
↑ひいじい様が戦後、戦災遺児や戦争で働き手の夫や父を亡くした寡婦・母子家庭の救済のため、街頭や各世帯を回って浄財を募る際に募金箱代わりに用いられたウィスキー(?)か何かのボトル。キャップには硬貨が一枚通るだけの切り欠が開けられている。私もひいじい様に倣ってこれを使い、友人や知人、親戚、町内の近隣住民に寄付をお願いする際にコレに入れてもらっています。
去年の広島土砂災害で地元が被災し、いつも寄付に協力して下さる地元有志の方々も自分たちの生活再建、生きていくのがやっとな状態であるコトから今年はなかなか寄付が集まらず。
そして私自身も被災者で、今年は自宅を新築で再建したコトもあって経済的に厳しく、例年なら集まった寄付とは別に日頃から小遣い稼ぎした中からコツコツ貯めていたゼニを数万円ほど包んでいましたが、今年は3000円ほど…(汗)
しかし、こういうコトは一時的な寄付(その場凌ぎ)ではなく、年に数回だけだとしても毎年継続してコンスタントに寄付をするコトにこそ寄付の意味があると私は考えるため、金額の増減よりも絶えず続ける“継続力”を大事にしたいです。
もちろん、寄付の額が多いに越したコトはありませんが、額を増やすコト(目標達成)だけに躍起になり、寄付する本来の意味や目的を履き違える、忘れてしまってはいけません。
寄付した・された額の計算上の数字を見るのではなく、寄付したゼニの向こう側にある人の顔やその人の生活を思い浮かべる──それが大事なんだと私ゃ思います。
──なんて、ガラにもないコトをマジメ腐って書きました、私自身は「自分が困った時に助けてもらえるよう、自分も恩を売っておく」という、やや打算的な理由により寄付をしている節もあるので、偉そうなコトは書けないですな…σ(^^;)
まぁ、とりあえず行ってきますわノシ

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