「 知識は人を誇らせ 愛は人の徳を高める 」
私達が、普通に考える「 優れた人間 」とは、成績優秀な人、知識が豊富で学問のよく出来る人
を、思い浮かべるのが一般的かと思われます。もちろん、そのこと自体はとっても良いことです。
ですが、さらにもっと大切なことがあります。
それは、その知識や学問が何のために用いられるのか?ということです。
最近、自首してきた方なども、知識の用い方を誤ってしまったのではないでしょうか?
三浦綾子さんの小説「 積木の箱 」で、ある数学教師の言葉として書かれている一節があります。
「優しいという字をどう考える?あれは人を憂う(うれ)と読むね。
つまり、人の悩みや苦しみを共に憂う心が優しさなんだ、思いやりと言ってもいいな。
その優しいという字と、優秀の優という字、つまり優(すぐ)れているという字と同じなんだよ。
人の身になって、思いやってみることも出来ないような、つまり優しさのない人間は
真の意味において優れた人間とは言えない。」
コリント人への第一の手紙8章1節 知識は人を誇らせ 愛は人の徳を高める
という聖書の言葉があるように、知識に愛がプラスされなければならないのです。
知識だけが単独で存在するのではなく、愛との関係において成立していること。
そして、愛の働きは一時的な感情や衝動から行うのではなく真の知識とあらゆる識別力により
正しく結び合わせて行うことのできる人間。
そういう人間こそが、本当の意味で「 優れた人間 」なのではないでしょうか?