5月のキリスト昇天祭の連休に、行けそうなら、フランスのノルマンディ地方に、車で旅行する予定です。

 

調べている内に、ジャンヌ・ダルクが異端審問にかけられ、19歳で火刑に処された場所が、ノルマンディの首府ルーアンである事を知りました。

 

ルーアンの目的は、モネの題材となったノートルダム大聖堂だったのですが、ジャンヌ・ダルク歴史館も子どもには面白そう!

 

大昔に、ミラ・ジョヴォヴィッチの映画を見た記憶はありますが、中身は覚えておりません。英仏戦争の事も良く知りません。

 

ジャンヌ・ダルクを詳しく知ろうと思い、ググってみましたが、前提知識が無さすぎ&話が複雑すぎで、ちょっと良く分からない。。。私には絵本が丁度良いのかな?

 

 

フランス人の子どもがジャンヌを学ぶのと同じ目線で、勉強することにします。

 

第一話 農村の娘

 

ジャンヌ・ダルクは1412年にフランス北東部ロレーヌ地方の田舎町で生まれました。(この頃日本は室町時代。)

 

 

父親は裕福な農家だったそうです。ジャンヌは家事や畑仕事を手伝って育ちます。特に母親は敬虔なカトリック信者で、毎週日曜日には家族そろって教会に行き、祈りを捧げていました。そのことがジャンヌの信仰心を育ませることになります。

 

そんなロレーヌでの幸福な暮らしにも、次第に戦争の影が忍び寄ります。

 

第二話 アジャンクールの戦い

 

フランスとイングランドは、1337年から始まった百年戦争の最中でした。

 

 

戦いでイングランドは、フランス領土をどんどん獲得していきます。1415年にアジャンクール(フランス北部の町)でフランス軍が大敗。フランスの大領主ブルゴーニュ公がイングランドと同盟を結んでしまいます。

 

この時点でフランスは、北部のイングランド領、東部のブルゴーニュ公の領地、フランス王の領地の3領域に分かれることになります。

 

※『世界の歴史マップ』の地図はいつも分かりやすいですね!

 

更に1422年、フランス国王のシャルル6世が他界。フランスの危機はより深刻になって行きます。

 

《現時点の疑問》

(1)なぜフランス人は、未成年の少女をフランス救国の英雄と考え、熱狂したのか?(担ぎあげられた感が。。。環境活動家のグレタさんを想起します)

(2)なぜイングランドは、19歳の若い娘に対し、火刑と言うむごい殺し方をしたのか?