心理学も好きで学ぶのですが、足裏の汗が多い方って、自分自身の存在に自信がない。
居場所がないと感じてる。今この瞬間ではなく、意識が別のところに行ってしまっているのだそう。

先日、とあるトラウマ改善セッション(なんと、お試し15分で3千円でした!)を受けさせていただきまして、色々と気付きをいただきました。
(内容はカウンセリングというよりエネルギーワークでした)


“自分自身の存在”に、私、自信がなかったんです。
それはなぜかと遡ると、昔、まだ私が小さい頃に、母親が私を身籠った時、父があまりそのことを喜ばなかった。という事実を聞かされたことにあると気が付きました。

金銭的に苦しかったので、父は私の生命が宿った喜びより、お金の心配をしていたそうです。
ですが、それはあくまで母親の捉え方の話であって、実際はどうだったのか、それは父本人にしかわかりません。

大きくなってから、父親と話す機会がふえ、父が貧しい環境のなかで、1日1個のパンひとつで力仕事をこなし、家族を養ってくれていたことを知りました。 

その後、色々とあり、家から出てけと言われ、本当に放り出されたこともありましたが、今は父もそのことを深く後悔していて、なにかあれば一番力になってくれ、味方をしてくれるようになりました。


母親がなぜ、幼い私に“父親があなたの存在を喜ばなかった”と伝えたのか。

それは、母親自身が自分の母親から愛されなかったことへの軋轢と、愛する父親が早くに他界して、自分は淋しい思いをした。だから、ちゃんと父親がいる私の存在が羨ましい。そんな嫉妬心からだったのかもしれません。

よく母は、“あんたは父親がいるだけで幸せなんだからね”と言っていました。父親と仲良くしていると母が嫉妬して機嫌が悪くなり、父も私も自然と気を使うようになり、そうやって余計に父と私との関係は遠のいていきました。(※いまはお互いに和解しています。)


毒親とか、言いたくはないですが、父も母も憎んで憎んで大変だった時期もありました。けれど、憎しみって癒しの第二段階くらいで、絶対に通過する道だと思うんです。

愛してもらえなかったという気付き(ここを受け入れることが一番辛かったかもしれません)から悲しみへ、そして、憎しみ。

憎しみのなか、自立への道を歩んでいくと、徐々に親の気持ちを少なからず理解できるようになって、あぁ、親は神様ではない、ひとりの不完全な人間なのだ。
と思える時が来て、少しずつ、少しずつ、感謝や許しの気持ちが湧いてきたりしました。

親のことで辛いと感じている方は、親を全知全能の存在ではなく、まったくの赤の他人だと一度でもいいから思ってみるといいのかもしれません。 

赤の他人が今日もご飯を作ってくれた、赤の他人が自分の部屋をひとつ与えてくれてる、赤の他人が自分のことを心配してなんだか色々と言ってくる。
 

赤の他人様だと思って、少しずつひとり立ちを目指しつつ頑張っていると、段々と親を俯瞰して見ることができるようになって、なにより、自分自身が生きることが楽になるのかもしれません。