『"わだかまり"の存在意義…』
なんだか停滞感というか
無力感というか
モノゴトが進展していかない感じがするのは
やる氣がどうの…
意識レベルがどうの…
表面的な理由も全く関係ないワケでないけれど
深層構造として多く拝見してきたのは
抑圧されたパターン
"心のブレーキ"とはちょっと
いや随分違う
それは
"図らずも、ハンドルを切って、アクセル踏んでしまう"パターンだから…
本当は
傷ついたり
悲しかったり
怖かったり
していたモノゴトを
今より幼かった当時の自分は
受け容れることが出来なくて
誤魔化したり
我慢したり…
今より視野が狭かった当時の自分は
多くの選択肢や可能性が観えないうちに
窮屈な道を一途に決め込んで
他の道を閉ざしてしまったのかもしれない
抑圧されたというより
自分自身が抑圧したエネルギーが
四六時中、「わだかまり」となって
深層にあるココロの器に満ちている
忘却の時が永く過ぎた頃
縁起として現れるモノゴトが切っ掛けになり
情動が揺さぶられる。
揺らしてくれているのは
外にあるモノゴトでなく
内にあるココロだということに
なかなか氣づけない…
自覚(self-awareness)が及ばない…
愛情の対極は憎悪でなく無関心。
「氣づき」が無いのは、愛の対極を生きてしまうコト…
どれほどの高性能な機能を装備しても
完璧なタイミングでシャッターをきっても
何時も同じ投影になるのは
満たされた光を悟ってしまったか
または単にキャップが外れていないから…
光が其処まで来ているのに
全てを遮断しているのは小我のキャップ
「氣づき」は光
全てのプレゼンス(presence)を照らす光
「氣づき」はその影を照らし生かす
楽になるコトが癒やしとは限らない
光は誤魔化さないから時にかなり刺激的
決して"そのまま"じゃいけない
光が導くのは"在るがまま"
コトバは似ているかもしれないけれど
その道は退化と進化、全く逆
光が満ちていくと、影は道に成る
自分も誰かをも
自分本来のプレゼンス(存在)へと
ガイドしてくれる
きっとだから
"全ては光"って云うんじゃないかな
--
深層の核に在る自分のプレゼンスへは、情報や知識じゃなく、他の誰かでもなく自分自身による「自覚(self-awareness)」でしか到達出来ないと信じるようになったからこそ、コーチングや「自覚(self-awareness)」を深めるパーソナルコンサルティングに注力していこうと思う今日この頃^^
