こんにちは。
大事をとって今日はお仕事お休みしています(昨日の記事参照 )
ちょっと動くのしんどいので(-_-;)
そんなことで、デジカメの写真を整理していました。
余裕がなく、なかなかUp出来ずにいた「沼田城址」です。
特に何が残っているわけでもなく、今は公園になっているのですが
なんとなく他の場所とは空気が違うような気はします。
上田城のような立派なものはありませんが、真田氏好きならば一度は訪ねてみても
良い場所ではないでしょうか?
何やら資料ばかりで、目ぼしいものは無いのですが、唯一西櫓の石段と石垣だけは
残っていました。
柵がしてあり中に入る事は出来ませんが、樹齢400年余りの御殿桜があり(下の写真↓)
春には見事な花を咲かせます。
今となっては、興亡の歴史を語る形見の名木となっているそうです。
公園の敷地内には旧土岐家の住まいがあり、そちらには当時の沼田城のジオラマが
展示してありました。
資料によると、沼田城の天守は、真田初代城主となった信之(幸)が慶長年間(1596~1614)
に建造したと伝えられ、古文書などから9間×10間(推定18m四方)の5重構造であったと
されているそうです。
また、幕府に提出された絵図によると、天守東の石垣は堀の底から8間もの高さがあり
屋根には千鳥破風(三角形の屋根)が多く見られ、最上階には高欄が巡っていた様子が
わかるそうです。
天守付近からは金箔瓦も見つかっていることから、沼田城は関東において特別な城であったと
考えられているそうです。
そもそも、関東では5重の天守は江戸城以外は沼田城だけだったとの事。
そんな名城も、残念ながら5代伊賀守が天和元年(1681年)に改易となった後に
幕府によって全て破却されて、以後、天守も櫓も再建されることはありませんでした。
あー!少しでも残しておいて欲しかったー(T_T)
そしたら、おもてなし武将隊作れたかも~!?しかも、真田氏で…。
天守よりも低い位置ですが、その近くから沼田の町を写真に収めたものです。
はるか昔にも、これに似た景色を、信之や小松姫も眺めていたのかなぁ?
なんて思うと、途方もない様な、また少しノスタルジックな気持ちにもなります~
歴史って面白い!