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こんばんは。


タイトルと内容は、なんら関係ありませんw



そういえば…1月1日。


前を歩く5位入賞の中国電力の選手達。


みな1824 旅のしおり&日々のことば


思えば、県庁舎からずっと一緒です。


向かう方向が同じなだけで、決して尾行していたわけじゃないのですよ。


話しながら歩く選手達。


もくもくと歩く私。


追いついてしまって追い抜こうかな?って思った時


それは突然、現れました!w


みな1824 旅のしおり&日々のことば


前橋市には、20数年住んでいましたが、こんなのあったの初めて知りましたw


中国電力の選手達とは、やっと?サ~ヨナラw


砂利道を入るとスグ左側に説明の看板がありました。


みな1824 旅のしおり&日々のことば


さらに奥に進むと石垣がありました。


みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば

そして「前橋城車橋門跡」の文字が。


みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば


詳しい説明は、下記写真の案内板に書いてありました。


【関東の4名城にも数えられていた前橋城の遺構は大変少なく、


現在では県庁周辺の本丸土塁と、この門跡位しかありません。


この門は、城の外曲輪から城内に至る、重要な門で、


対の石積みの台石は1辺7.7m×4.25m、高さ1.4mあります。


前橋藩4代藩主酒井忠清(後に大老)の代(1637~1681)に


2本の柱の上に横木を1本置いた冠木門から


櫓の2階を通って門の左右に渡れる渡櫓門に改築され、


その後、酒井氏の後を継いだ松平氏が川越へ移城した後も、この門は存続していました。


現在の門は昭和39年区画整理事業により間隔がせばめられ、


西側の台石が東へ8m移動されました】


みな1824 旅のしおり&日々のことば


ふーん、なるほどね…って、8…8m!?って、、、すごい移動なんですけど(°д°;)


そんなに広い門だったのね!


当時のお城の大きさを想像するとクラクラしちゃう~


なんかね、元々は箕輪城の支城だったらしいです。


あーなんで残ってないのだー!って思いましたが


「坂東太郎」こと「利根川」の氾濫や浸食に泣かされ続けてたそうなんです。


みな1824 旅のしおり&日々のことば


そういえば、昭和の時代にも利根川が氾濫して


県庁裏の駐車場にとめてあった車が流されたって聞いた事があったかも。


利根川…昔は暴れん坊だったのネ…



※ 参考までに、今は関東七名城って言うらしい。


  • 川越城 (河越城)(埼玉県川越市


  • 忍城 (埼玉県行田市)


  • 前橋城 (厩橋城)(群馬県前橋市


  • 金山城 (群馬県太田市)


  • 唐沢山城 (栃木県佐野市 田沼町


  • 宇都宮城 (栃木県宇都宮市)


  • 多気城  茨城県つくば市) あるいは太田城 (茨城県常陸太田市


    いずれの城も天守は残っていないとの事で残念ですね。