週末、実家で探し物をしている時に
小学校の卒業文集を発見ビックリマーク

将来の夢は

 合格医者になる
 合格オーケストラに入る

と書いてありました。

どちらも叶っていません・・・というか
本当に私、医者になりたかったのか?!

私の記憶の中では
母が幼い私に向かって

「お医者さんなんかいいんじゃない?」

と言い続けている姿が浮かびます。
この場面は何回も思い浮かべているので、
本当の出来事だったのか
私が勝手に作り上げたものなのか
今ではよくわからなくなってしまいました。

今朝、母に聞いてみたら
「言ったことない」と言っていました。
ふーん (^~^)

それじゃあ、
今、昔の自分に戻ったとして・・・
お医者さんじゃなくて何になりたかったのかな?
今度ゆっくり静かな時間を取って
「昔の自分」とお話ししてみたいな、
と思っています。

実は、今ひとつだけなりたいものがあります。
もう少ししたらブログにも書けると思います。


 この前の日記に書いたこと・・・『100』に続くであろう『1』の積み重ねを大切にする生き方、それが『100』に続く道であり、そして『1』に見えるひとつひとつの歩みの中に、実は『100』に匹敵する学びが詰まっているのではないか・・・という部分ですが、そう思ったのは、実はパトリスジュリアンさんのブログを読んだ直後だったからでした ヘ(゚∀゚*)ノ

 1年くらいに前にも、彼の『The more I create Harmony in my home the more our World is harmonious. 「わが家に調和が生まれれば世界も調和していく」』という言葉についてブログを書いたのですが、去年1年間は、世界の調和を想いながら、『自分』『わが家』の調和を大切にしてきました。

 最近また久しぶりに彼のブログを見た時、『Each one reflects the whole.../ひとつひとつが全体をもたらす』『A grain of sand... / ひと粒の砂』という記事を見て、また自分の想いに立ち戻れた気がしました。。。
 
 日曜日は予定していた外出がなくなりぽっかりと時間ができたので、図書館で本を数冊ガーッと読んだあと同じ国立に住む友だちを誘ってご飯を食べました。
 一通りお互いの近況報告を済ませ、食後のコーヒーを飲みながら「これから何をしたい」なんて話をしているときのこと、「Miyukiさん、doppioはだめだよ!」と言われました。doppioとは英語で言うdoubleのことでイタリア語です。コーヒーを頼む時にメニューを見ながら「doppioエスプレッソのdoppioって何?」「doubleのことだよ。」なんて会話をしたのですが、そのdoppioをわざと使って彼女が私に言い放ったのです。何がダメかと言うと、私が今年の秋のイタリア語検定『3級』と『2級』を受けようとしていること。彼女曰く「まずは『3級』だけ受けなさい」と。
 コーチングなんてしていると、「ダメ」「~しなさい」という、自分の考えをバーンとぶつける言葉を聞いたり使ったりする機会があんまりなくて、まずは、なんだかそのぶつかられ方がとっても新鮮でした。そして、「2個いっぺんはだめ。いくら時間がかかっても1個ずつ。」という考え方は・・・ものすごくシンプルなフツーの考え方だけど、予想外にじわじわと私の心にしみ込んで行って、なんだか今の私にとっても大切なことのように思えてきました。
 イタリア語検定の『2級』は1年に1回しか試験がありません。だから、今年の秋に受けなければ次のチャンスは当然1年後。『今年』じゃなくて『来年』の秋だなんてなんだかものすごく遠い未来のような気がして現実味が感じられず、だから、手が届きそう(?)な『3級』と、チャレンジの『2級』を両方受けちゃえ!と思ったのです。でも、彼女に言われて気づいたのですが、たぶん私はこのままだったら両方投げ出して『3級』を受けることもしなかっただろう、ということ。受けて落ちるんじゃなくて、たぶん受けないだろうと思います。それが私のいつものパターン。でも、もし『3級』だけ、いや、背伸びせずに『4級』から受けてみたら、と考えると、意外にも、なんだかちょこっとずつでも前進していく自分の姿を想像することができました。
 たぶん、まだまだ私は『100』か『0』という二者択一の世界を生きているのだろうと思います。でも、『100』に続くであろう『1』の積み重ねを大切にする生き方、それが『100』に続く道であり、そして『1』に見えるひとつひとつの歩みの中に、実は『100』に匹敵する学びが詰まっているのではないか・・・そんなことを考えさせられた週末でした。