じい様の昔話 | 華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

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ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

またまた、南部廣洲です。

今日は66年目の終戦の日でしたね。

こういう時期になると過去の戦争についていろいろな話も出てこようとは思います。

そして私にも、そういった話をうちのじい様がよく聞かせてくれたモノです。

以前、ブログにも何度か書いたコトがあるかと思いますが、うちのじい様は元日本陸軍の技術将校(工兵科)の大尉さんで、満洲事変から日中戦争、そして日米が激突した太平洋戦争までの約15年間、中国大陸から東南アジア、太平洋地域を転戦し、最後はフィリピンのマニラでアメリカ軍に投降して終戦を迎え、今年でじい様も103歳になろうとしています。





じい様がまともに従軍体験の話をしてくれたのは私がハタチくらいの時。

ただ、子供の頃にもじい様が酔っ払った時にそういう話は聞かされていたような気がしないでもないですが、まだそういった話を理解出来るほどの歳じゃなかったので、あまり本気は聞いていなかったんじゃないかと思います。

んで、ハタチの頃にじい様から聞かされた従軍体験は戦争を全く知らない私には全く想像を絶する過酷なモノばかりで、中には思わず耳を塞いでしまいたくなるような血生臭い話もたくさん出てきました。





「戦争とはいえ、自分の身を守るためとはいえ、敵に初めて銃を向けて引き金を引き、ヒトとして踏み越えてはいけない“一線”を越えてしまったコト」

「戦闘の最中、敵弾に倒れ、虫の息となった戦友や部下を助けられず、結果的に彼らを見殺しにしてしまったコト」

「食糧や水、武器弾薬の補給が途絶え、援軍もなく、孤立無援の状態が長く続きいた時に何度も死を覚悟したコト」

「部下の反対を押し切り、アメリカ軍への投降を決断した直後、自分の判断は間違っていなかった、非常に悩んだコト」など――たくさん話してくれました。

いつもヘラヘラしたひょうきんなじい様も、昔の戦争の話になると普段は絶対見せない真面目な顔になり、涙を浮かべ、嗚咽を漏らしながら話をする姿を見ると、その顔に刻まれた多くのシワには並ならぬ苦労、そしてその小さな体躯にはとても大きな大きな“十字架”を背負っているように私は見て取れました。





じい様は言いました。

「戦争は相手の命を奪い合うだけに留まらず、生き残った人間の心までも殺してしまう。戦争に本当の意味で“勝ち負け”なんてない。勝った側も負けた側も一生苦しむコトになる。それが戦争の最も恐ろしい現実だ」――と…。





話を聞き終えた自分には、じい様にどういう言葉をかけていいのか分からなかった。

いや、自分には言葉がかけられなかった。

戦争という人間の最も醜い本性を現す最前線で戦争を体験し、本当の“生き地獄”を見て聞いてきたじい様にしか分からない重たい言葉に、戦争を知らない青二才の自分が安易に言葉をかけていいようなモノじゃなかった…。

しかし、じい様は「話を最後まで聞いてくれてありがとう。」…そう言って最後はいつものにこやかな顔に戻りました。

たぶんじい様は、私と同じくらいの年頃に兵隊となって青春真っ盛りの20代から30代までを全て戦争に費やしてしまった自分と同じ過ちを犯して欲しくてなくて、話すコトすら辛いはずの従軍体験を私に話してくれたんじゃないかと思います。

もう二度と、うちのじい様のような戦争の犠牲者(加害者)を出さないために、自分に何が出来るのか?無用な戦いどうやったら避けられるのか?世界が平和になるにはどうすればいいのか…真剣に考えさせられる貴重な経験となりました。