ねずみと歩む25年 | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

自らの持ちネタというのはどれも自分の子供みたいなもんですから、それぞれに思い入れはあるのですが…「ねずみ」は特に、思い入れ深いネタであります。

師匠・塩鯛の元へ入門させて頂いて、三年間の修行中に十席のネタを師匠からお稽古して戴きました。
いや……正確には、最初にお稽古をつけて頂いたのは米二師匠です。

と言うのも、上方の噺家が口慣らしに最初に覚える「東の旅・発端」を、うちの師匠がされないということで、師匠の口添えで入門させてもらってすぐに米二師匠のお宅へ通い、まず「東の旅」の「発端」から「煮売屋」までを通しでお稽古して戴きました。
(ちなみに弟弟子の鯛蔵くんと小鯛くんには、僕が「発端」をつけさせてもらいました。)

その後、師匠・塩鯛からは「つる」「子ほめ」「みかん屋」「桃太郎」「兵庫船」「ろくろ首」「池田の猪買い」「寄合酒」「高津の富」の順に九席。
米二師匠から教えて頂いた「発端」と「煮売屋」を一席と数えるなら、三年間で十席。


そして年季が明けると、師匠から「出稽古に行きなさい」という一言。
「他の師匠から新たな呼吸を学んでくる」という意味で、出稽古はとても勉強になるのです。

それから米二師匠に「四人ぐせ」を、雀々師匠に「動物園」を、吉朝師匠に「ふぐ鍋」を、歌之助師匠に「ねずみ」を、南光師匠に「あくびの稽古」を、小米師匠に「掛け取り」を……という具合に、僕の“出稽古期間”が始まるのでありますが、中でも先代歌之助師匠にお稽古頂いた「ねずみ」は、その頃の自分のキャリアを考えると、まさに分不相応な程の大ネタでした。


「ねずみ」は、元々浪曲の演目だったものを、三代目桂三木助師匠(1902年~1961年)が落語として演じられたのが初めとされている、言わば東京のネタ。
それを先代歌之助師が工夫を重ねて上方に移植され、元ネタでは奥州仙台だった舞台を備前岡山に変えて、当時よく演じておられてました。
僕はこの先代歌之助師の「ねずみ」が大好きで、「是非ともお稽古を」とお願いしたところ、快諾くださったという次第です。
当時の僕はキャリア五年ぐらいの若造でしたから、今から考えると本当に、身の程知らずのイタイ前座です。


先代の歌之助師匠はとてもお優しい方でしたが、同時にすごく学者肌的なところもおありで、時には文献を紐解きながら、「ここはこうしよう」とか「ここはこの言い回しでいこう」などと、僕みたいなペーペー相手に、とても熱心にお稽古をつけてくださいました。

今から思うに、ご自身の手で移植された「ねずみ」というネタを、歌之助師匠ご自身が更に工夫を加えて、練り上げていこうとされていたのだと思います。


そんな濃密なお稽古を経てつけて頂いた「ねずみ」ですが、僕ももうかれこれ25年程演じさせてもらいながらも、なかなか「これが決定版!」という形を、見つけられずにおりました。

それがやっと今日、自分なりの“決定稿”みたいなものを見つけられたような気がするのです。

天国の歌之助師匠、申し訳ございません……25年もかかりましたわ。


いやいやいやいや、けどまだ分かりませんよ。
今日はたまたまお客様に助けて頂いただけのことで、再び思考の迷宮に迷い込むことになるかもしれません。


けれどもこうして“必死で格闘できるネタ”を教えて頂き、ずっと試行錯誤を重ねられることを、とても幸せに感じます。


本日の『米紫の会』にご来場くださった全てのお客様に、厚く御礼申し上げます。

あれ?こないだ「ねずみ」聴いた時よりも、下手になっとるやん……って思われないよう、日々精進を重ねて参ります。