お久しぶりな、ユウコデス。

今日はまたうちの話になります。
ながーくなります。

我が家はあまり、親戚の方々との交流が少ない方だと思います。

その中でも、父方のいとこの家族とは、父が旅立ってからの方が、交流が増えました。
 
父の姉に当たる、私の伯母の娘たちになるんだけど、私とは20歳以上離れてます。
(現在60代)

伯母夫妻は、南米のペルーに長年赴任していたので、私は生涯のうちで、伯母に会ったのも数回でした。
(伯父も伯母も、今はすでに他界しております)
 

従姉は、二人いて、
一人は、長年、私の地元の市内に居て、
一人は、家族とともにシンガポールに住んでいて、
そのシンガポール在住の従姉とは、これまた生涯で数回しか会ったことがなく。
 
 
地元に住んでいるいとこのRちゃんとは、まぁ、つながりがまだある方でした。

(うちの父は何かとRちゃんを頼っていたので、良く会っていたようだったし
シゲルおじちゃまと、呼ばれて慕われていました。おじちゃまってなんかいいですよね。
祖母のことも、おばあちゃまと呼んでたなぁ)
 
 
父が旅立った時に、
そのRちゃん、
大きなまくら花をすぐに持って来てくれたり、
亡くなった直後に放心状態だったジェリー家(私の苗字の仮名)に、
高級お寿司を、大きな桶で持って来てくれたり、
一般常識がないジェリー家に、
いろいろとお葬式にともなうことを教えてくれたりして、
Rちゃんの心遣いが素晴らしいと思っていました。
 
 
Rちゃんの娘たちが、私と同じよう世代なので、
一番上の娘(Tちゃん)は、
学生時代、同じ学園で、
私が高校一年生で、相手が中学一年生で、
 
「おい!ユウコチャン。」
 
と、学園内ですれ違って声をかけられる感じで、
どうも、勇ましいというか、年上の私の方が縮こまるというかニヒヒ笑い泣き
 
Rちゃんは、幼い頃から、伯母夫妻の赴任先の、海外にずっといたので、
もうね、半分ぐらい外国人って感じ。
Rちゃん姉妹の会話は、
半分英語半分茨城弁って感じで笑えますウシシ
 
 
んで、
 
シゲルおじちゃまには、生前ほんと、いろいろとご馳走になったからさ、
ユウコチャンにも、ご馳走したいわけよ
って言ってくれていて、
 
ここ数回、食事に誘われて、お会いしてます。
 
その、Rちゃんの、妹のKちゃんが、シンガポールから来てる時に、誘ってもらいます。
 
今回は、Rちゃん・Kちゃんが毎回来るという「巨匠」に誘ってもらいました。
 
鉄板焼きのお店です。

 
Rちゃんの娘の、
(おい!ユウコチャンと、呼んでいた)
Tちゃんがまとめてくれました。
 
お店に着くと、いきなり、
 
巨匠コース頼んであっから、ユウコチャン、
それとも、なんか他の食べっけぇ?
 
と、言われて、
 
(茨城弁がわからない方のために説明しますと、
 
巨匠コース頼んであるのだけど、ユウコチャン、どうする?
それとも、なにか、他のもの食べる?食べたいなら頼んでいいよ
 
と、なります。照れ照れ
 
 
巨匠コースとは、そのお店の一番高いコース。
 
っていうか、あたし、そんな一番高いコースなんて食べたことないわポーン
メニューじっくり見せてほしい気もするけど、
 
「じゃ、同じで!!」
と、すぐ言いました。
 
ユウコチャンフォアグラたべっけ?
やっぱ、ふぉあぐらだっぺよ。
アワビも食うでしょ?
 
と、ガンガン言われながら
Rちゃんご家族の食のこだわりを、会話の中からくみ取ってました。
(相当、世界中、日本中いろんなところで美味しい物を食べている様子)
 
(ほぼ、マシンガントークで、がーがーがーと言葉が途切れません)
 
以前の私なら、黙ってうんうんと何も発さずいたんだけど、
最近は、そのマシンガントークに入り込むまでに、コミュニケーション力も上達しましたグッド!


鉄板焼きの写真の一部をちらり

アワビちゃん
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常陸牛ステーキ
はい、ファイヤー

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今回、シンガポール在のKちゃんが、ちょっと話してくれたことが、
私の中に染み込みました。
 
幼い頃、伯父の赴任先のマレーシアから帰国後、
ある県の田舎の山の中に引っ越したそうです。
(伯父は地質学者でした)
Kちゃんは、小学校低学年だったのだけど、
日本語が話せなくて、
補講に通えと言われて、
住んでいた山から、下の街に行かなくてはいけなかったのだけど、
下の街の子供たちからしてみると、英語しか話せない帰国子女が珍しくて、
ものすごくバカにされたそうです。

(昭和30年代後半当時としては珍しかったのでしょうね)
 
石を投げられたり、英語話してみろよと、いろいろからかわれたそうです。
 
それがとっても嫌で、補講に行きたくなくて、
押し入れに隠れたのよ、大変だったのよ。

と、
当時の話を話していたKちゃん。
 
私から見たら、
帰国子女で、いろんな国に行ってて、
今もシンガポールにずっと住んでいて、
姉妹でものすごく仲良しで、
超~~~うらやましいって思っていたんだけど、
 
やっぱり、その人によって、周りの人にはわからない苦労もしてきたんだなって
いうのが、昨日のその話で、わかりました。
 
押し入れに隠れれるとか、
嫌なものは嫌!って言うのって
あれ、あたしの幼い頃と、似ているんじゃね?照れって思いました。
 
 
いとこの家族と過ごしてみて、
気が付いたことは、
 
我がジェリー家と全く違うってこと。
 
同じ祖父母から発生してきたとはいえ、
そこに、別の家族のエッセンスが加わると、こうも違うんだなっていうか、
 
我がジェリー家は、
何か、(たとえば)私が発すると、否定から始まる。
私の話を聞く前から否定する。
私の意見を言えば、つぶすようなことを言う。
私が元気よく、大きな声を出すと、ものすごく怒られる、あんたは狂っているのか?と、言われる。
全てにおいて、ネガティヴから発生している。
 
かたや、いとこRちゃんのご家族は、
大声で話しても、皆、受け止めているし、
なにか、発言しても、肯定しているし、
それは、○○の個性だからね~的に、
皆、認めてくれている。
 
勿論、私が、なにを発言してもにこにこしてくれている。
「またバカなこと言って、何言ってるんだろうか?」って話をおることなんてしない。
 
 
私は、いつも否定されてきたから、
発言するのも怖くなっていたんだよね。
周りにどう思われるか?いつも気にしてました。
 
また否定されるんでしょ?って。
(まぁ、否定してきているのは、母なのですが)
 
でもね、
自分の事、何、発言してもいいんだよね。

否定されるからって、自分らしさ出さずにいたけど、自分らしく何話してもいいんだよね。

自分で何を思っていてもいいんだよね。

だって、それが自分なんだもん。
 
それが気づけました。
 
家に帰ってから、お礼のLINEを、 
いとこの娘のTちゃんに送ると、
 
私の事を察してくれたんだろうな。
 
「ユウコチャンは、いつでもウェルカムだから、
日曜日とかで暇してたら、いつでもおいでね~!」
 
って。
 
またまた号泣えーん笑い泣きえーん笑い泣き
最近、号泣率高し・・・
 
 
 今日もお付き合い頂き
ありがとうございます😊😊😊