学校生活は、勉強も人間関係も
思うようにいかないことが多かったね。
戸惑い、悩み、苦しんでると、
周りのみんなが平然と生きてるように見えた。
こんな思いして頑張ってもちっともよくならない。
私にはムリ、出来ないことなんだ。
「できる人」は頑張ったりしない。
頑張ること、一生懸命やることは
できない人、ダメな人がやること。
カッコ悪いこと。
そんなとんでもない勘違いが固定観念になった。
自分の「ダメ」がバレること、
カッコ悪さをさらすのが怖くて、
「やらないからできない」という言い訳を作った。
「やればできるんだ」と見せかけて、
自分も「ほんとはできる」って思いたかったんだね。
できなさそう、ムリそうと思うたびに
「やらない自分」になっていった。
生きてることがつまらなくて、
10代で心は枯れてた。
それでも人生、
頑張らなきゃいけない状況は何度もある。
「やりたくないのに」という気持のまま
なにをやってもおもしろいはずもなく、
辛い苦しいと感じた。
ますます頑張るのは嫌だって思ったし、
一生懸命する気力なんてなかったね。
そうやって何十年も生きてきたけど、
私の内なる思いは違ってた。
空っぽの自分に気づいてから、
理由の分からない焦りや不安をずっと感じて
いつも「何か」を探してた。
やりたいこと、打ち込めるものが欲しかった。
「このまま人生終わるのは嫌だ」
「自分を変えたい」って心底思った時。
ただ、現実を変えたくて
新しい環境に飛び込んでみた。
すごく勇気が要ったし、怖かった。
でもやめようとは思わなかった。
そんなこと思う余裕もないほど
必死だったし、夢中だったね。
わからない、できないから
頑張る、一生懸命やるしかない。
スキルなんて簡単には身につかないけど、
心が満たされてるのを感じたね。
そうか。
私、ほんとは頑張りたかったんだ。
一生懸命生きてみたかったんだ。
そう気づくと、日々の生活が違って見えるようになったね。
一生懸命になれるものをわざわざ探す必要がなくなった。
ただ、自分が一生懸命やるだけのこと。
例えば、
朝起きてちゃんと顔を洗うこと
「おはよう!」って気持ちよく挨拶すること
人と誠実に関わること
「美味しい」って味わいながらごはんをたべること
などなど
一生懸命生きるって、
きっとこんなことを積み重ねていくこと。
あたりまえのことでも、
一生懸命やるだけで心が全然違う。
「私も頑張ってる」って思えるから
自分がよろこぶ。
周りのみんなも頑張ってるってことがわかるから
感謝の気持ちがどんどん膨らむ。
ブログも同じ。
たくさんの頑張ってる人たちがいることを知って
励まされ嬉しくなる。
ここまで見に来てくださる方には
本当に感謝しかないって思うね。
何かを得ようと外に手をのばしてもキリがない。
掴んでもまた別のものが欲しくなる。
そんなことを繰り返すから空っぽのままだった。
だけど、自分の中のたったひとつの一生懸命は
一瞬一瞬によろこびと感謝をもたらしてくれた。
頑張ること、一生懸命やることは
生きてる実感を得られるもの。
ちっともカッコ悪い事じゃなかった。
世界が色あせて見える時は
「どうせ」「なんとなく」になってるお知らせ。
ちょっとでいいから頑張ってみよう。