なかなか拓郎コンサートの興奮が冷めやらないので、ここでもう一つ。
「人生を語らず」(作詞作曲 吉田拓郎 https://www.uta-net.com/song/13139/ )という曲がある。
「今はまだまだ人生を語らず」と拓郎は唄っているのだが、カウンセリングでは「やりたいことがない」とか「夢は持っていない」、深刻なケースでは「本当はもう死んでしまいたい」というクライアントの言葉を聴くことも少なくない。
悲観的な話としては、「やりたいこと」について、フランスの文学者ラ・ロシュフコーはこう言っている。
「現在自分のやりたいことがしっかりとわかっていないのに、将来やりたくなることがどうして請け合えよう」
ちょっとわかりにくいな。とくに「請け合えよう」ってところが。
原語ではこうなっている。
「On ne peut répondre de ce qu’on voudra dans l’avenir, quand on ne sait pas bien ce qu’on veut présentement.」
今の時代なら
「現在自分のやりたいことがしっかりとわかっていないのに、将来何を望むかについて責任を持って言うことはできない」
と訳した方がいいような気がする。
つまり「現在の自己認識の不確かさが、未来予測の不確かさを生む」という意味を皮肉っぽく言った言葉だ。
確かに一理あるが、サイバネティクス的に考えると、現在の自己認識が不確かで、責任を持つとまではいかなくとも
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適当にやってみた
↓
(修正しながら)やったら出来た
↓
出来たら面白くなった
↓
もっとやってみる気になった
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ということも有り得る。
現在の自分が「何をしたいか」を分からなくても、「どう在りたいか」というメタポジションは持てる。
となるとWish(やりたい)やDoing(どうやるか)は分からなくても、在り方(Being)を定めることで、未来の方向性を持たせることができるはずだ。
その上、可能性や伸びしろの存在を前提とすると、ロシュフコーの言うところの「将来したくなることへの請け負いが不可能」というのは変わってこないだろうか?
例えばフランクルは
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大事なのは、未来で貴方を待っているモノ
貴方に発見されるのを待っているモノ
そして貴方によって表されるのを待っているモノ
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と言った。
(このあたりについては本でいろいろと書いているので、よかったらアマゾンで買ってね。↓
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この言葉は僕の座右の銘である。
となると「わからないから言わない」のではなく、「わからないからこそ、仮のゴールを設定して脳を動かす」必要があるとなるのだが。
そしてもう一つの座右の銘が高杉晋作の
「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
これこそBeingの代表例。
ラ・ロシュフコーの理論には、「可能性」や「伸びしろ」の概念があまり入っていない。
となると幾つになっても、やっぱり拓郎の「今はまだまだ人生を語らず」なのだ!
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