すでにいない | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。



AKANE公式ラインが終了して
もうすぐ1か月が経とうとしてて。

コミュニティの皆さんとは
やり取りしていますが、以前の5分の1の量かな。
少し寂しいけど、
AKANEに会いにキッサコに来てくれる方もいて、
(みんなバーボンのお土産付き😁✨)
またキッサコに贈り物が届いたりしています。
本当にありがたい💛💛💛





どこそのさんからの一人飲みセット🍺😆



明美さんは定期的に手作りキムチを送ってくれます😍






You Tubeライブは
なかなか出来ないけど

コミュニティでは
メンバーさんたちとzoomで繋がって
楽しくお話させてもらっています。


このメッセージは
本当に誤解しかされなくて
嫌な思いもしてきたけど

伝わる人に伝われば
それでいーんだよね。


ここからは
恐れをゆるめないと入らないって 
よく出るから、
信念へのアプローチが先かもとか
そーゆーアイディアが
みんなを混乱させちゃってるかもしれないね。


でもここからは
その恐れのエネルギー(防衛反応)が
歓びで出来ていることが明らか。

だから
この無意味な活動が
起きてくるのかもしれない。
知らんけどwww



言葉は同じでも
恐れからの発信か
歓びからの発信かは
一目瞭然。


ま、なんにせよ
同じこと。


このシンプルなメッセージが
個人に聞こえないのは、
個人が時間の中の産物だからなんだよね。

それと防衛反応ね。







次男坊、晴れの卒業式☺️





ストーリーはストーリーでしかなく
経験はただの反応であるだけで

そこに意味や価値がないことは

個人にとってみたら
味気のないつまらないものだろうな。


だから
聞こえないのではなく
聞きたくないんだよね、きっと。



ストーリー上では
キャラクターの
いろんな役割があるから
(AKANEなら母親業やカフェ経営とかね)

気づきの後の日常生活ってどんな感じなの?
ってよく聞かれるけど、

ストーリーしか知らない個人が
ストーリーに当てはめて解釈しようとすることだから

もう絶対に外してしまうんだよね。


『知る』のではなく
未知、『知らない』ことだから。


知らないことを知りたい動きは
【足す】動き。

気づきは足し算じゃない。
そして引き算でもない。



イコールだけ?(笑)


ゼロ。

対象がない
それ。

意味のない
それ。



それを知る者は
すでにいない。





茨城の桜は7分咲きくらいかな〜







現在、コミュニティは定員を満たしているため募集はしていません。
※次回は5月頭に募集しますので、興味がある方はチェックしておいて下さい。
募集人数は限られますが、よろしくお願いします。


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