2023年7月3日(月)
毎年同じことを書いているような気がするが、気がつくと今年も半分が終わってしまった。個人的に今年前半は決して穏やかな日々だったとは言えないが、後半は果たしてどんな日々になるだろうか。少なくとも前半よりはマシな日々になれば良いのだが・・・・・・。
今日は4年1ヶ月前に死んだ亡き愛犬の月命日(上の写真と、下はその元動画)。
毎晩寝しなに愛犬の動画や写真を眺めていると、まだ元気だった頃の愛犬が写っているそれらの動画や写真の中にそのまま入って行けたらと思うことがある。
バスター・キートンの「探偵学入門」(1924年、原題:Sherlock Jr.)やウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」(1985年)では、登場人物が上映されている映画の中に入って行ってしまう場面が描かれていたが、私もそうして愛犬を写した動画の中に入って行き、元気だった愛犬とそのまま一緒にいたいという気持ちにふいに駆られるのである。
たとえその動画の中に入ってしまった自分が、1分や2分という短い時間を永遠に反復しなくてはならないとしても、もし愛犬と一緒にいられるのであれば少しも構わないとすら思う。むろんそんなものは子供じみた現実逃避願望でしかないのだが、しかしそうした妄想を抱くのは、かつて愛犬と共にいた時のような幸福で満ち足りた時間は現実世界ではもはや二度と訪れないだろうという絶望と諦観があるからに他ならない。
大の食いしん坊だった愛犬がおかしな鳴き声を出して尻尾を振りながら食べ物を催促している下の動画を繰り返し見ながら、私は改めてそんなことを考えた。RIP.
本題に入ると、最初に掲げた写真はYouTubeなどで動画を見ているとひっきりなしに現れる動画広告をスクリーンショットで保存した画像である(以下同様)。
私はYouTubeやDailymotionなどの動画サイトでも基本的に映画かテレビ番組(あるいは犬や猫の動画)しか見ないため詳しくないものの、世には「YouTuber」(ユーチューバー)なる生業(なりわい)が存在しているらしく、彼らは自らアップした動画にサイト指定の広告を掲載することで、登録者数や視聴回数に応じて対価を得られるそうなのだが、そもそも論として動画を視聴する際に、広告をまともに見ている人たちがどのくらいいるのだろうかという大いなる疑問が私にはある。
というのも、私自身は動画視聴前や途中で広告が始まると1秒でも早く広告が終わることしか願っておらず、広告そのものを最後まで見たことが一度もないからである。
そして私にとっては単に時間の浪費でしかない広告再生の間、動画音声のボリュームを最小にし(下記参照)、「広告をスキップ」するというオプションがある場合には、何のためらいもなくそのボタンを押して広告を即座に終了させることにしている。
だからほとんどの場合それが何の広告だったかすら覚えていないのだが、同じ広告が意味もなく2度繰り返されるような場合には、そうした無意味な広告を出している「不見識」な企業に嫌悪や反感を抱き、そんな会社の商品は決して買うまいとすら思ってしまう。
特にDailymotionの場合、視聴中の動画本体の音量とは関係なく、やたら大きな音で広告が再生されるのが常で、その音に驚かされつつ慌ててボリュームを小さくする必要があり面倒臭くて仕方ない(その一方で、端から全く音のない静かな広告があったりもするのだから実に不思議である)。
もっともどんな広告であれ途中で「スキップ」可能であればまだ許せるのだが、中には「スキップ」出来ない上、30秒乃至1分近くもの間ひたすら広告が終わるのを待たなければならないものがある。
しかもそうしたものに限って全く同じ内容の広告が2度続けて再生されることが多く、そうなると私はすかさず別のタブを開き、広告が終わりそうな時間になるまで他のウェブサイトを覗いたりメールをチェックしたりすることにしている。要するに、動画広告の内容自体に注意を払うことなど端からないのである。
世の人々が果たしてひねくれ者の私ほど極端に動画広告を無視したり嫌悪したりしているかどうかは分からないものの、わざわざ広告を「スキップ」するオプションがあったり広告を表示しないための有料プランが設けられたりしていることから推察するなら、少なからぬ視聴者たちがこうした動画広告を無駄なものだと考えていることは間違いないだろう。
だから反対に、動画サイトに広告を出している広告主たちがその効果についてちゃんと検証を行っているのかどうかが気にもなるのだが(今の時代であるから、瞬時に詳細な検証を行うことが出来るに違いない)、もし私自身が広告主だとするならば、自分たちの出した広告が「スキップ」された分は支払い広告料の対象外にするといった条件でもなければ、わざわざ高いお金を払って動画サイトに広告を出そうなどという気にはなれないだろう。余程の物好きか暇人でもなければ、動画サイトの広告をまともに見ている人間などほとんどいないだろう(としか私には思えない)からである。
もっとも「スキップ」された広告を課金対象外にしたりしたら、広告料なるものがほとんど発生しなくなってしまいかねず、広告収入を頼りにしているウェブサイト運営者やYouTuberたちはたちまち総倒れとなってしまうだろう。
テレビや新聞の広告にしても、視聴者や読者が実際に見るかどうかとは関わりなく一方的に流されたり掲載されたりするもので、そもそも広告(業)なるものは「ハッタリ」(★)の上に成り立っている「虚業」と言って良いような代物であるから、費用対効果などをまともに検証し始めたらすぐさま根幹からガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまうに違いない。
《★例えば広告料の基礎となる新聞や雑誌などの「発行部数」が、新聞社や雑誌社の都合に合わせて水増しされた嘘っぱちであることは多くの人が知っているだろうし、おそらくテレビ広告やネット広告でも似たような恣意的な「調整」が行われているだろう。》
そこで私は無駄な動画広告を出来るだけ見ないで済むように、どうしても見たい動画は一旦PCにダウンロードしてから視聴することにしている。そうすれば動画広告は端から表示されることがなく、たとえダウンロードに多少の時間や労力がかかるにしても、頻繁に現れる広告が終わるのを待ったりスキップしたりする無駄な時間やイライラから解放されるからである。
今後果たしていつまでこの種の(無意味としか思えない)ネット広告に金を払うような太っ腹(?愚かな?)広告主が存在し続けるか分からないものの、人間社会がただ効率性や有用さによってのみ成り立っている訳ではないこともまた確かであって、たとえ私には「虚業」としか思えないものであっても、現に広告業やYouTuberなどという生業が少なくとも今のところ存続している以上、一個人の好悪だけでその是非を一方的に決め付けることは慎まなければならないだろう(と一応書いておく)。
ネット広告の未来がどんなものであれ、私は今まで同様これからも動画広告などというものは1秒たりとも見ることなく、自分の見たい動画だけを見ていくだろう。そしてその結果、ネット広告が没落/消滅するのと共に、無料の動画視聴サイトなどというものがこの世から消え失せてしまったとしても、それはそれまでのことである。
むしろその分、読書や音楽鑑賞などにこれまで以上の時間を割くことが出来るようになり、ただ漫然とくだらない動画を見ているよりも結果的に遙かにマシな時間を送れるようにかも知れない。






