雨音は… 何の調べ | ちょこの間 choco-no-ma

こんにちは。
11月になりました。
今日は雨が降ってます。

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阪神優勝したよ、
おめでとうさん。
\

父の遺影にそう
話しかけてから
布団に入った夜。


さて
先月の秋晴れの日、

丘の上にあるお寺にて
亡き父の一周忌法要を
執り行って頂きました。
(日本語合ってるかな)

母は連れて来れずに
わたしと子どもらの
3人で静かにそっと。

各々にお休みをとって
来てくれてありがとう、
じぃちゃん喜んでるよ。

子どもらとの間に
色々と温度差なんかも
あることに気がついて
良い意味で吹っ切れた。

子どもらの中ではもう
既に気持ちは整理され
振り返って話すことも
無いのだなあ、そっか。

子どもらは子どもらで
既に彼らの日常の中に
戻ってる、そらそうや。
それはそれで安心です。

もう1年が経ってしまい

あの時はこうだったっけ、
今思ったら大変だったね、
みたいな話したかったな。
でもまあ、しゃあないな。

この1年ほど
父のこと(母も少し)を
毎日思ってきた日々は
これまでの人生で無い。

それにこれは本来なら
共有する相手は母です。

でも… 

認知症がなかったとしても
わたしは母とはどうしても
うまくやれそうにないです。

認知症がさせることといえ

入院を認識しているけれど
一度も旦那の面会に行かず。
(電話もメールもこないとご乱心)

葬儀に参列下さってる方を
ババア呼ばわりして指さす。
(理性がないから本性ですよね)

わたしの喪主挨拶の最中に
声が小さい!と何度も叫ぶ。
(子どもらが後で慰めてくれた ‬т т)

フラつく体を支えてた手を
払いのけるわそっぽ向くわ。
(アンタに助けて要らんとお怒り)

あ?認知症になる前から
ほぼ変わってないじゃん、
書いてて気がつきました。

それでも… 父の心残りといえば
残された母のことだと思います。

自分の方が弱々しくなっても
最後まで母を庇い続けた姿は

父を心配するわたしには
ちょっっと辛かったです。

誰も悪くないんですけど
なんかわたしだけ悪者に
させられているみたいで。笑

わたしが実家へ行った時に
父の介助をしようとすると
母が飛んできて拒否をする。

わたしが母に抗議をすると
母はブチ切れて無茶をする。

そんなやりとりを見て父は
喧嘩はやめて、仲良くして
とわたしにだけ訴えてくる。

実際は

細かく刻まれていないから
食べられなくて弱ってるのに
パパ全然食べなくなってん、
と自分だけガツガツ食べる母。

もう自分では起きれなくて
同じ姿勢で寝かされ続けて
褥瘡だらけになっていた体。

ついに父は力尽きてしまって

病院へ搬送されるまでの間ずっと
手足を動かしてもがいていました。

心身ともにもう限界を越えていて
もうたくさんだ!もうイヤだ!と
声にならない声で叫んでいました。

脱水症状と誤嚥性肺炎と敗血症。

何も出来なかった自分を責めて。
介助を妨害し続けた母を恨んで。
介護職に就いたのに情けなくて。

最期に過ごした病院での
痩せてしまった父の姿は
いい加減に上書きをして

元気だった時の姿だけを
思い出してあげたいのに
なかなか出来ないんです。

握り返してくれた手の力。
聞き取れなくなってく声。
静かにひとり旅立った顔。

家に帰してあげられず
申し訳なかったし
兄弟に知らせる機会も
ないままの最期で。

それでも… 
喪が明けたのだなぁ。

そうだな… 
自分なりにこの1年を
出来る範囲で頑張った、
そこは褒めてあげよう。

やっぱり長かったようで
早かったです、この1年。

そろそろ
神社へお参りなども
出かけてみようかな。

まだまだ
整理出来てないので
相変わらず支離滅裂。

記憶が薄れていくから
まとめたいと思うけど
それもそれでよきかな。
大事な事だけ残ったら。


雨と一緒に涙が出たら
少しスッキリしました。




おしまい。