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社会問題から自分の思う所、本当は誰にでもある感情を探っていきます。

お金が生まれてから対価を求めずに相手に与えることが、どれだけ難しくなっただろうか。

例えば子供の時、お金なんてなかったが、近所のおじさんやおばさんは私にすごくよくしてくれた。
例えばどこかへ私を連れて行ってくれた時、わたしがお礼にしてあげたことといえば、似顔絵をあげたり、原っぱに落ちていたどんぐりをあげたりしていた。
でも大人になって考えてみれば、わたしをどこかに連れて行ってくれた時、その人は仕事の休みの日だったかもしれない、家事ができなかったかもしれない、車を出してくれた時はガソリン代がかかっただろう。その人も楽しんでやってくれて、見返りを求めずにやってくれたことではあるが、絶対になんらかの代償を払ってくれているのだ。
しかし、わたしはその人の仕事量に対してお金を払ったわけではない。

一方わたしが大人になって、友達に夕食を振舞ったり、友達がお金がない時はわたしが多めに払ったりはしたことがある。友達が制作を手伝って欲しいといえば、お昼ごはんをお礼されたりした。
お金が発生すると、親切心に感謝する気持ちよりも、この人はいくら払ったのだろう、と心配したり、私今回お金使いすぎちゃったな、と内心げんなりして、ついついお金の方に目がいってしまう。

相手に時間をつかう、ということは、わたしの時間が少なくなることに他ならない。
それはつまり、わたしがバイトに行けなかったり、と間接的にはお金と関係している。
特に学生のうちは、よくそういうことを考えた。
友達の手伝いをしてはあげたいが、時間は限られているから、そうすると私はバイトに行けなくなる。すると、わたしが困ったことになる。

でも子供の時のことを思い起こせば、私は無償の手助けを受けていた。
私はその人の気持ちにささやかな物でしか答えていない。木の実とか、似顔絵とかだ。
それでも相手は「このことはお母さんには内緒よ」と、言う。
お母さんが知ったらお礼を持ってきてしまうから、それが嫌だったのだろうと思う。

大人になって金銭というものが切り離せなくなってしまった。
すごく残念なことだと思う。

お金は人との繋がりを薄くしたからだ。

お金がなければ人はその人の好意に甘えるしかない。

お金があると、これだけ払うからこういう事をしてくれないかと、頼む。
相手は相手のことを純粋に思ってするのではない、見返りがあるからするのだ。
お金を払ってくれる限りは誰でもいい。

例えば引越しをする。引越し業者に頼むのが大多数の人たちだろうが、昔は引越し業者なんていうのはなかった。その時には家族や、近所の人が手伝いに来てくれていた。
引越し業者はお金を払ってくれる客であれば、誰にでも同じことをする。

セックスと売春の違いだ、とマーク・ボイルは「ぼくはお金を使わずに生きることにした」という本の中で例えた。

セックスは愛情で行うが、売春はお金のない相手には行わない。



お金をもらわずに相手にできる行為、最近した見返りを求めない親切、いったいあなたはどのくらい思いつくだろうか。

相手に親切にすると、結局それは自分に返ってくる。
情けは人のためにならず、ということだ。

この世の中を良くするために、お金が第1番に必要なものではないだろう。
それではお金持ちしか世の中をよくできないことになってしまう。

この世の中を良くするために必要なことは、見返りを求めない、ということだ。
自己犠牲や、自己愛を持たないということではない。
相手のことを考える、そうすると相手も自分のことを考えてくれる。
親切心は親切心で返ってくる。基本的には。

これは実は大変なことだと思う。
我々の生活は時間が切り売りされたり、仕事が忙しかったりして、誰かのために何かする、ということがすごく難しいくらい、忙しいからだ。
忙しいは心が亡くなる、と書く。
思いやりが持てなかったり、見返りを求めてしまうのは、心が死んでいるからだ。