遂に、”その時”がやってまいります。

 

第九話 捕らえられたジャンヌ

 

シャルル7世は、イングランドとその同盟国ブルゴーニュ公国との和平交渉を進めます。


しかし、戦いを諦めていないジャンヌは、彼女に忠実な兵150人と共に、戦いを決意します。

 

ブルゴーニュ公国が、パリに近いコンピエーニュを取り戻そうと攻めて来たのです。

 

 

熾烈なコンピエーニュ包囲戦にて、ジャンヌはブルゴーニュ側に捕らえられてしまいます。

 

ジャンヌは捕らえられた後、何度も逃亡を試みますが、いずれも失敗します。

 

そして遂に、裁判のため、イングランド側に引き渡されることとなりました。

 

 

第十話 火刑台のジャンヌ

 

ジャンヌはルーアンに移送され、そこで異端審問を受けます。

 

裁判官は、ジャンヌに良い印象を持っていないコーション司教です。

 

 

コーション司教は、ジャンヌを異端とするため、神に背く言葉を引き出そうとします。

 

尋問は数か月に及びますが、敬虔なキリスト教信者であり、心から神への忠誠を誓っている彼女からは、神に背く言葉など出るはずがありません。

 

 

しかし結局、ジャンヌは火あぶりの刑を宣告されます。

 

その2日後の5月30日に刑が旧市場広場で執行され、ジャンヌは亡くなります。

 

 

その後、ジャンヌの復権裁判が行われ、ローマ教皇がジャンヌ・ダルクの処刑裁判の無効を宣言します。

 

ジャンヌの名誉が回復されたのは、彼女の死後、20年以上経過した後でした。

 

そのさらにずっと後の1920年に、ジャンヌ・ダルクは列聖され(聖人とみなされ)、フランスの歴史上最も偉大な人物の一人となりました。

 

 

全体を通しての感想

 

王太子に謁見してから戴冠式までが4か月、そこから火あぶりの刑まで、2年も経っていない。

 

しかも19歳で亡くなっている。

 

ジャンヌ自身に、軍を指揮する能力があったか否かは諸説ありますが、彼女が参画した戦いでフランス軍が勝ちまくった事は事実のようです。

 

当時のフランスにしてみたら「奇跡の少女が現れた」となるでしょう。

 

そこで一気に担ぎ上げられてしまった。

 

敵からすると悪魔みたいなものですから、極刑をもって懲らしめたい。

 

で、彼女とは最も対極にある”異端”のレッテルを貼り、体を失うため二度と復活できないとされる”火刑”により処刑します。


ジャンヌの余りにも壮絶な人生に、ショックと同情を禁じ得ません。

 

もちろん、戦争中ですし、現代の感覚でジャッジすることに意味はありませんが「残酷すぎる」と思ってしまいます。

でもこれ、イングランド人が残虐すぎるという話でも無くて、日本でも中世、隠れキリシタンに対しては、”踏み絵”や”火あぶり”等、非道な行為をやっていましたので、人間誰もが持つ普遍的な残虐性の現れなのでしょう。

 

その残虐性は現存し、世界の幾つかの事象で顕在化もしています。

 

私自身、心の中の残虐性を自制できるような精神力をキープし続けたいと思います。