仕事は大変だという。
学生のときは勉強が仕事。
就職したら、職を全うすのが仕事。
結婚して、主婦や主夫になったら、家事をするのが仕事。
なんで仕事は大変か。相手がいるからだ。誰か満足させないといけない相手が。
勉強ならテストがある。そのテストの点数の良し悪しで自分が認められたり、認められなかったりする。認めるかどうかを決めるのは、先生だったり、親だったり、進学先だったりする。
就職したら、クライアントができる。
そもそも”働く”とは”傍楽”ということで、はたを楽にさせる、誰かを楽にさせるために、働くという意味だ。
私はこれできないから、あなたがやってちょうだい、対価払いますから。ということだ。
私にでもできる程度のことをプロにやられては当然満足できない。
主夫・主婦になったら、家族を満足させないといけない。
私が外で働いてくるから、家のことはやっておいてね。
僕学校行ってくるね。
家事ってすんごく些細なことなのに、本当に大変だ。別に誰かが評価してくれるわけでもない。お給料だってでない。されてごく当然のこと、という認識を家族が持っている。ありがとう、とか言われない。
昔、「鬼嫁」というドラマで、笑い転げながら納得してしまった話がある。
夫「誰のおかげで飯食えてると思ってんだよ?!」
鬼嫁「はー? 私が作ってるからでしょ!」
笑笑笑
鬼嫁すごいなーと思いました。
夫の台詞の後に、おそらく多くの視聴者は、「はい、あなたが会社で働いて、お給料を稼いできてくれているおかげです。」という返答を予期していただろう。
鬼嫁に同感します。しゅふは 一番大変な仕事と思います。
話は逸れるが、一番大変というか、忙しいのは一人暮らしの大学生だと思う。
家事もしないといけない。勉強もしないといけない。バイトもしないといけない。
忙しく働いても、お金がない。
3つの仕事を一人でこなすのは効率がすごく悪い。
あー!もう忙しくってヤダ!って言っている大学生の読者がもし居たら、その理由が今日わかってもらえたかもしれない。
仕事の反対に位置するのは、趣味。
趣味は楽しい。趣味はストレスの発散になる。
テニス、ゴルフ、ヨガ、運動から、DIY、絵画教室、陶芸教室、、、
なんで楽しいか。評価を心配しなくていいからだ。
自分の好きにしていい。
錦織圭になれなくても、
大工みたいに上手じゃなくても、
ピカソみたいね、って初心者に言ったら確実に褒めてない言葉をもらっても、
自分が満足していればいい。
ピカソと言われても、鼻を高くして誇らしげにしていたらいい。
そして、ずっとやっていると、確実に腕があがってくる。
そこで浮かび上がるひとつの気持ち。
周りに評価されたい。
自分の実力は趣味なんかじゃ終わらない。
仕事にできるんじゃないか。
そうゆう気持ちが芽生えたら最後、趣味は趣味じゃなくなる。
自分の実力を試そうとするのは、すごくいいことだと思うが、趣味が仕事になった時、
自分を取り巻く景色が一変することは覚えておいた方がいい。
自己満足から他者を満足させることへと、矢印が変わった。この変化は大きい。
同じようなことは、趣味を仕事にしなくても起こりうる。
他人を意識しすぎることによって、自己満足できなくなると起こる。
例えば、私より上手なあいこさん。あいこさんにはいつも敵わない。
私はなんて下手くそなんだろう。なんで上手に出来ないんだろう。
そう考えだすと、趣味はもはや楽しくなくなる。
なぜか。
周りから評価を得ることで、自分を満足させようとしているからだ。
最近ヨガを習っているが、ヨガのクラスで、自分を見つめてください。と言われる。
自分の呼吸に集中してください。
色んなポーズをとりながら、腹式呼吸を繰り返す。
鼻から大きく息を吸い、お腹を膨らませる。そして、大きく吐き、お腹を凹ませる。
たったこれだけのことなのに、随分と楽な気持ちになる。
私は最初のヨガのクラスの後、不眠症なのが、その日はすぐ入眠できた。
私の友人は、クラスの最後の方、みんなが起き上がっている時に、なぜか横たわったまま。よく見ると、既に寝入っていた。笑
この例でわかってもらえるように、自分に目を向けることは実はすごく大事だ。
(読むだけじゃわかってもらえないかのしれないので、リラックスを売りにしたヨガ教室で体感してきてもらうことをお勧めします)
繰り返すが、仕事と趣味の違いは、
仕事は誰かのためにすること。
趣味は自分のためにすること。
趣味は自分が楽しむためにするから、ストレスは当然たまりにくい。
もちろん上にでてきたような場合は別だが。
では、趣味を仕事にしたらストレスは溜まりにくくなるだろう。
それでも、前述のように、厳しい現実を目の当たりにして、趣味を嫌いになってしまう場合もあるが、自分が満足できるものを、周りにも満足してもらえる仕事に就いていれば、当然ストレスとは無縁だ。
本来仕事とは自分に目を向けられる仕事に就くべきなのだ。
それを適材適所というのだろう。
仕事で、ストレスを感じる人も、掘り下げてみると、仕事というタスクに対してではなくて、具体的に話せば、そこに、誰かの存在がでてこないだろうか?
自分のしている仕事に対して不満そうな顔をしている誰かが思い浮かばないだろうか?
もっと言えば、自分の仕事に対して不満そうな顔をしているのを見て、できない自分に幻滅することにストレスは由来しないか。周りからの不評により、疲れてしまっているのだ。
もしくは、誰かを幻滅させないために、言いたいことが言えない場合もあるだろう。
最近残業続きで、たまには早く帰りたいんですけど、なんて周りの人が必死でがんばってるのに、上司に言ったら、クビになるかもしれない。
誰かの不満な顔を見るのが怖くて、疲れてしまうパターンだ。
誰かを満足させるために頑張るのって、大抵の場合疲れるもんなのだ。
世の中天才なんかじゃない人の方が多いんだから。