父親の思ひ出与太話 | 華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

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ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

予約投稿。

今日(11日)は私の父親が亡くなって6年目の夏を迎えました。

早いもので既に5年もの月日が流れ、もうそんなに過ぎたんじゃのうと、どうにも実感が分かんです。

まいど毎度この日には亡き父親のことをブログで書いている気がしなくもないですが、これでも私、父親のことは今でも正直嫌いなんですよ。

過去に父親から受けた裏切りは許せれないし、私の頭の中に記憶として植え付けられている限り、一生涯許すことはありません(私は死んでも根に持つタイプなので)。

定職にも就かず仕事はしない、毎日フラフラとギャンブルで渡り歩く、家に居てもテレビを見ながらダラダラと酒を飲んで寝る、典型的なダメ親父…。

しかし、その一方で困っている赤の他人(大半は女性だが…苦笑)のために借金をしてまでお金を工面して面倒を見たり、戦後間もない食糧難の時代、ユニセフの支援で始まった学校給食と栄養剤の配給を受けた恩義に今こそ報いたいと言い出し(※)、珍しく出稼ぎ(九州の炭坑)へ行き、3年間のお給金の半分以上、博打でこさえたゼニの全額、当時の金額で300万くらいをユニセフに寄付したりと、意外にお人好しで義理堅い面もあり、根っこの部分はひいじい様やじい様と同じく任侠を重んじ、自分の利害損得に関係なくここぞという時にきっぷの良さを(たまに)見せる人でした。

※キッカケはフィリピンのマニラへ旅行に行った際、貧しいスラム街やゴミ捨て場で低い収入でその日暮らしを強いられている幼い子供たちの過酷な現実を目の当たりにし、戦後間もない頃の焼け野原だった広島市の荒れ果てた風景と原爆・戦災孤児の姿、お腹を空かせて辛かった当時子供だった時の自分とを重ねたらしい。





そして父親は遊びに関しては名人級で、遊びのことなら父親の右に出る者はいなかったことから、健全・不健全なものも含め色々な遊びを教えてもらい、休日にはパチンコや競艇、雀荘、馴染みのキャバレーやスナック、そして当時はまだ珍しかったファミレスなんかにもよく連れてってくれました。

仕事詰めでロクに子供とも遊ばない、子供に暴力や虐待を加える親、最悪子供を殺す親だって珍しくない昨今、そういう心無い親に比べれば仕事はしないけど子供と遊ぶことを優先する、子供と遊ぶことを楽しむ親だった私の父親はそういう意味では子供に対する愛情はちゃんと持ち合わせていたのかもしれませんね。

大人として、親としては欠陥だらけだったけど、一人の個性ある人間として見れば悪い面ばかりでもなかった、ゲ○ゲの鬼○郎のね○み男みたいな父親でした。





本当は墓参りに行ってやればよかったのですが、半身麻痺の残る今の身体では100段もあるキツい傾斜の階段の先にある墓まで歩いて行くことは出来ないので、ひよこや従甥たちに頼んで今週の休みあたりに墓参りに行こうと思います。

せめて杖を突いて自力で墓参りに行けるよう、リハビリは頑張ろう…。