わがままカウンセラーの「おもしろき こともなき世を おもしろく」

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心理カウンセリングのお申込みや、講師・講演等のご依頼はホームページ⇒ http://bellcosmo.net をご覧ください。

 

NPO日本次世代育成支援協会では、アーティスト支援の一環として、この度ナチュラルビュッフェ ユコーネのご協力をいただきアートの展示やワークショップを楽しめるイベント 「enjoy アート展」 を開催することとなりました。

皆様のご来場を心からお待ちしております。

【内容】
・ミニチュア・ドールハウスやアニメ漫画、イラスト、絵画などの展示(販売)
・「色鉛筆3色で書くイラスト」「パステルを使って心に虹を描く」「ブレスレット作り」「糸かけ曼荼羅体験」「簡単インテリアアドバイス」「身近なものでflower体験」など、15分~30分程度で楽しめるワークショップ(体験料500~800円)など、いろいろと楽しめます!

 

詳しい内容はパンフのQRコードからご覧ください。


(ミニチュアパフエ)

なお入場におきまして、会場はレストランの「ナチュラルビュッフェ ユコーネ」様で行いますので、 ランチビュッフェ(ドリンクバー付き)2000円 、または クロワッサンのお持ち帰り(5個 ドリンクバー付き)800円 のどちらかのご注文をお願いしております。


日時 2024年11月23日(土)10:00~15:30

場所 ナチュラルビュッフェ ユコーネ https://yuko-ne.com/
愛知県一宮市朝の花の木39-1 TEL 0586-76-7337
 
ご予約、お問い合わせは
NPO日本次世代育成支援協会アート支援委員長 丸一真也迄
TEl 090-9898-9178

 

 

 


 

今朝の日本経済新聞(2024.10/08)に経済学者の小林慶一郎氏(慶応大学)の「認知的制約がバブル作る?」という話が載っていた(以下[ ]内が引用文)。

 

まず、コロンビア大学のマイケル・ウッドフォード教授の話として

 

[人間は有限の認知的資源を最適に使おうとするため、主観的な事前予想(参照点)と実際の結果との差に反応すると論じた。その結果、人間の行動に「参照点依存性」が生じるという。]

とある。

ここに出てくる参照点依存性とは、『期待値をベースに思考したり行動したりする』という意味だと考えてもよい。

そして

[合理性期待理論は「完全合理性」だけではなく「再帰性」という性質も持つ。期待の「再帰性」を、政府Gと市場参加者Mの例で考えよう。(中略)

GはMがどう考え、反応するかを予想して政策を立案する。ここでGが持つ期待(期待G)は「『Mが持つ期待』についてのGの期待」である。

 逆にMは、自分の行動がGの政策にどう影響するかを考えながら、政策に反応する。ここで「Mが持つ期待」とは「『期待G』についてのMの期待」である。つまり期待Mは期待Gによって決まり、期待Gは期待Mを介して期待Gが入っている。自分の定義の中に自身が再帰しているという、この性質を「再帰性」と呼ぶ。]

 

と説明があり、この後

 

[期待の再帰性が絡むと、有限の取引期間の経済でも無価値な紙切れが貨幣として流通する貨幣バブルが起こることが知られている。]

 

と続く。

 

そして小林氏は、貨幣バブル(貨幣の価値が上がる)ということは、財・サービスの価値が相対的に下がる(デフレ)ということなので、日本の長く続いたデフレがこの理論で説明がつくかも知れないと結んでいる。

 

僕なんか経済はよくわからないので(大学では学んだ筈なのだが)、ふ~~~ん…、という感じなのだが、これをに似た話が教育にもみられる。

 

親(P)が子ども(C)に「優秀になってほしい」と期待したとする。

 

すると子どもは親の期待(期待P)を感じて「『期待P』に応えて頑張って勉強したら親は喜んでくれ、僕を応援してくれるだろう」という期待(期待C)をする。

 

そうしたら母親はその期待Cを感じて「私が頑張ってパートとかに行って、参考書代とかを稼いだりして応援したら、もっと頑張ってくれるかもしれない」と期待(期待P2)する。

 

となると子どもは「もっと参考書や問題集をやって頑張ったら、親はもっと喜んで応援してくれるかもしれない」と期待する(期待C2)。

 

すると今度は父親が期待C2に対して「オレが頑張ってもっともっと残業して塾の費用を…」(期待P3)

 

そしたら子どもが「親があんなに苦労して頑張っているから期待に応えて…」(期待C3)

 

これで「頑張り」が、(期待値の上昇に乗って)エスカレートしていくということになる。

 

ちなみに日経新聞のこういう学者や先生方の記事には、難しい言葉が散りばめてあることが多いのだが、小林先生も日経新聞の読者ならこれくらいの用語は知っていると期待されているのだろう。

 

そして読者は、難しい言葉がいっぱい並んでいるから、この内容は価値があるだろうと有難がって尊敬し、今後も掲載してほしいと期待する。

 

すると先生方は、期待に応えて益々難しい言葉を使って書く。ぐすん

 

きりがない話なのだが、僕のカウンセラー講座も似たようなことをやっているような気がする。

 

確かに「認知的制約がバブル作る?」かもしれない。

 

 

 

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久しぶりにスマホで新幹線の予約をしたら、なんか随分乗り方が変化しているではないか。

 

QR切符…。なんじゃそれ?

 

もぉ、いかんんいかん。ついて行けん。大泣き

 

こうなったら窓口で切符を買うか、と思ったのだが、今朝の日経新聞の「私の履歴書」にKKR創業者のヘンリー・クラビス氏が

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  社員が川に飛び込んで泳ぐよう求めている。

  「勇気を持て」

  「新しいアイデアを試せ」と。

  例えそれが失敗に終わっても、教訓を得ることができる。

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と書いていたのを思い出し、やはりそのQR切符というのに初チャレンジすることにした。

 

クラビス氏は上記の後に、こう続けている。

 

  「コンフォートゾーン(居心地がいい領域)から脱出せよ」

 

確かにそうなんだよな~。

歳を取ると、特にそこのところが大事な気がする。

 

 

ところでスマホと新幹線で思い出したが、僕は不注意が服を着て歩いているような人間なので、電車にもよく忘れ物をする。

 

傘は恐らく100本以上忘れていると思う。不満

 

携帯電話も新幹線に少なくとも3回は忘れた(他に豊橋の愛大に行っていたときに、名鉄で2回)。

でもそういうのは、到着駅で保管してくれるんだよね。
例えば東京発博多行きの新幹線に忘れたら、博多駅に電話をすると、携帯みたいに本人のものと確認できるものなら、着払いで送ってくれる。

(だから、よく忘れる人は他の人には無い特徴あるものを付けておく必要がある。

ここがいつも僕が講義で言っている「苦手や能力として劣っているものが有ったとしても、それを劣等感とか自己否定したりせず、それを前提として「工夫」で勝負することが大切だ」という話なのだ)

 

ちなみに僕の場合は、スマホやガラケーの裏面に、密教の大日如来を表す梵字「バン」のシールを貼ってある。

博多のJR職員「どんな携帯ですか?」

僕      「ベージュのガラケーです」

博多のJR職員「1台ありますが、お客様のであると証明できる何かは?」

(個人情報の関係で、内容等を見るわけにはいかないらしい)

僕      「裏にシールが貼ってないですか。ブラーフミー系文字で『バン』って」

博多のJR職員「私、ブラーフミー系文字、読めません。汗うさぎ

        でも、読めないけどこんなの貼ってあるのって見た事無いので送ります」

 

てな感じで。

それはよいが、一度、東京発名古屋駅着の最終の新幹線に、携帯を忘れたことがあった。

それで翌日、最終駅が名古屋でよかった~、と名古屋駅に電話をして取りに行き、携帯を受け取って、ついでに赤福餅を買ってJR東海道線に乗って自宅の一宮に帰ったのだが、そのJRに今度は赤福を忘れてきたことに家で気付いたという思いでがある。

 

やはり、「工夫」にも限界がある。ぐすん

 

 

 

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人生においては、一口に『成功』と言っても何が成功なのかはその人その人によって違うが、ただ言えるのは成功する為の要因は、なんと言っても『熱気』と『好奇心』と『努力』である。

これを心理の面から考えてみると、どうなるか。

熱気とか情熱は『燃える心』、つまり心理である。

好奇心、これはもちろん心に関する事。

では努力は?
じつはこれが大きな問題なのだ。

努力というものは、誰でもできると思っている人が多い。
だから「努力がたりない!」とか「頑張ればいい!」、と気楽に言うのだが。

ところが実際のところ、「努力をしようという気はいっぱいあるんだけど、頑張れない」という思いをした人って多いのではないだろうか(僕がそうだ)。

多くの人にとって、努力しようと思ってもできない、又は頑張ろうと思っても頑張れない時というのは、いくらでもあるのだ。

ということは、『努力』というのは、誰にでもできる事ではなく、「努力する事ができる能力」を持っていないとダメという事がわかる。

つまり『努力』というのは『根気』とか『辛抱』とか、『誘惑に負けない』などの、極めて心理的な能力の条件をクリアしないと
、実行が難しい作業なのである(すなわち、ADHDの子が苦しいのはここにある。背が低い子がバスケの選手になりたくてもなかなかなれないのと理屈は同じだ)。

だから「努力さえすれば」なんて簡単に言うのは、大変な間違いなのだ。

もちろん、努力は大事である。
僕が尊敬する人で、努力をしなかった人はいない。


ただ、「努力しろ」とか「努力しなければ」などと簡単に言っていないで、もっと努力の対象や内容を考える必要がある。


では、努力が苦手な人がどうしたら努力できるかをしっかり書くと、これはすごく長くなるので簡単に書くが、大事なのは『ゴール』や『目標』の設定なのだ。


つまり、『根気』を持てる、また『辛抱』できる、そして他の『誘惑に負けない』くらいの自分にとって面白いゴールを、まずは探すところから入っていかないといけない(だから、苦手な分野を無理にやらせて「どうとてこれくらい出来ないの?」とか言って自己肯定感を下げさせてしまうなんていうのは最悪なパターンだ)。


そして、それらしいものが見つかれば、なんでもいいから取り合えずやってみること。それもスモールステップで…。


まず『努力』有りきではなく、
『好奇心』⇒『熱気』⇒『努力』
という順番にする、発送の転換が大事なのだ。


あとは、達成感と成長をモチベーションにし、またそれを誇りにして進めていく。

この理屈をもう少し若い時に知っていれば、僕ももうちょっとマシな人間になってたんだけどなぁ。ぐすん

 

 

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世間ではシルバーウィークということでいろいろと盛り上がっているようだが、こないだの3連休も今度の3連休も仕事だ(敬老の日も、誰も敬ってくれなかった。しくしくぐすん)。

マジに働きブタのように働いている。


しかし、なんといってもまだ気楽なのは、例年なら「あ~~~、夏休みが終わってしまった」と嘆き悲しんでいたのだが、今年はそれが無いことだ。

大学をやめたから、このくそ暑い残暑の中をひぃ~ひぃ~言いながら坂道を登らなくていい。ほんわか

なんて素晴らしいことなのだろう。

あとは、ぼぉ~~~っとしていると食べていけんことだけが問題だな。

 

 

 

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夫婦間の問題のカウンセリングをしていると、男性と女性の思考や感情の差異が原因でトラブルになっていることがよくある。
 

これは特に男性が気をつけないといけないのだが、奥さんが話している最中に「わかった」と気軽に言うことが、喧嘩に繋がる場合が多いのだ。

 

夫が言う「わかった」というのは、「意味を理解した」という意味で言っていることが多いのだが、それ(「わかった」)を言って話を次に進ませようとすると、妻は不満を感じるケースがある。

 

妻は「わかった」で話を終わらせたくないのだ。

 

つまり、同じような話とか、結論の出ないような話をその後も「喋りたい」のである。

 

そして妻が喋り続けると、夫はこう言う。

 

「もう、わかったって」と…。

 

すると夫は妻にこう言われる。

 

「あなたは何もわかってない!」

 

 

(なんでやねん)と言いたい思いを夫は堪えるのだが、実は妻は、【《内容》をわかって(理解して)ほしい】のじゃなく、夫に【話さざるを得ない自分の《気持ち》をわかって(理解して)ほしかった】ということなのである。

男性は論理的に考えることが多いので、彼女の話の内容を理解できると、ついつい「わかった」と言ってしまうのだが、女性は【感情を大事にする】タイプが多いので、『話したい気持ちをわかってほしい』、つまり【心情を理解】してほしいのだ。

こういうカウンセリングでは、妻から「ただ、聞いてくれるだけでいい」という言葉がよく出るのだが、これを夫が真に受けてぼぉ~~~っと聞いていると、「聞いていないじゃないっ!ムキー 」とやっぱり怒られるから要注意。

 

難しいなぁ。

 

とても僕には理解できない(そんなヤツがカウンセリングやっとってええんか?という気もするが)。

 

 

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204

ここのところちょいちょい頭痛やふらつきが起きるので、かかりつけのお医者さんに相談したら、血圧も高いことだし一度脳のMRIを取ってきたらと薦められ、すぐに手配をしてくれたのでこれはこれで良い機会だからと検査に行ってきた。

 

有難いことに、脳に異常は見つからずホッとしたのだが…。

 

検査はよかったのだが頭痛は治らないぐすん

 

いろいろな検査をしても何も問題は見つからないのだが、「お腹が痛くて学校にいけない 大泣き」という子どもの気持ちがすごくよくわかる。

 

逆に、「検査をしても何もなかったんだから、大したことないんでしょ!」と叱るのは、やっぱりまずいというのもよくわかる。

 

さて、そんなことはともかく、先日書いたアートのイベントを早ければ11月の第4土曜に、一宮のレストラン「ユコーネ」様で開催するかもしれない(大会委員長 丸一さん)。

 

 

出展者は8名予定で、今のところ4名は確定。

 

ちなみに、これについての会議を本日18:30から開くことになったのだが、何を話すかまだ考えていないので、今(16:11)から考える。

 

 

 

 

 

早いもので、講演まであと1カ月。
 

子育てには必須の心理学、応用行動分析(ABA)や解決志向アプローチ(SFA)をわかりやすく面白く説明します。

 

「どうして子どもは言うことをきかないのか」「どうして子どもはやる気が出ないのだろう」という悩みは、これで一気に腑に落ちます。

 

前回(昨年)は事前申し込みでしたが、今回は当日先着順なのでご注意ください。

受講は無料です。

 

 

 

 

 

 

アッという間に9月。

猛暑だ地震だ台風だと言っている間に、どんどん時が経っていく。

それは同時に、僕の残り時間もどさくさまぎれに減っていくということだ。

健康寿命(健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間)は男性は72.68歳なので、僕の場合はあと1650日。

さすがにちょっとあせる。

そうは言っても出来ることは限られているのだが、以前から思っていた「アートの能力を持っているのに、それに未だ光が当たっていない人に出来ることはないだろうか」ということに、いよいよ取り組もうかと思っている。

これは発達障碍の人(子どもも大人も)とのカウンセリングで長年思っていたことだ。

ただ、僕はアートはさっぱりの人間なので(音楽はまあまあできるが)、何をどうすればよいかがさっぱりわからない為、思っていても行動に移せなかった。

とは云え、そんなことを言っていては何も変わらないので、取り敢えず、まずはNPO日本次世代育成協会の講座参加者の中でアート(イラスト、漫画、モノ作り、文学、何でも有り)の能力のある人や興味を持っている人のステージを開催しようと考えている。

難しく考える必要はないのだ。

お祭りでいいんじゃないか?

そして、まずはこの案に興味のある講座参加者の人で、9月の第2火曜の夜に、芸術会議を開こうかなと思う(ひょっとしたら毎月続けるかもしれない)。
 
参加希望者は玉田さんまで(参加費1000円←茶菓子代に全て使う)。

誰も来なかったら、それはそれで僕は教室でキーボードかギターを弾いているので、無理してお気遣いされることの無いように。
 

日本経済新聞に「起業」をテーマにしたノーベル賞受賞者の中村修二博士の話が載っており、そこにこういう言葉があった。

「学術研究が中心の日本の大学教授は、本や論文の知識を学生に教えている。それは歴史を教えているにすぎない。」

(日経新聞2004.8.25版より引用)

これは本当にその通りだと思う。
僕の事務所と家には心理学の本が2千冊ほどあるが、日本の著者の本の9割くらいは、やれフロイトがああ言った、ベックがこう言った、スキナーはこんなことを研究した、アメリカの実験ではこんなことがわかったと、『他人』の話ばかり書かれている(つまり、中村先生の言わんとされる『歴史』や『地図』を教えているだけ、となる)。

しかもそれに対して疑問を持ったり、ツッコミを入れたり、新しい自分の考えを言ったりしていない本が如何に多いことか。

例えば、僕は発達障碍で悩んでいる人に、対処方法として行動分析をよくお薦めしているのだが、多くの行動分析の本に『死人ルール』というのが書かれている。

これは簡単に言うと「死人にできないこと」が『行動』であって、「~される」「~しない」などは死人にも出来るから、それは『行動』ではない、という定義である。

そして「動かず横たわっている」とか「殴られる」というのが、よく『行動』ではないという例に挙げられる。

では次の文はどうなるだろうか。


二人の間にきまずい空気が流れたその時、窓の外から祭囃子が聞こえてきた。
愛菜は、目を輝かし昭雄に声をかけた。
「見に行こうよ!」
しかし昭雄は、何も言わずじっと畳の上に横になってい

本に書かれている定義では、この昭雄の状況は『行動』ではないということになる。

もう一つ。

今日も健太は学校にも行かず、夕方の5時頃起きてきた。
そしていきなり母の部屋に入り、「どうして俺がこんなに苦しんでいるのに、お前は平気な顔をしていられるんだ!」と叫び母を後ろから殴った。
しかし母は黙って殴られたままであった。

この母の状況も『行動』ではない?

ちなみに行動分析では
行動とは認知や思考、感情反応も含む
とも定義されている。
つまり目に見える行動(顕在的行動)だけではなく、人の思いも内潜的行動と考えるワケだ。

だとしたら、上記の例の「昭雄」や「母」は行動していることにならないか、という疑問が出てこなくてはならない(どう見ても、昭雄にも母にも『思い(内潜的行動)』は有りそうだ)。

 

しかしこういうことをわかりやすく説明している日本の行動分析の本は、本屋さんではあまりお目にかからない(『歴史』を教える本は、それこそいくらでもあるのだが…。もっともシステムズ・アプローチの先生方は、このあたりを「無言」もコミュニケーションの一つである、とよく書かれている)。

 

ま、このあたりを話し出すと長くなる(こういうパラドックスを考えるのは好きなので)のでこの辺でやめるが、カウンセリングというのは『歴史』をクライアントに教えるという作業ではなく、どうなったらクライアントはクライアントが求めるHAPPYに近付けるかを一緒に考える作業なのだから、人のことを言っている場合じゃなく、この中村先生の言葉はしっかりと頭に入れておこうと思った。

 

 

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