日本の古代人は、進歩に臆病で(よい意味で)、東アジアの発展に促されるように、一歩ずつ、重い腰を上げて、いやいや、新しいシステムや思想や技術を導入し、それでも、「やはり、われわれのやり方、考えを、加えていく」という作業をくり返してきた。権力を握る過程で人びとを傷つければ、王はそれこそ、祟りに脅え、あるいは、巨大な寺院(代表例が東大寺)を建立し、「私が悪かった」と、懺悔した。時代は下り、近代化に成功した日本を、世界は一等国として認めていく中、岡倉覚三は、「文芸と茶を楽しんでいた時代の日本人は野蛮で、なぜ、武力を持った近代日本が一等国なのだ」と、世界に向けて叫んだが、そのほんとうの意味を、日本人も世界の人々も、理解しなかった。保守的な日本人。縄文人は進歩を望まず、農業と文明と発展を手に入れてしまったことへの「原罪意識」を、日本人は、心の奥底に秘めつつ、ここまでやってきた。この「日本人の正体」を、ようやく考古学や民俗学が、明らかにしようとしている。われわれは、極東の島国に生活し、だからこそ、「進歩することの怖ろしさ」を、本能的に知っていたのだし、緩やかに進歩し、できれば太古の日本の姿にもどりたいと、願ってきた。この日本人の歩みが、ようやく実証されようとしている。
 ヤマトの東大寺にたたずむと、聖武天皇の慟哭、古代人の嘆きが、ひびきわたり、やるせない気持ちになるのだ。日本人よ、われわれよ、どこに行こうとしているのか。また、戻ることはできるのだろうか。魂の故郷。