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書き散らかすだけ






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日が落ちる。
眼下に広がる宏大な湖に陽が吸い込まれていく。

善きも悪しきも分け隔てなく。

須く無に還れと謂わんばかりに。


総てを、飲み込んで往く___




#0




徐々に湖に飲み込まれて往く陽を眺めながら、青年は目に掛かった蒼の髪を掻揚げた。
現れた瞳は髪の色より更に濃い紫紺。
その瞳はあらゆるものを拒絶しているかのように冷たく、そして無感情だった。

しかし風が吹くとその瞳は落ちてきた前髪によって再び隠れてしまう。
二、三度青年は鬱陶しそうに髪を払ったが、風が吹くたび伸びた前髪は青年の視界を遮り、結局青年は溜息をひとつ吐いてその作業を諦めてしまった。
切るか止めるかしない限りこんな風の吹く崖の上では髪など纏まらないだろう。
そう、青年は今湖を、見渡せる崖に腰掛けているのである。

そして青年は風に吹かれるまま、再び眼下に佇む広大な湖と昏れて往く陽を眺め続ける。
崖に足を投げ出して、時に片膝を丸め顎を置いたりしながら飽きずにいつまでもその風景を目に納め続けた。


何か考えているわけではない。
別に珍しい風景でもない。
雲さえなければ、この場所で、何時だって見ることの出来る風景だ。
季節ごとに見える陽が近かったり遠かったりするだけで。


陽の三分の二が湖に飲まれた頃、背後の木々の合間に人影が現れた。
現れた人物は声を掛けるでもなく、静かに青年の隣に立つ。

腰の辺りまであろう艶やかな髪は瞬く間に風に弄ばれて舞い踊るが、乱れたようには見えない。
むしろ風に棚引く朱金の髪は、この昏れる陽と同様に燃え盛る炎のようだ。

よく見るとその炎の中に獣が持つ筈の耳がちらちらと見え隠れする。
立ち尽くすその姿とは対象に、艶やかな髪に埋もれた耳は右へ左へと向きを変え忙しない。

更に、うねる髪のその下で、一本の尾が同じく風に煽られ棚引いている。
一尾とはいえその尾は大きく髪同様艶やか且つ豊かであり、まるで何本もの尾を束ねて纏め上げたかのようだ。
獣の耳に豊かな尾。

その姿は人が想像する妖狐のそれそのものであった。



暫く二人は無言で眼前に広がる風景を眺めていたが、妖狐がゆっくりとその視線を陽から湖へ、そして青年に向けた。

青年に向けたその瞳は髪とは対称に夜を湛えた藍に染まっており、まるで陽が沈み宵を迎える逢魔が時を体現しているかのようだ。

その静かな瞳を向けられても尚、青年は陽から目を離そうとしない。

とうとう陽が湖に飲まれ、残照のみが淡く水面に残るのみとなったところで、漸く青年は妖狐の言葉無き問いに応えるように腰を上げた。

しかし視線は未だ湖を臨んだままである。

妖狐はそれでも満足気に淡い唇に弧を浮かばせると、静かに口を開いた。

「避けては通れぬ路か…他に路はないのだろうか…」

浮かべる表情とは裏腹に、重く沈んだ声であった。
その表情も、彼を良く知る者が見れば笑みではなく諦念の相であると判る筈だ。

そんな妖狐の心情を知ってか知らずか、青年は瞳同様無表情のまま応える。
やはり視線は湖に向けたままだ。

「他に路があれば、迷わずそっちを選んでいただろう?
 …つまりはそういうことだ」

「…そうであったな」

「呆けたか?」

「ぬかせ」

青年の戯言に妖狐は笑みを深める。
だが先程までの諦念の相はなく、心から面白がっているような、そんな笑みであった。

やはりそんな妖狐の心情を知ってか知らずか、いや、顔を見ていないのだから関係ないのだろう。
青年はその長い前髪に隠れた顔に感情というものを作らない。

「そろそろ行くか」

「そうだな…ここも直に飲まれよう」

「此処は結構気に入ってたんだけどな」

「運が良ければ…否、無理か」

「あんたが言うならそうなんだろうよ…残念だ」

残念だ、そう言うと青年は漸く視線を湖から外し、辺りを見回した。
だが逢魔が時を過ぎてしまったこの薄暗さでは大したものは見えないだろう。

なんせ彼等がいるこの場所は、人も灯りも何もない、森である。
そう、森なのだ。

海と見紛う広大な湖を囲む更に広大な森。
どんなに見渡しても見えるものは湖と数多の木々。
その奥に聳えるのは天を頂くかの如き巨大な山々。

辺りの木ひとつを取っても、どれもこれも樹齢100年を超えるような大木ばかりだ。

もちろん人が住んでいる筈もない。
そう、彼等以外は。

「行くか」

再び青年はそう呟くと踵を返し、広大な森に歩を進めて往く。
その足取りに迷いはなく、先程浮かべた未練はもうそこにはない。

木々の影にその姿が消えようとしたその寸前、足を止めた青年は顔だけ振り返り妖狐を見据えた。

「なんだ、あんたは留守番か?」

「…先程のそなたのようにこの風景を目に焼き付けておこうと思うてな」

「だったら眼鏡をかけろよ、それじゃあ見えないだろう?」

「ほんに、口だけは達者よな」

「馬鹿言え、親切心だ」

「ふ、そう受けとっておくとしよう」

最後に水平線の辺りを一瞥すると、妖狐も踵を返し青年の後を追って往く。

やはり妖狐の足取りにも迷いはない。
しかし青年のように振り返ることは頑なに拒否している風でもあった。

そして彼等の姿は木々の影と訪れた宵に飲み込まれていった。





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