恐れの核シェルター | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。



大変お久しぶりの更新となりました😅


本当、You Tubeしかり
今これが言いたい!書きたい!
がなきゃ
アメブロのアプリの存在さえ忘れているという(笑)




霞ケ浦道の駅から





今日は家族旅行で
茨城県のいつもの海岸に向かっています。
同じ茨城県といっても、私の自宅からは2時間半💧
思ったより気温が上がらず、海水浴も台風の影響で荒れていて入れるか微妙〜〜😂





さてさて、

最近よく感じること。

それは
分かったことにしてしまうエネルギーです。

自己の不在に気づいた『私』のストーリーのお話です。


主体感覚がありありとした中で、
自分など無かったのだと気づいたとしても
そこにそれを分かった何かがいませんか?
という、お話です。


非二元は
理解の上では簡単なことです。

そして何より陥る最大のトリックが、
分かったつもりにして蓋をしまう自我トリックなんです。


これにハマってしまうとマジで厄介です💧

一度「悟りを手に入れた私」と
そーゆーことにしてしまって
恐れに蓋をして鍵をかけてしまうことは、

生きて発酵している日本酒に蓋をするようなもので
より探求心に拍車をかけます。


臭いものを隠しても、
隠していることをどこかで知っているわけだから
その罪悪感が増幅するだけで、
得をするのは恐れを誤魔化している表面的な自我だけです。
(もちろんこれはストーリーだし、それも起きているだけで問題はないです)


静寂を発見し
静寂こそが真のワタシだと決めつけてしまった個人は、
恐れの核シェルターに入ってしまい
出てくることは困難でしょう。

ちゃんとそこにある探求心を素直に認めることは
自我には難しいでしょうね💧





海岸についたどーー
ピーカン☀晴れやぁ〜〜






気づきは
自己の不在が明らかになることであり
つまり、探求している自己の終わりです。

私という思い込みからの解放であり、
探求エネルギーの終わりです。



何かを知る誰かの終わりは
ラクや幸せの状態になることではありません。


どんな感じであれ、
それだけがリアルそのものであり
それ以外の可能性がないことが

ただ
明らかになるだけなのです。






明らかなここからは


どーだってえーねん♪

っていう自由が在る。

だってどーしたって
それしかないんだから♪










メンズよ、海を感じろ!
母はイケメン肴に酒盛りさぁ〜🍺


エンジョイ♪