
来年は被爆70周年の節目を前に例年以上に国内外問わず参列者や観光客、平和活動家、報道機関でごった返すも、市内は平和への祈りからしめやかな空気に包まれていました。
しかし、その一方でこの日に乗じて政治団体同士の激しい論戦、原発反対派の市民グループによる座り込みデモなどもチラホラ見かけ、不測の事態に備え、例年以上に大勢の機動隊や警察が物々しい警戒態勢を布いて監視しているなど、ピリピリした一幕も。
でも、ここに訪れる方の大半はそういった政争や主義主張と関係なく純粋に平和を祈る市民や観光客がほとんどであり、厳かでしんみりした雰囲気ながら、どこか明るくて穏やかな感じもした。
賛否両論は分かれるかもしれませんが、何時までも悲しみに暮れて暗い空気のままよりも、今のようなちょっとお祭り気分のような賑わいがあった方があの日原爆で命を落とされた被爆者たちも70年近く平和を保ってきた日本、放射能で汚染され、戦後70年以上草木一本生えないとまで言われていた焼け野原で生き残った市民は希望を捨てず、あきらめるコトなく復興に邁進し、戦後10年ほどでほぼ市内は復興し、現在のような中四国地方の主要な経済都市、自然豊かで文化的な平和都市へと発展した広島市を見てほんの少しでも慰めになるんじゃないかと思う。
核兵器廃絶が未だ成らず、今なお戦争が続いているこの世界の現実を考えれば被爆者たちが望んで止まなかった平和とはまだまだ程遠いかもかもしれないが、彼らが生きたくて生きたくて仕方がなかった未来を自分たちの代わりに生きてくれている後世の人たちが幸せに生きる姿を見せるコト、原爆で命を落とした被爆者たちの犠牲を無駄にせず、平和について真剣に考えるコトが今を生きる我々が亡くなった被爆者たちに今出来る精一杯の供養です。
そういう意味でも、広島原爆の日という今日は国籍や人種、言葉や習慣、宗教や思想の違いに関わらず、自分とは違う人と交流し、触れ合い、平和について考えるいい機会じゃないでしょうか。
最近は集団的自衛権の行使に絡む憲法解釈、積極的平和主義を巡っての問題もあって、何かと難しいコトも多いとは思いますが、自分個人の意見としては平和主義と国防は別問題なんじゃないかなぁと思います。
どんなに平和の尊さを説き、訴えたとしても、現実的な問題としてそれらに耳を傾ける気がない者、悪意のある侵略者の圧倒的な暴力の前にして平和主義は限りなく無力です。
だからといって敵にみすみす侵略を許し、無抵抗を決め込むコトは“平和主義”と呼べるのかと言えばそれも違う気がします。
悲しい現実ですが、暴力にはそれと同等の力──例えば自衛隊や在日米軍などの実力を以てしか対抗出来ないし、子供の躾と一緒で口で言って分からない相手には時には“お灸”を据えなければいけない場合もあります。
そういうところが一概に軍隊や武力が悪いものとも言い切れないのが難しいところです。
それを踏まえて自分たちの国を守るためにはどうすればいいのか、今の自衛隊を将来的にかつての“旧日本軍”のように正式な国軍とし、集団的自衛権も幅広く容認するのかどうか、こちらもよく考えていく必要があると自分は考えています。
平和国家としての日本の在り方、その日本がどのように自国の平和を守りつつ世界の平和に資するコトが出来るか、ここからが正念場ですよ。
何か、話が逸れつつある&いろいろ書き始めるとキリがないので、そういう難しい話はここいらにしておきます…(汗)
今は原爆で亡くなられた大勢の被爆者たちの冥福と核兵器廃絶と戦争のない世の中になるコトをただただ祈るコトとします…。