2023年4月25日(火)

 2006年の夏に仕事で英国に赴任してから今までの約16年半の歳月のうち、東日本大震災直後の2011年4月に帰国して日本で過ごした約1年間を除き、私はそのほとんどの期間を日本から離れて海外で暮らして来た(過去11年間は家人の故国である韓国に住み続けている)。

 もっとも初めて海外生活をすることになった1980年代末や(この時は日本の新聞を読むため日本大使館近くの日本人会というところまで地下鉄を乗り継いで行く必要があった←面倒なので結局1年弱の間に1度しか行かなかった)、その後10年近くして再び日本を離れた1990年代半ばとは違い(ようやくインターネットが一般に普及し始めた年で、それまでパソコン通信しかやったことのなかった私は海の向こうで初めてインターネットなるものに接することになった)、今ではインターネットで瞬時に世界の情報を得ることが出来、YouTubeや動画サイトで世界中のテレビ番組や映画なども自由に見られるようになり、海外生活による「情報格差」はどんどん解消されつつある。
 それでも現実に日本で生活し、日々その空気や雰囲気を体感しながら暮らすことと、海外に居住しながら日本の情報に「ヴァーチャル」に接することの間には決定的な違いがあることもまた確かだろう。

 今回私は、これまで自分が親しんで来たいくつかの言葉(日本語)が、しばらく前から別の言葉に置き換えられつつあって違和感を隠せないことを、具体例を挙げながら述べてみたいと思っているのだが、しかしそれらの言葉にしても海外に暮らしていて日常的に日本語に接していないせいで気になるだけで、現実に日本で暮らしている人たちにとっては他にも日々無数に発生している種々の変化の一つでしかなく、何の関心も惹かない平凡な事象に過ぎないかも知れない。
 そもそも言葉というものは否応なく日々変遷していくものであり、そうした変化についていくら抵抗を試みたところで何の意味もない(変化を押し留めることは出来ない)ことも頭(理屈の上)では承知しているつもりである。


 かてて加えて、ほとんど「引きこもり」のような生活を送っている私のような人間が日本語の変化や変遷に接する機会は、NHKなど韓国で見られる数少ない日本のテレビ番組や、インターネットやSNSを通して目にする動画や記事/コメントに限られ、それらの言葉や用法が果たしてどれだけ広く一般に用いられているかもよく分からないというのが実状である。
 一方で、「新語」や「流行語」といったものにしても、最初のうちは極く限られた地域や世代で使われながら、テレビやインターネットを介して徐々に世間一般に伝播していく場合も少なくないだろうから、これらのメディアで頻繁に接する語彙や用法がそれなりの認知度や普及度を有していると考えても決して間違いではなさそうである。

 そこで以下では、私がこれまで親しく接して来たいくつかの言葉が、韓国でも見ることの出来るテレビ番組やインターネットの記事の中で、いつの間にやら別の言葉に置き換わっていたり従来とは異なった意味合いやニュアンスで用いられるようになっていて違和感を覚えた例を挙げてみたいと思う(別表現に置き換わった場合、まず最近よく使われる語彙を記載し、「←」の後にこれまで私が親しんで来た表現を参考に挙げることにする)。
 すぐに気づかれると思うが、食/食べ物に関する語彙や用法が多くを占めているのは、私の個人的関心がもっぱら食や食べ物に偏っているからなのだろう。

 ①塩味(えんみ)←塩加減、塩気(しおけ)
 ②アテ←肴(さかな)、つまみ
 ③味変(あじへん)
 ④~感(例:緊張感、スピード感、シャキシャキ感など)
 ⑤号泣
 ⑥席捲(せっけん)
 ⑦まもなく(間もなく)
 ⑧ナムル←和え物、おひたし

 これら以外にも、耳にするたびに違和感を覚えるものに「推し、沼、バズる、エモい、刺さる」といった最近の言い回しもたくさんあるのだが、こうした「流行語」に違和感を覚える向きは私以外にも数多く存在するだろうから、今回は含めないことにする。

 上に挙げた例について個人的なコメントを簡単に付け加えると、

 ①塩味(えんみ)←塩加減、塩気(しおけ)
 一体いつから塩味(えんみ)などという言葉が世間に登場するようになったのか皆目見当がつかないのだが、おそらく最初はプロの料理家などが用いていただろう専門用語(?)が、グルメ番組などで「食通」らしさを醸し出すためタレントなどによって頻繁に口にされるようになり、少しずつ普及していったのではないかと思われる。
 初めてこの「えんみ」という音を耳にした時には意味が取れず、インターネットで調べてようやく「塩味」という漢字であることが分かった。今でもこの言葉を聴くたびに「なにを通ぶっていやがるんだ」という意地の悪い嫌味を投げかけたくなってしまうのは、単に私の性格がひねくれているからなのだろうか(きっとそうなのだろう)。

 ②アテ←肴(さかな)、つまみ
 アテ(当て)という表現は必ずしも最近出来たものではなく、もともと関西などで普通に使われていた言葉らしいのだが、いつの間にかテレビのグルメ番組などでは「肴(さかな)」や「つまみ」という言葉を凌駕してしまったと言っても過言ではなさそうである。
 特に「肴/酒菜(さかな)」という言葉は発音が「魚(さかな)」と混同しやすいこともあり、「アテ」の勢力拡大を助長する一因ともなっただろう。今では関西出身者に限らずこの言葉がすっかり定着しているのを見ると、根っからひねくれ者の私としてはやはり「通ぶってるんじゃねえよ」とつい毒づきたくなってしまうのである。

 ③味変(あじへん)
 これは「新語」あるいは「新表現」と言って良いもので、この言葉が登場する以前にどういう言い回しがあったか思いつかないのだが(それ以前には「チョイ足し」という表現があったと言われるものの、「味変」は「チョイ足し」に比べて意味合いがより広い気がする)、他の言葉に置き換えられないという意味では、上記2例に比べて独自の存在意義があると言っていいかも知れない。
 しかしこれまた私の見ているテレビ番組などで余りに頻繁に使われるため、聴く度についイラついてしまう表現である。

 ④~感(例:シャキシャキ感、緊張感、スピード感)
 これは食/食べ物に限られた表現ではなく、政治家などが何かと言うと「スピード感」や「緊張感」などと口にするのを目にするのだが、「前向きに検討します」と言いながら事実上「拒絶」を意味する日本的な表現同様、実際のところやる気など全くないのではないかと勘ぐってしまう言い方である。
 常套句(クリシェ)や紋切り型といったものは、一旦使われるとたちまち陳腐化してしまうものだが、政治家の「センセー」方(がた)も本当に「やる気」を見せたいのであれば、「スピード感を持って」やら「緊張感を持って」などと繰り返す代わりに、「迅速に対処します」とか「即刻対応します」、「心を引き締めて取り組みます」などと言った方が良いのではないだろうか。

 もっとも端から「やる気」がないからこそあえて「~感」などという曖昧な表現で誤魔化していることも考えられ、そうだとすると下手に「本気度」を見せてしまったら、実行出来なかった場合に批判される危険性がより増大するだけで、かえって「センセー」方は困ってしまうかも知れないが・・・・・・。

 ⑤号泣
 これはもはや古すぎる例で、「落涙」や「すすり泣き」程度でしかない些細な現象を、テレビを始めとするマス・メディアが(意図的に?)誤用したことですっかり一般にも定着してしまったものだが、私のような古臭い人間は未だに違和感を払拭出来ず、「号泣なんて滅多にするようなものじゃないだろ!」と突っ込みを入れたくて仕方がない。
 実際、「号泣」という表現で私が真っ先に思い浮かべるのは、中国や朝鮮(日本にも?)などに存在した(今も存在する?)とされる「泣き女」という職業で、そうした生業(なりわい)でもない限り常人が「号泣」することなど、余程の大惨事や悲劇に見舞われでもした際の(要は生涯に一度あるかないかくらいの)極めて稀な出来事ではないかと思うのだが・・・・・・。

 ⑥席捲(せっけん)
 これは一般的な誤用例と言うより、最近インターネットなどで何度か目にして疑問を覚えたもので、例えば映画賞や音楽賞において特定の作品が主要部門のほとんどを受賞するような場合に用いる表現が私の考える「席捲」であって、何でもかんでも大げさに表現して「参照数」を獲得しようとする最近の○○メディア(ちなみにこの○○は「マス」ではありません)によくある「意図的な誤用」によるものなのか、単に賞を1つか2つ獲得しただけでも「席捲」といった表現をする例が目につき、うるさ型の中年オヤジとしてはこの種の過剰表現や嘘に接するたびにイライラを抑えることが出来ない。

 ⑦まもなく(間もなく)
 これまた一般的な意味の変化と言うより、しばらく前に接した不自然な使い方が気になったもので、私の中で「まもなく」はまさに「間」もない程すぐ後の出来事を指すものなのだが、インターネットの記事だったかテレビのニュース番組だったかで、「まもなく開始」という見出しを掲げていた記事/ニュースの内容を詳しく見てみると、「間もなく」どころか数日後の出来事であることが判り、呆気にとられたものだった。いつの間にか「間」というものの感覚が「間延び」して来ているのだろうか?

 もっとも「まもなく」がすぐ後のことのように思えるのに対し、ほぼ同義のはずの「程なく」は「まもなく」より時間的な幅がより大きく感じられる印象で、上記のような違和感も個人的なイメージでしかないのかも知れない。「遠からず」などであれば、数日後の出来事であっても全く違和感を覚えることがないのだが・・・・・・。


 ⑧ナムル←和え物、おひたし
 以下でも触れるNHKの「あさイチ」などを見ていると、これまでなら「和え物」や「おひたし」と呼んでいただろう食べ物(茹でた野菜や海産物などを調味料であえたもの)を、別段韓国風の味付けでないものでも「ナムル」と呼ぶ例が目立つ。 

 そうでなくとも普段から報道番組や音楽番組での「韓国推し」が目に付き、まるで日本ではなく韓国の放送局なのではないかと錯覚してしまいそうになるNHKらしいと言えもするのだが、「和え物」や「おひたし」という既存の日本語があるにもかかわらず、あえて(決して正しいとも言えない)外国語を使おうとするその「公共放送」らしからぬ姿勢につい突っ込みを入れたくなってしまうのである。

 むろん私は、NHKを始めとする日本の放送局では出来るだけ日本語を用い、外国語の使用は制限すべきだなどという「言語ナショナリズム」的な内容を主張したい訳ではなく、上記の例であれば、韓国風の味付けなら「ナムル」、そうでないなら「和え物」や「おひたし」などと表現する方が、より言葉の意味に忠実なのではないかと言いたいだけである。

 ついでに、これまたNHKの番組における一例で全く一般化出来ないケースだが、しばらく前に大河ドラマの「どうする家康」を見ていて、登場人物たちが「天賦」という言葉を何度も「てんぶ」と繰り返しているのに戸惑ったことがある(最初のうちは「てんぶ」の意味を取れず、何度か繰り返されているうち、ようやく「天賦」だと気づいた次第である)。
 私の中でこの言葉の発音は常に「てんぷ」(Tenpu/Tempu)であって、決して「てんぶ」(Tenbu/Tembu)であった試しはないのだが、ひょっとしたら徳川家康の時代には「てんぶ(Tenbu/Tembu)」と発音していたという歴史的根拠でもあるのか、ドラマの中では誰もが確信をもって「てんぶ」と繰り返していたものである。

 そもそもNHKではこのところ、バラエティ色の強い番組で(例えば平日の午前中に毎日放送されている上記「あさイチ」などを筆頭に)、浮わついた流行語や明らかに誤用と思われるような言い回し、外来語などをなんの抵抗もなく用いる例がこれまで以上に目立ち、せめてNHKくらいはそうした流行りの(かつ一時的でいつ消え去るかも分からない)用法は避け、より保守的な日本語表現を貫くべきなのではないかと思うこと頻りなのである(などと書くと私という人間はゴリゴリの保守主義者や愛国主義者なのだと思われるかも知れないが、私がこの世で最も忌み嫌っているのは「愛国心」や「自国中心主義」であり、自分では政治的/思想的にもリベラル志向の「つもり」である)。
 アナウンサーのタレント化や自局番組の「番宣」の多さなど、NHKの「民放化」がこのところ著しく目に付くようになって来ているのは、海外ではまともに見られる日本のテレビ放送がNHKしかないこともあって長らく贔屓にして来た私にとっては実に由々しき事態であり、このままではいつ「NHK嫌い」へと「転向」してしまうかも知れない危機的状況ですらある(などと書くのは、最近のメディアにおける過剰表現のようにいささか大げさ過ぎか?)。

 

 それはともかく、果たして当記事で挙げた「違和感」の例が、これから更に広く普及してより一般化していくのか、それとも一時的な流行として次第に廃れていくのかは分からないものの、こうしたことにいちいちイライラしたり怒りを覚えたりするのは、まさに「老化」現象の顕著な典型例に他ならないのだろう(汗)。
 それを世の新しい事象に順応出来ない「精神の硬化」の結果と見るか、雨後の筍のように日々現れては消えていく無数の流行現象に抗い、古き良き伝統を守っていきたいという切実な行動と見るかは捉え方次第と言うしかなく(?)、どちらであろうと私は古臭く面倒な中年(既に老年か?)オヤジとして、今後も時代の流れなどというものに易々と押し流されないよう努めたいと思っている。呵々。