二重自我トリック | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。


こんにちは🤗✨

いつもありがとうございます。



よく


『気づきが起きました!』

『私がいないって分かりました!』

『本当に自由意識なく全自動でした!』

『愛しかなかったです。』


などというメッセージをもらいます。



でも

ここからは


「それ知識だよ。」

「気づいた誰かがいるよ。」


などど反応が出ます。







親子競技💨




みんなから


『何が違うの?』

『何であなたにはその違いが分かるの?』


って反応が出ます。




でもね、

ここからは、皆さんからのメッセージが

『あり得ない感覚』なのです。



ダイレクトを外していることが明らか

というか、だからそのような返事が出てしまうんです。



  



Shoさん∶(先日お話会でコラボしてくれた方です)



個人にとって、こういう自我トリックスピーカー(個人に希望を与える発信をしているスピーカー)の話の方が誤解しやすくしっくりくるのは、

自分と同じ『主体の視点』に立った話だからでしょうね。



全受容や完全性というものが個人にとって、真我だろうが全体だろうが主体と一体化したりその視点に立ってつかんじゃうと、もう分離だから対象となり、

確かにあるように感じるけど本当はない、て、打ち消すような感覚になるんでしょうね。


正しさ争いのない、すべてが愛、を個人が対象としてつかむと、憎しみに対する愛となり、

間違いに対する【正しさ】となってしまう。











ここでは、


『気づきました!』


という個人に対して

正しさを使ってジャッジをしていないのです。




ただ

非二元で指している完全性を外していますよ!って

お伝えしているだけなのです。




でも、

それが伝わらなくて

「否定された」と取られてしまうことがしばしあります。



それは

恐れからの防衛反応であり、

その反応が出るということは、

頑なにそこに個人というエネルギーがあることが明らかだからです。




ま、それも受容の中の物語ですが。










頑張ったご褒美💛