沼田城址(資料ばかりですが…) | みな1824 ~ハートに今を刻もう~

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こんにちは。


大事をとって今日はお仕事お休みしています(昨日の記事参照

ちょっと動くのしんどいので(-_-;)



そんなことで、デジカメの写真を整理していました。

余裕がなく、なかなかUp出来ずにいた「沼田城址」です。


みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば


特に何が残っているわけでもなく、今は公園になっているのですが

なんとなく他の場所とは空気が違うような気はします。

みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば

上田城のような立派なものはありませんが、真田氏好きならば一度は訪ねてみても

良い場所ではないでしょうか?


みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば

何やら資料ばかりで、目ぼしいものは無いのですが、唯一西櫓の石段と石垣だけは

残っていました。


柵がしてあり中に入る事は出来ませんが、樹齢400年余りの御殿桜があり(下の写真↓)

春には見事な花を咲かせます。


今となっては、興亡の歴史を語る形見の名木となっているそうです。

みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば

公園の敷地内には旧土岐家の住まいがあり、そちらには当時の沼田城のジオラマが

展示してありました。


資料によると、沼田城の天守は、真田初代城主となった信之(幸)が慶長年間(1596~1614)

に建造したと伝えられ、古文書などから9間×10間(推定18m四方)の5重構造であったと

されているそうです。


みな1824 旅のしおり&日々のことば      みな1824 旅のしおり&日々のことば  みな1824 旅のしおり&日々のことば

また、幕府に提出された絵図によると、天守東の石垣は堀の底から8間もの高さがあり

屋根には千鳥破風(三角形の屋根)が多く見られ、最上階には高欄が巡っていた様子が

わかるそうです。


天守付近からは金箔瓦も見つかっていることから、沼田城は関東において特別な城であったと

考えられているそうです。


そもそも、関東では5重の天守は江戸城以外は沼田城だけだったとの事。


みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば

そんな名城も、残念ながら5代伊賀守が天和元年(1681年)に改易となった後に

幕府によって全て破却されて、以後、天守も櫓も再建されることはありませんでした。


あー!少しでも残しておいて欲しかったー(T_T)

そしたら、おもてなし武将隊作れたかも~!?しかも、真田氏で…。


みな1824 旅のしおり&日々のことば    みな1824 旅のしおり&日々のことば

天守よりも低い位置ですが、その近くから沼田の町を写真に収めたものです。


はるか昔にも、これに似た景色を、信之や小松姫も眺めていたのかなぁ?

なんて思うと、途方もない様な、また少しノスタルジックな気持ちにもなります~


歴史って面白い!