友だち屋☆井部心暢 です
メンタルセラピストで
介護福祉士で
双極性障害サバイバーです
原家族というのは、自分が生まれ育った家族です
いまの私は原家族を離れ、娘と猫と暮らしています
夫とは、娘が2歳のときに死別しました
昨年、コロナ禍のただなかで、娘はハタチになりました
私の原家族は、両親と3人きょうだいの5人家族でした
家族がきちんと機能するかどうかは母親が大きなカギを握っています
母親が「母として」きちんと機能していれば、その家族は安泰です
万が一、母親が母として機能していなくても、母親をフォローする父親がきちんと機能していれば、まあ安泰です
ここまで言うと「私はドジでマヌケで母親として失格です😢」と、誤解されるお母さまがおられるのですが、
母親も父親も、ドジでマヌケな「人間味」があることは、むしろ良いことです
では、母親の役目とは何でしょう
大きな役目のひとつに「家族みんなを結ぶこと」があります
それには、ドジでマヌケなほうが、家族で笑い合う機会が増え、むしろ良いことです
母親は人間です
人間は完璧ではありません
身をもってそれを教えるのも母親の役目です
「失敗しない」ではなく、
「失敗したらどうするか」
完璧ではない人間ですから当然だれでも失敗します
そのときには、みんなで笑い飛ばして「さ、失敗を片付けよ!」と、みんなで片付けるのが最善の方法ではないでしょうか
想像してください
母親が失敗したときに「なんてダメな私!」と自分を責め、ひとりで懸命に片を付ける姿を子どもは見ています
くわえて、同じように自分で片を付けさせようと子どもの失敗を叱っていたら、子どもは失敗を恐れるようになりますし、他人が失敗したときに同じことを求め、寛容ではなくなります
言葉では「いいよ」と許しても、心は許していない状態になります
それは、生きるうえでとても窮屈で、自他ともに良いこととは思われません
本気で笑い飛ばして「いいよ!いいよ!」と言えないと、年月を重ねるほど苦しくなって、最悪の場合、人として破綻します
母親の役目のひとつは、子どもが「自分の人生を生きやすい感性の人間になれる」よう工夫を凝らすことです
私の母は、むしろ親戚や父の悪口を子どもに訴え、家族、きょうだいなどの人間関係を裂く人でした
だから、きょうだいでさえバラバラで、私はいつもひとりで孤独でした
母は自分がいちばん大切で、子どもの命さえ自分のために使おうとする人でした
私は母の求めに応じ、母の代わりに、突きつけられた包丁の前に立ったことがあります
母の代わりに、次の瞬間に死んでもおかしくない状況でした
母は、私に生きる楽しさなど教えてくれませんでした
母は、自分が抱いている絶望を子どもに押し付けて自分だけ救われようとする人でした
人は、人生が楽しいと思えれば生きていけます
総じて、母親の役目は「子どもに人生の楽しさを感じてもらうこと」です
人生が楽しいと思えれば、そのとき苦しくても、ずっと苦しさが続くとは思いません
つまり、乗り越えられるのです
私は娘に「ごめんなさいは?!(謝りなさい)」とか「挨拶しなさい」とか言ったことはありません
娘が喋れないほど小さいころは、私が娘の代弁をしていましたので、それを見て自然と口にするようになりました
いま、娘は礼儀正しい子だと言われるし、「自分が悪いと思ったとき」「謝っといた方が面倒ないとき(大人な事情のとき)」にのみ謝っています(笑)
納得していないとき、謝りたくないときに謝るのは心を病むもとですから謝らなくていいです
娘はそれでトラブったことはありません
むしろ私のほうが「すみません、すみません」とうるさいほど多用していました
けれどいまは「すみません」を「ありがとう」に代えて多用しています
卑屈さはなくなり、自信を取り戻し、変に絡まれる(いじめられる)ことは格段に減りました
躾や精進のために、子どもに過度な苦行をさせる必要はありません
楽しい結果のない苦行は、のちのち子どもを破綻させます
人生はフツーに頑張ったらフツーに楽しいと伝えられればいいと思います