大正14年生まれの父は、約1世紀の歴史の証人でした。激動と大変化の時代を、闊達に奔放に生き抜いた人でした。戦争だけではなく、何度も死にそうになりながらも、想像を絶する強運が味方して、天寿を全うしました。

 90代になってから、記憶力が衰え、その頃から、かつて語ったことのない気持ちを、話すようにもなりました。志願して海軍航空隊に入隊したことは、もちろん知っていたけど、多くの戦友が亡くなり、「生き残ってしまった」ことの、虚無感をぽろっと・・・。木更津航空隊で終戦を迎えたのだが、その直前、たまたま横須賀に出張中、急遽空母に乗せられ、その空母が出港直後にアメリカの潜水艦の魚雷を受けて沈没してしまったこと、横須賀基地から救助がすぐさま駆けつけて命拾いしたこと。「そんなはなし、初めて聞いた」のでビックリした。なんで、今まで黙ってたのだろう。子供からすれば、「それは運が良かった」となるが、おそらく、「基地の人びとがみているまえでの負け戦」であり、「恥」と感じていたのだろう。だから、90を超えるまで、黙っていたにちがいない。

 厳しい父でしたが、小生が「ヤクザな職業」を選ぶときも、黙って認めてくれました。「あいつは、食っていけるのか」が口癖で、つい先日まで、心配してくれていたようです。有り難い話です。

 苦しむこともなく、静かに息を引き取りました。いわゆる大往生です。

 お世話になった方々には、感謝しかありません。特養ホームのスタッフの献身的な仕事ぶりにも、頭が下がります。

 良い人生でしたね。語り尽くせないほどのヤンチャもしていましたが、憎めない人でした。みなから愛される男でした。また、あの世で会いましょう。そして、来世も。