2024年2月12日(月)

 前回の小澤征爾の訃報に関連して追記を(敬称略)。

 

 まずはおとといの時点では記事がアップされていなかった英紙ガーディアンの追悼記事を。

 

 日本のみならず欧米のメディアでも小澤征爾の訃報記事が続々と出ている中、普段から私がよく参照しているガーディアンではなかなか記事がアップされず、ようやく昨日になって以下の記事が掲載された(遅くなった理由は不明。ちなみにこの記事の筆者は冒頭から小澤征爾が果たして偉大な指揮者の一人だったか疑わしいという見解を示し、追悼記事にしては全体にかなり辛辣な内容で、それも記事が遅れた理由なのかも知れない)。

 著名人の訃報記事が日本の新聞などより分量も内容も遙かに充実しているのはいつも通りで(ガーディアンをはじめ欧米では訃報記事の専任記者を置いているメディアもある)、こうした記事を読む度に日本のメディアは死者に対して余りに冷淡かつ事務的だという印象を抱いてしまう(かと思えば、天災や事故などで亡くなった人たちに対して往々にして余りに感傷的でお涙頂戴的な記事が多い)。

 

 小澤征爾の死に触れた前回の記事は言葉足らずでこの音楽家に対して私が否定的な評価を抱いていると思われたかも知れないが、特別に好きだった訳ではないものの、前回も書いた(特に日本の)うるさ型のクラシック音楽マニアたちのように毛嫌いしている訳では全くなかった(これまでさんざん酷評して来た人々が今回どのようなことを書いたり言ったりするか気になるところである)。

 そもそも楽譜すら読めない音楽音痴(という言い方は変かも知れないが)の私には、演奏に関して仮に個人的な「好き嫌い」は言えたとしても、音楽的な「良し悪し」などを云々する資格は微塵もない(実際どのような演奏が優れていて、どのようなものがそうではないのか、私には皆目判断しようがないのでもある)。

 

 また前回うっかり書き忘れてしまったのだが、YouTube動画を紹介したサイトウ・キネン・オーケストラによる演奏(https://youtu.be/jyL6QmdLg90 あるいは https://youtu.be/5y_Z0u_LvJc)では、日本のみならず海外のオーケストラなどで活躍している(していた)錚々たる音楽家たちの姿を見ることが出来る(例えばヴァイオリンの潮田益子や安芸晶子、徳永二男、チェロの堤剛、フルートの工藤重典やオーボエの宮本文昭などなど。きっと私が知らない/気づいていないだけで、他にもたくさんいるに違いない)。

 

 

 中でもブラームスの交響曲第1番におけるコンサート・マスター潮田益子(うしおだ・ますこ)は、小澤征爾と同じ旧満洲の奉天出身で、桐朋女子高校でサイトウ・キネン・オーケストラという名称のもととなった齋藤秀雄らの薫陶を受けた同郷・同窓の人である(第2楽章での独奏はリリカルで非常に美しい→https://www.youtube.com/watch?v=jyL6QmdLg90&t=1250s)。

 残念ながら潮田益子は今から11年近く前の2013年に71歳で亡くなってしまったのだが(詳細な経歴についてはWikipediaを参照→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%AE%E7%94%B0%E7%9B%8A%E5%AD%90)、この人には若き小澤征爾指揮のもとで日本フィルハーモニー交響楽団と共演した(これまた前回言及し忘れた)シベリウスとブルッフのヴァイオリン協奏曲のレコードがあって(最初の写真はCD盤のジャケット)、海外メジャー・レーベル(EMI)から発売されたこともあって、当時の日本のクラシック音楽好きの間では非常によく知られた1枚だったはずである(以下のYouTubeで聴くことが出来る)。

 

 シベリウスやブルッフのヴァイオリン協奏曲と言えば(最近の演奏はよく知らないものの)、ヤッシャ・ハイフェッツやダヴィッド・オイストラフ、アルチュール・グリュミオーやチョン・キョンファらの演奏によるレコードが名盤として知られており、あるいは上記の小澤・潮田・日フィル盤はそこまでの名演奏とは言えないかも知れない。

 

 しかしその後いずれも内外で活躍し続けた2人の音楽家による、若く弾けんばかりの力強い熱量がありありと感ぜられる演奏として、今日でも十分聴くに値するものだと言って良いだろう。

 

 音量がやや低いものの、潮田益子がバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」を弾いている演奏もYouTubeにアップされているので、最後に紹介しておきたい。

 同時代を生きたこの2人の音楽家の死を改めて悼み、心から冥福を祈りたい。