・・本当に辛そう

(そう、私も出産よりもつわりが一番辛かった・・・レベル1

でも、彼女は、バーバリーのスカートをはいて、
バッグには日経新聞を入れて、ラッシュの中通勤している
・・・頑張ってる

あぁ、みんなこんな思いをして子どもを産むんだよな

今朝泣いてた私の子どもも、そんな思いをして産んだんだ・・・

そう思ったらなんだか涙が出てきました。


もちろん子どもも生まれてしまえば独立したひとりの人間。

でも母親は妊娠しているあいだ
自分の体と心が自分のコントロールできないものになって
ある意味支配されてしまう
100%その子の存在を自分の中に感じている

自分の体の一部が離れて外で生きているようなものだから
自分と完全に切り離すのは無理だよな・・・と思いました。

ごめんなさい、だから何、というわけではないのです。
だから一緒にいてあげようとか、
いやいや別の人間だから切り離して考えようとか、
そんな結論はありません。

ただ、今朝はそんなことを感じた、という話です。。。




そういえば、全然関係ないのですが、
私のbelezzaというID、
イタリア語で「美しさ」という意味なのですが、

・・・綴りが間違ってました(>_<)

正しくはbellezzaです

事務所でたまたま
美容業界向けの「BELLEZZa」という情報誌を見つけて
綴りを見て・・・ショックΣ(゚д゚;)

URLもIDも変えられないのでこのままで行きますが
プロフィールや本文中の名前は変えることにしました

恥ずかしい((>д<))

でも、きっとこの間違いもなんかの意味があるんだろうなぁ、
なんて思ってしまう私、自分に甘いでしょうか(^ε^)

今の私に必要なことがわかりました

それは『覚悟を決める』ということです

自分を落ち着けるためだけに
確かめたり理解したり納得したりする必要は
もうないのです、きっと


できると思うことはすべてできる

できないと思うことはすべてできない


だから…

私は自立し、成功できる

私は子どもたちを育てあげることができる

私は人に役立ち、また、評価される仕事を
生み出し進めていくことができる

私は最後までやり遂げることができる

私はできるニコニコ

金曜日、コーチからセッションを受けました

コーチングは、
自分のインサイドアウトに当然必要だと思っているのですが、
さらに、自分もコーチングを受けてそのパワーを実感することは
コーチとしてとても大事なことだと毎回実感させられます。

今回一番印象に残ったのは
コーチの『リフレクション(クライアントの発言をコーチの口から伝え帰してあげる)』の中での
言葉の使い方でした。

私がクライアントとして、
自分のことを『ズルイ』と思っているという話をした時に、
コーチが
『BELLEZZAさんは、「役割」としてズルイという立場の方に立っているんですね』
と言ったのです。

この言葉を聞いただけで、
ブワーッと気付きが押し寄せてきました。

人と人ととの関係性における『対等性』の意味、
それに対する自分の捉え方の傾向、
『自分を信じる』ということ…。


コーチの中に、
確固たる軸や前提があるからこそのリフレクションだった、
と私は感じました。

コーチの生き方は、
一回のリフレクションの中にも凝縮して出るものなんだということ
そして、コーチングの効果を知るには、
自分が体験するのが一番だということを再確認しました。