わがままカウンセラーの「おもしろき こともなき世を おもしろく」

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岡山の温泉で、お年寄りが行方不明になったというニュースを読んだ。

早く見つかるといいのだが。

 

行方不明になられた方は「自分の名前は答えられるが、住所は答えることができない」とニュースには書かれていた。

 

僕もぼちぼちそのあたりの心配をしなければいけない歳に近づいてきたのだが、身内で気になる人がおられたら、下記の簡易認知テストを試されるのもいいのではないかと思う。

 

認知症 連想テスト

 

質問        回答
「かわいい犬」 → 散歩 ◎

        → トイプードル ○

        → かわいい猫 △

        → 小さい犬 ▲

        → え~~っと ▲▲

        → かわいい犬 ×

        → 言葉が出てこない ××

 

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目標設定について。

 

まず第一に簡単な目標は、達成した満足度は大したものではない。
けれど、困難な目標は、達成した時の満足度は言葉に表せないくらい大きい。

また、困難な目標にチャレンジして失敗してもショックは少ないし、世間からの評価はそんなに下がらないが、簡単な目標に失敗するとショックが大きい。

さて、アトキンソン達は次のような実験を行った。

輪投げゲームである。


実験参加者は的から1フィートから15フィートまで、フィートごとに引かれた線の好きな場所から10回輪投げをする。

なお投げる都度、場所を変更してよい。

そして、得点は的から近いほど低く、遠いほど高い。

このゲームの結果では、目標達成に意欲を持つ人は「中間の距離から投げる」という事がわかった。

逆に達成意欲が低く、失敗してもしょうがないというタイプの人は、「失敗しそうにない近い距離」か「かなり難しいと思われる遠い距離」のどちらかを選択した。


つまり、簡単に出来る場所、もしくは失敗したところで言い訳ができる場所を選んだのである。

 

回避依存の問題はここにある。

 

失敗してもプライドが傷つかないチャレンジをやるワケだ。

 

これを知らず、そういう男性に惹かれる女性が昔は少なくなかった(今はどうか知らんけど)。

結論

目標を達成しようとする人は、可能性のある範囲の中での難しい位置を選ぶ。

つまり、達成しようとして達成するのである。

 

(ちなみに、僕は若いころは「失敗したところで言い訳ができる難しい場所」を選ぶタイプだったような気がする ぐすん )

 

 

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「半年後に迫った受験が心配で、心も体も不調になっちゃったんですけど ぐすん 」

「なるほど。不合格を恐れて調子が悪くなったんですね ニコニコ

「ええ、夜なんかも不安で眠れないことがちょくちょくあって」

「ほう…、不安で眠れない…」

「このままじゃ、受かる大学も落ちてしまいそうな気がして」

「落ちてしまいそうな気がするわけですね」

「ええ。この不調、治りますかね」

「治るかどうか心配ということですか」

不満

 

「治りますか? 治りませんか?」

「カウンセリングを続けるうちに、あなたの心の中の自然治癒力があらわれるということもあります」

「よかった~。どれくらい続ければ?」

「人によって違うのではっきりとは言えませんが、一般的には1~2年も続ければ…」

「試験、半年後なんですけどっ! 落ちちゃうじゃないですか 大泣き 」

「なるほど。不合格を恐れて調子が悪くなったんですね ニコニコ 」

 

 

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昨日、AIベンチャーのライフプロンプト(東京)の分析によると、今年実施された東大と京大の入学試験問題を「チャットGPT」に解かせると、合格者の最高得点を上回り首席で合格だったそうだ。

なんと最難関の東大理科3類(医学部系)の最高点より50点高く、数学は満点。



以前、このブログで僕は「単に受験だけなら、学校よりもAIで学んだ方が効率的だ」と書いたが、いよいよそれが実証されてきた感がある。

今、AIは教育のあり方を「一斉教授」から「個別最適化」へと劇的に変化させている。

なんと言ってもAIは、一人ひとりの理解度や苦手分野をリアルタイムで分析し、その子に最適な問題や解説を提供することが可能だ。

また「こんなことを聞いたら恥ずかしい」という人間相手の遠慮(特に我々日本人はこれが高い)が必要ないため、わからないことを何度でも、納得いくまで問い直せるという心理的なハードルの低さがAIの利点だ。

もっともよいことばかりではない。

使い方によってはレポートや課題をAIに丸投げすることで、自ら問いを立て、試行錯誤して答えを導き出すプロセスが損なわれるという、思考力の低下のリスクがある。

またAIが提示する情報を鵜呑みにするという過度な依存や、自分に都合の良い回答ばかりを求めてしまうことで、認知の偏りが強まるという確証バイアスの問題もある。

そして一番の問題は社会性や人間関係のスキルの低下だ。

ユーザーを否定せず、常に理想的な反応を返す「摩擦ゼロ」のAIにどっぷりと嵌り、現実の対人関係(非言語・空気・距離感)の学習機会が減ってしまうと、どうなるか。 

ジョナサン・ハイト氏は2026年4月25日の日本経済新聞でこう述べている。(以下引用文)

「子どもの成長には何百万回でも困難なことに取り組む経験が不可欠だ。気まずい沈黙が流れても自分から会話の口火を切るような経験が必要だ。自分の力で道を模索しながら進んでいく経験こそ、人間力を身につけるための糧となる」

「いまは誰もが常に生成AIを利用できる環境にある。子どもたちはあえて困難な体験をする必要性を感じなくなり、結果的に人間として成長する機会を失ってしまう」

 

摩擦」こそが人間の成長に必要なのだ。

そして「依存」こそが人間の大敵なのだ。

だからやっぱり学校の必要性っていうのは有るんだよね。

 

この問題については、5月のカウンセラー講座でもう少し詳しくは無そうと思う。 

 

 

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4月25日に一宮市児童育成連絡協議会の子ども会の指導者研修会において、

「~絆をつなぐ子ども会活動~親が伸びれば子どもも伸びる

をテーマとした講演をさせていただきました。

 

 

 

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小さいころ、よく本を読まされた。

 

親は「良いことをしたら報われる物語」を読ませたつもりなのだろう。

 

しかし、子ども心にいつも不思議を感じていた。

 

例えば白雪姫。

 

鏡の答えに怒った継母は、猟師に命じて姫を殺害しようとしたが、彼はかわいそうに思い白雪姫を森に置き去りにして命を助け、代わりにイノシシの肝を証拠として持ち帰った(絵本には書いてなかったが、継母はそれを大喜びで食べたらしい)。

 

女の子の肝とイノシシの肝。

見分けがつかんやろと考えた猟師も猟師やけど、それがわからんレベルの頭脳のお妃なんか?

 

またそのレベルのお妃の変装にだまされて、首を紐で締められる白雪姫って…。

 

しかもその後、今度は毒櫛を刺される。

 

七人の小人は小人で、2度も殺人未遂があったのに警備体制強化なし。

危機管理能力が全くない。

 

そして白雪姫は毎回「知らない人を家に入れるな」と小人に言われているにも拘わらず、結局毒リンゴ食べてバタンキュー。

 

こっちも学習能力はどうなってるんだ?

 

そこへ持ってきて、偶然通りがかった王子はガラスの箱に入った白雪姫を見て
「美しいから欲しい!」

 

…おかしいやろ、王子。

大丈夫か? あんたの国…。

 

しかも家来まで、白雪姫を入れたガラスの棺を落とす大間抜け

 

まあそれで蘇生したから結果オーライだけど、っていうことは七人の小人は白雪姫が死んでいないのに棺に入れたってことやろ?

しかし、これは「シンデレラ」もそうなんだけど、どちらの物語も外見で価値が決まる(王子が妻に選ぶ)」という内容になっている。

 

つまり

・美しければ勝つ

・若ければ勝つ

・王子に選ばれれば勝つ

という超・外見主義。

 

しかも両方とも、選ばれる側はほぼ何もしていない

 

白雪姫 ⇒ 寝てるだけ
シンデレラ ⇒ 踊るだけ

 

努力物語ですらない。ぐすん

 

僕がこうして努力をしない生き方になったのは、これらの教訓があったからかもしれない。

 

 

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たまにこういう質問を受けることがある。

 

「自分の知り合いで、人の気持ちを『察する』のがどう見ても苦手そうなのに、『わたしはHSPだ』と言っている人がいるのだが、これはどういうワケなのだろう?」

 

確かにちょいちょいある話だ。

 

そもそもHSPというのは『感受性が非常に高く、繊細で感性豊かな気質を持つ人』に対して心理学者のエレイン・アーロンが提唱したネーミングであって医学的用語ではない(これはアダルトチルドレンも同様だが)。

 

ここで問題となるのは、『察する』というのは『人の気持ちを推論する』ということであり、その推論が合っていようが違っていようが、本人は推論したことを「察した」と思っていたなら、それは察したこととなってしまうということだ。

 

しかも『推論』と一言で言っても、いろいろある。

 

例えば下図1。

 

「Aかな?

でもBという可能性もあるぞ?

ひょっとしたらCかもしれない」

という推論。

 

またこういうパターンもあるだろう。

 

 

 

「Aになるかもしれない。

そうなったら次はa2になるんじゃないか?

だとすると結果a3となるだろう」

 

最初の図が「幅広く推論する」というパターンだとしたら、2番目の図は「幅は狭いが、奥深く推論する」というパターンだ。

 

そしてASDの場合は、2番目の図の推論が多いと考えてみるとわかりやすいだろう。

 

総合的に考えるとこうなる。

 

ということは、(傍から見ると「ASDだけど、本人はHSPだと言っている人」は)確かに推論はするものの、その幅が狭くて、しかも当たっていない場合は単に「思い込みが強い人」となりかねない。

 

ところで、一般的なコミュニケーションの場面では、無意識下で自動的に行う「オンライン推論」というのが行われているのだが、ASDの特徴として例えば「知っている」とか「愛する」とか「嫌い」とか「感じる」などの精神状態動詞が含まれる文脈を、正確に読み取ることができにくいという問題がある。

 

これと、上記の推論の幅の狭さが重なるとどうなるか。

 

ASDだけど、本人はHSPだと言っている人においては、

『確かに感受性が高く、繊細で感性豊かな気質を持っていて悩みやすいんだけど、その推論が幅が狭くしかもハズレが多いから、結局人の気持ちに立って考えることが出来ないと他人からは思われる』

となってしまうのではないだろうか。

 

これについては他にもいろいろと考え方があるのだが、長くなってしまったので今日はここまで。

 

 

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なかなか拓郎コンサートの興奮が冷めやらないので、ここでもう一つ。


「人生を語らず」(作詞作曲 吉田拓郎 https://www.uta-net.com/song/13139/ )という曲がある。

今はまだまだ人生を語らず」と拓郎は唄っているのだが、カウンセリングでは「やりたいことがない」とか「夢は持っていない」、深刻なケースでは「本当はもう死んでしまいたい」というクライアントの言葉を聴くことも少なくない。

 

悲観的な話としては、「やりたいこと」について、フランスの文学者ラ・ロシュフコーはこう言っている。
「現在自分のやりたいことがしっかりとわかっていないのに、将来やりたくなることがどうして請け合えよう」

 

ちょっとわかりにくいな。とくに「請け合えよう」ってところが。

原語ではこうなっている。
「On ne peut répondre de ce qu’on voudra dans l’avenir, quand on ne sait pas bien ce qu’on veut présentement.」

 

今の時代なら

「現在自分のやりたいことがしっかりとわかっていないのに、将来何を望むかについて責任を持って言うことはできない」
と訳した方がいいような気がする。


つまり「現在の自己認識の不確かさが、未来予測の不確かさを生む」という意味を皮肉っぽく言った言葉だ。

確かに一理あるが、サイバネティクス的に考えると、現在の自己認識が不確かで、責任を持つとまではいかなくとも
-------------------
適当にやってみた
 ↓
(修正しながら)やったら出来た
 ↓ 
出来たら面白くなった
 ↓
もっとやってみる気になった
------------------------
ということも有り得る。

現在の自分が「何をしたいか」を分からなくても、「どう在りたいか」というメタポジションは持てる。
となるとWish(やりたい)やDoing(どうやるか)は分からなくても、在り方(Being)を定めることで、未来の方向性を持たせることができるはずだ。


その上、可能性伸びしろの存在を前提とすると、ロシュフコーの言うところの「将来したくなることへの請け負いが不可能」というのは変わってこないだろうか?

 

例えばフランクルは

-------------------------
大事なのは、未来で貴方を待っているモノ
貴方に発見されるのを待っているモノ
そして貴方によって表されるのを待っているモノ

-----------------------
と言った。

(このあたりについては本でいろいろと書いているので、よかったらアマゾンで買ってね。↓

 https://npo-jisedai.org/book.html

 

この言葉は僕の座右の銘である。

 

となると「わからないから言わない」のではなく、「わからないからこそ、仮のゴールを設定して脳を動かす」必要があるとなるのだが。

 

そしてもう一つの座右の銘が高杉晋作の

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

 

これこそBeingの代表例。

 

ラ・ロシュフコーの理論には、「可能性」や「伸びしろ」の概念があまり入っていない。

 

となると幾つになっても、やっぱり拓郎の「今はまだまだ人生を語らず」なのだ!

 

 

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心理カウンセリングに役立つ本です。↓

 


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いや~、行ってきました、吉田拓郎コンサート。

なんと1階の7列目で拓郎の表情までもが見える抜群の席!(日頃の行いが悪くてもラッキーというものはあるという良い例だ)

そしてなんとオープニングからいきなり「春だったね」が始まり、客席は総立ち(ただ、3曲くらいが終わって静かな曲に移るとみんなすぐに座る。殆どが高齢者だからな~ ぐすん )。

昔の名曲を沢山歌ってくれて、本当にうれしかった。
もう「人生を語らず」なんて、なんか涙が出てきたもんなぁ。

僕も「今はまだまだ人生を語らず」、と今まで生きてきたつもりだが、実際のところは「語らなかった」のか「語れなかった」のか……。

唄だけではなく、拓郎はコンサートでは今までの出来事や思いをいろいろと語っていたのだが、これが丁度今月はカウンセラー講座で「自己肯定感」について哲学も混ぜてやっていたので、なんか凄く自分の中で当て嵌まることが多かった。

ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

「自分の生を、誰の名義で引き受けているのか?」

と問いかけた。

わかりやすく言うと、こういうことだ。

 

なぜ「強いられた」と感じるのか。

それは、「選択すると自分が選んだ責任」が発生するから。

なぜ「断れず引き受けた」と思うのか。

そう思わないと、自分の弱さや恐れを直視する必要がある から。

だからそれらを避けるために 「強いられた」という形にする。

人間には「安全」「安心」「みんなと一緒」「摩擦の無い状態」を求める傾向がある。

そして
傷つかない 
争わない 
波風を立てない 
みんなと同じ 
を選択する。

でもニーチェはそれを「 群畜達の緑の牧場の幸福」と言う。

そして彼は問いかける。
「それはぱっと見ると良いことに見えるけど、その代わりに何を失っている?」と…。

僕は常々、自己肯定感っていうのは「それがどうした!」って言えることだと言っている。

こういう僕の考え方には、高校時代から半世紀以上も聴き続けている吉田拓郎の唄が少なからず影響していると思う。

 

 

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吉田拓郎のコンサートに舞い上がっているのはよいが、よく考えたら一宮市児童育成連絡協議会の子ども会指導者代表研修会の講演が、もう来週に迫っていることに気が付いた。

今回は講演参加者が500名くらいと聞いているので、ワークをはさむわけにはいかないのだが、とにかく皆さんの役に立つ話をしないと…。

コンサートを観に行ったあとで、もう一度内容のチェックをしよっと。

タイトルは「~絆をつなぐ子ども会活動~ 親が伸びれば子どもも伸びる」

 

そうなんだよね。

三角の大人のもとで、丸い子は育たない。

 

 

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