みんながこのメッセージに惹かれることに理由はなくて、
ただ起きていること、本当にそれだけなのですが、
気づきを特別視せず、
所有出来ないことを知り、
自分を救うための方法論とせずに、
感覚的にエネルギーをまとうように
ここからのメッセージに触れている人。
そーゆー人は、
こないだのライブのAコートBコートの違いに気づいてくれるんかなと思いました。
これって多分
分かっても分からなくてもどちらでもいいという、開いた、いい意味の絶望にいるのかなと。
Yさん∶
あかねさんのおっしゃるように、
開いたいい意味での絶望というのは、
このメッセージに触れるにつれて実感している気がします。
希望がないことの心地よさというか、どこかへ向かおうとしていたエネルギーがとっても弱まって軽くなったというか。
トニーは、"これが、compassion (慈悲、思いやり(でしょうか?))" だ。" って良く言っていて、
最初は、こんな個人にとっては、酷いメッセージが?と思っていたのですが、今はあかねさんを含め、世界でも数少ない妥協のないスピーカーの個人の希望やビリーフを壊すようなメッセージこそが、コンパッションだと感じています。
批判をしてくる人たちは、気づいちゃった私、悟った私を否定されたと思い、噛み付いてくるのかもしれませんね。
それでも、批判に負けず、これからも個人に向けてないあかねさんから出てくるコンパッションをシェアしていっていただけるのを願っています!
もう一回言います、あかねさん最高です!
国産生モツをトロトロに煮込んだ絶品✨✨✨呑んべぇが作るつまみに間違いはないぞな〜〜
個人に向けた
心地よいメッセージ
目覚める誰かが大前提のメッセージ
それは恐れからのパッションだ。
ここからはね、、、
慈しみの静かな歓びが溢れているんだよ。