AKの設計者と有名だったミハイル・カラシニコフ氏の訃報の記事をネットのニュースで知った。
AKといえば“共産圏の代表的な突撃銃”、“テロリストやゲリラなどの非合法な方々御用達の得物”、“小さな大量破壊兵器”という何となく悪役のイメージが強く、負の面が拭えない突撃銃だから、それを生み出したカラシニコフ氏に対する評価は分かれるところだろうが、純粋に兵器としての性能はさることながら、のちの突撃銃の設計・開発に多大な影響を与えたのは事実。
オイラもビルマやグアムでAKは撃ったコトがあるが、単純明快で非常に扱いやすい操作性、トラブル知らずの信頼性の高さ、そしてあまり良くないと言われる命中精度も比較的近距離での撃ち合いではM16と大差ないなど、荒っぽい作りながら優れた突撃銃だと感じたし、もし、戦場にほっぽり出されるコトになって一丁だけライフルを持ってていいなら迷わずAKを持って行くに違いない。
でも、どんなに綺麗事を言ってもAKは所詮【殺人の道具】である。
もちろん、祖国を守るための“力”としてAKを作ったカラシニコフ氏の理想は分からないでもないし、その思いはおそらく本当なんだろうが、その“大義名分”のために結果的にこの銃で撃ち殺される人間がいるコト、そして自分たちの主義主張を暴力で訴える手段としてこの銃が悪用されている現実は決して否定出来ない。
この記事を見て改めて戦争とは、力とは、正義とは何なのか、AKが我々に問いかけているような気がします。
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