よく、人生を旅に例えたりしますよね。
この聖句は、私達を、この世の旅人であり、寄留者であると言います。
春は出会いと別れの季節。
進学、就職、転勤など、この4月からを新しい場所で新しい目的を持ち
新生活を始める人も多いかと思います。
新しい事を始める時は予想がつきませんから、何かと不安や心配がついてまわります。
人間、誰でも傷ついたり失敗することは、怖いですし嫌なものです。
なので、最悪の状況を考えたり、常に悪い想像をしておいて、そうならなければラッキー!
みたいに考えたりしますよね。
「転ばぬ先の杖」で、確かにダメだった時のダメージは少なくて済みそうですw
順風満帆な人生に越したことはありませんから。
でも、あんまりそういった考えにとらわれ過ぎてしまうのも、人生を味気なくしてしまいそう。
転んでこそ初めて痛さがわかり、挫折するからこそ得られる知識もあるものです。
「失敗は成功のもと」で、そういう経験から、同じ痛みをもつ人に寄り添えるようなったり
別のやり方があることを知ったりもするのです。
痛みも悲しみも過ぎてみれば、旅の名所になります。
未来は誰にもわからない。
用心するのは当たり前ですが、悪い想像ばかりにとらわれているのは、もったいない。
誰にもわからない未来。
こうありたい、と未来に目的を見出すことでビジョンが開け、おのずと今やるべき事が見えてくる。
この人生(旅)が有限であることを忘れないで下さい。
ペテロ第一の手紙 2章11節~
愛する者たちよ。あなたがたに勧める。
あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから~
旅人と放浪者とは似て非なるもです。
旅人は、目的を持つから、心に張りがあり、苦しく困難な道程も切り抜けられます。
そして、同じ目的を持つ人と出会い、共に歩む事もあるかも知れません。
ですが、放浪者はそうではないのです。
また、寄留者は、ある目的のためにそこに留まるのです。
私達は、旅人なのか、放浪者なのか、また寄留者であるか
それによって人生(旅)はまったく変わってしまいます。
誰ひとりとして人生の目的を知って、この世に誕生した者はいないでしょう。
しかし、人生の目的について無関心であるならば、放浪の人生に終わってしまうのは
確かなのではないでしょうか?