広電廿日市駅木造駅舎 | 華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

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ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

こんばんわ、南部廣洲です。

昨日、記事は書いていたんですが、眠たくてどうにもならなかった上、今日は今日でずっと身体がダルくて寝て過ごしていたので、こんな時間になってしまいました…σ(^^;)

まぁ、それはさておき…昨日はちょいと、どうしても外せない用事があって土日で外泊の許可を取り、実家に帰っていました。

用事というのは広島市の隣、廿日市市にある広電廿日市駅(木造駅舎)で催されるイベント(といっても、少人数の有志による極々小さなイベントですが)に行き、写真に収めたかったからです。

あ、一応断っておきますが、私は別に鉄道ファンでもなければ、ましてや鉄ヲタでもありません…σ(^^;)

では、何故そこまでして行きたかったのか?

実はこの駅、今年の10月に駅の移設に伴い、木造駅舎の取り壊しが決まり、今月で最期を迎えるコトが地元紙の中国新聞で報じられたからです。


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そして、この駅には思い出があります。

もう、かれこれ昔の話になりますが、自分が中学校時代、廿日市に住んでいた悪友の家へよく遊びに行っていた頃、いつも降りる駅がこの広電廿日市駅で、この頃にはすでにほとんどの広電の駅は無人化していた時代にあって、近隣の駅では数少ない木造駅舎付きの有人駅でした。

そんなコトもあり、駅内の駅員や駅入り口に構えていた売店のおばさんとも顔見知りで、悪友と遅くまで遊んでこの駅に帰るといつも駅員に「早ようウチに帰りんさい。未成年が夜をぶらぶらしとっちゃいけんよ」と、よく小言を言われたり、悪友と売店でパンとジュースを買っていつものようにその辺で食ってたら売店のおばさんが「あんたらもヒマじゃねぇ…。ちゃんと勉強しよるんね?」などとよく声をかけられ、たわいもない世間話をよくしたもんです。

それから時は流れ、高卒で就職してからは忙しくなり、廿日市へ行くコトはほとんどなくなり、たまに廿日市方面へ広電に乗っても宮島へ行くのがほとんどで、廿日市駅には降りず、通過するだけの駅になってしまいました。

ただ、それでも停車する度にこの駅はいつも目に入るし、悪友とよくたむろしていた場所だったコトには変わりはないので、思い出のある場所でした。



話は前後しますが、この駅舎、調べてみると何でも戦前から建っているようで、建てられたらのは今から88年ほど前の1924(大正13)年と非常に古く、当時はここが広電の終着駅だったそうです。

そういえば、赤レンガ作りの広電廿日市変電所(※3年前に取り壊され、今は現存しない)があったのもこの近辺だった。

ちょいと話は逸れますが、広島市が原爆で壊滅状態に追い込まれながら原爆投下からわすが3日後に市内の広電が復旧出来たのも、終着駅だった廿日市駅の残存車両と変電所が原爆の被害を免れたからだと云われています。

それから現在まで、ホームの一部改修やら補修やらを繰り返しながらも木造駅舎自体は今日までその姿を留めてきました。

歴史ある貴重な木造駅舎が、思い出の場所がまた一つ消えてしまうコトは非常に残念ではありますが、90年近く広電を利用する市民と時代の移り変わりを見守り続け、雨風や風雪に耐え、よくここまで持ちこたえくれました。

移設に伴い、新しく生まれ変わる“新”広電廿日市駅が市民の新しい玄関口として利用され、愛される場所になるコトを期待します。

自分は地元民じゃないですが、廿日市駅、長い間本当にありがとう。

そしてお疲れさま。



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