落語家の恩返し | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

今も映画は好きですが、学生の頃は本当にアホほど映画を観ました。

無謀にも映画監督志望だったものですから、あらゆる年代のあらゆるジャンルの映画を、封切り館だったり名画座だったりビデオだったりテレビだったりで、それこそ貪るように観まくっておりました。

当時は観た映画を全部メモしてたので本数も把握できていて、多い年は年間500本以上観た記録が残ってました。
そりゃ勉強してる暇なんかないですわな。


多くの作品は、一時の娯楽として消費されていきました。

しかし何本かの作品は、僕の“人生の指針”となり、“生きていくための鎧”となり、また“親友のような存在”となりました。

「あー、この映画好きかもー」なんていう、生半可な思いじゃありません。
「あの作品と出会わなければ、僕は今生きていないかもしれない」ぐらいの、僕の人生に於いて“なくてはならない”映画たちです。

あの頃に出会ったあの映画たちが、今の僕という人間を形成していると言っても過言ではありません。


結局僕は映画監督の道を諦めて、落語家になりました。
映画の勉強の一環として、お芝居を観たり歌舞伎を観たり狂言を観たり、また落語を観たりしていたのですが……その中で落語が映画に、とても似ていると気づいたからです。

落語家は右を向いて左を向いて色んな人物を演じ分け、その場の情景も全て観客に想像させます。
つまり、観客の頭の中のスクリーンに映画を上映するようなものです。
なので僕の中で、映画と落語は地続きです。

そして落語の中にも、あの頃観た映画のような“人生観を揺るがす”演目というのが、確かにあるのです。


たぶん僕は落語家として、あの頃僕に寄り添い、僕を救ってくれた映画に、恩返しがしたいんだと思います。

残念ながら全くテクニックが伴っていませんが……誰かの心に寄り添い、誰かの親友のようになれる落語を演じることができれば、あの頃出会った映画たちに、少しは恩返しができるんじゃないかと。


それにはまだまだ、精進が必要です。
無精者で不器用者で、どうしようもない人間ですけれど、いつかはそういう落語が演じられれば嬉しいなと思うのです。