2022年6月17日(金)
前回の映画鑑賞記録だが、メモを書いたまま忘れていたものがあったので、前回で一旦終了の予定だったが、今回と次回に分けて残りのものを追加しておく。
まずは海外映画から(前回から引き継ぎで今回は3回目)。
・「未知との遭遇(1977年) 原題:Close Encounters of the Third Kind」(スティーヴン・スピルバーグ監督) 3.5点(IMDb 7.6) 日本版DVDで再見
後にスピルバーグ自らが映画化する「宇宙戦争」やティム・バートンの「マーズ・アタック!」などと対極にある楽天的・性善説的な宇宙人との「第三種接近遭遇」映画で(このセンスがなく訳の分からない原題を「未知との遭遇」とした人は素晴らしかった)、スピルバーグの前作「ジョーズ」(1975年)や同じ年に公開された「スター・ウォーズ」はちゃんと映画館に見に行ったのに、今作はどういう訳か見逃してしまい、1978年に日本でリヴァイヴァル公開された「2001年宇宙の旅」(1968年)よりも見るのが後になってしまった(もっとも当時まだ小学生だった私には「2001年宇宙の旅」は難解すぎ、一緒に観に行った祖父と共にただ途方にくれただけだったが・・・・・・)。
その間も映画好きの友人から「スター・ウォーズ」や「2001年宇宙の旅」などと並ぶSF映画の傑作だなどと聞かされ続け(★)、1日も早く見たいと思い続けながらも、私がようやくこの作品を見ることが出来たのは、1980年に「特別編」が公開されてからのことだった(従って最初の劇場公開版は未だに見たことがない)。
《★これはあくまでその友人の意見で、個人的にはこの中で傑作と呼びうるのは「2001年宇宙の旅」だけである。》
ほぼ同時期にハル・アシュビーの「帰郷」、1年後には「ディア・ハンター」、そして2年後の1979年には「地獄の黙示録」などのベトナム戦争に題材を取った作品が立て続けに公開されたことを考えれば、今作の根底にある性善説や楽観主義は余りにナイーヴで、「お子ちゃま」向けと言うしかないのだが、噂のみ高くしてすぐに見られずしばらく憧れの作品であり続けた当時の思い入れもあって、評点は多少甘めである(実際には3.0点=平均点くらいが妥当だろう)。
・「新シャーロック・ホームズ おかしな弟の大冒険」 原題:The Adventure of Sherlock Holmes' Smarter Brother」(ジーン・ワイルダー監督) 1.0点(IMDb 6.0) 日本版DVDで再見
昔テレビで見て面白く思った記憶があるのだが、あえて当時と同じ日本語吹き替え版で見てみたものの、どうしてこんな作品を面白いと思ったのか全く理解できない退屈極まりない駄作だった。
・「荒馬と女(1961年) 原題:The Misfits」(ジョン・ヒューストン監督) 3.5点(IMDb 7.2) インターネットで視聴
マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの遺作で、脚本は当時モンローの夫だったアーサー・ミラー。ゲーブルはすっかり年老い(映画公開を待たずに死去したのは今作撮影中に酷使されたからだとも言われ、モンローは自分のせいで撮影が長引いた為ではないかと思い悩んでいたそうである)、モンローは衰えと隣合わせの成熟した妖艶さを振りまいている(上記点数のうち0.5点はモンローに献上している)。今から見れば、西部劇映画に顕著なアメリカ的マチズモへの批判と読み取ることも可能か。
・「愛を読むひと(2008年) 原題:The Reader」(スティーブン・ダルドリー監督) 3.5点(IMDb 7.6) 英国版DVDで再見(あるいは初見か?)
ベルンハルト・シュリンクの原作を読んだ時に余りに通俗的で取るに足らない作品だと思った記憶があるのだが(この映画を見た後で原作をざっと眺めてみたのだが、あえて再読する気にはなれなかった)、今作は撮影や音楽、俳優たちの演技なども水準以上で決して悪くない(それでも全編英語なのはやはり不自然である)。
ただしナチ時代のハンナの行動は最後まで謎めいていてよく分からず、あくまで「命令」に忠実に従ったまでだというアイヒマンと同じ論理なのか。主人公が娘に過去のロマンスを告白する場面は単なる蛇足。
・「母との約束、250通の手紙(2017年) 原題:La Promesse de l'aube(夜明けの約束)」(エリック・バルビエ監督) 3.5点(IMDb 7.1) インターネットで視聴
ロマン・ガリ原作(未読)。主人公の言動(含妄想)が時として滑稽なまでに突飛かつ極端で、どこまで原作に準拠しているのか疑問を覚える程である。甘ったるく感傷的な傾向は気になるものの、全体的には佳作と言って良い。邦題は完全なネタバレである。
・「フェリーニのアマルコルド(1974年)」(フェデリコ・フェリーニ監督) 4.0点(IMDb 7.9) 英国版DVDで再見
フェリーニ監督作の中で私が最も好きな自伝的作品である。
風に吹かれて綿毛が飛び交う場面から始まり、肉親の死を始めとする様々な出来事を経て、また綿毛が風に吹かれる春の場面で終わる。筋らしい筋も登場人物の細かい説明もなく、フェリーニらしい猥雑さ(卑猥な物言い、大きな胸をした太った女たち、娼婦やハゲオヤジ、ブサイクでデブの子供、小人や頭のおかしい病人たちなど)に満ちみちていて、PC(政治的正しさ)全盛の昨今では徐々に厳しい評価となるかも知れない。
しかしそうしたゴチャゴチャして猥雑なフェリーニ的世界における、どんな人間や人生も分け隔てしないような寛容なまなざしこそが、映画や文学を味わう愉悦のひとつであることも間違いない。ニーノ・ロータの音楽もいつも以上に甘く切ない。
・「シェーン(1953年)」(ジョージ・スティーヴンズ監督) 3.5点(IMDb 7.6) 日本版DVDで再見
小学生の頃にテレビで見て感動した記憶があるのだが、以来40年超を経て再見。
マイケル・チミノの大作「天国の門」(1980年)と同じく「ジョンソン郡戦争」という歴史的事件が背景にある。地主のライカーは単純な悪人ではなく、開拓民のジョー(ヴァン・ヘフリン)にそれなりに公正な取引を持ちかけるが、つまらないプライドに固執するジョーはそれを撥ね付け、命を賭けた争いに自ら飛び込んでいく。
さらに流れ者のシェーン(アラン・ラッド)は、この家族や開拓民たちにとって一種の疫病神のような存在で、ジョーの妻(ジーン・アーサー)や息子は彼に心を奪われ、それを知って自暴自棄になったジョーは、事実上の自殺とも取れる不利な決闘へ突進し、一家を崩壊寸前まで導くのだ。結果的にシェーンは一家にとって害悪であるライカーを退治して去って行くのだが・・・・・・。
妻役のジーン・アーサーはこの時既に50代で(アラン・ラッドやヴァン・ヘフリンよりほぼ一回り年上)、子供の時に見た記憶ではもっと若く綺麗な奥さんという印象だったが、年齢に比べれば若く見えはするものの、今見るとかなりのおばさんで驚いた。
・「ペーパー・ムーン(1973年)」(ピーター・ボグダノヴィッチ監督) 4.0点(IMDb 8.1) 日本版DVDで再見
原作未読。数十年ぶりに見返したのだが、傑作であることに変わりはない。
この年のアカデミー賞で今作は作品賞、監督賞、主演男優賞のいずれの候補にすら上がらなかったが、テータム・オニールが史上最年少で助演女優賞を受賞している。
この年は他にも「スティング」、「アメリカン・グラフィティ」、「叫びとささやき」、「エクソシスト」、「ラストタンゴ・イン・パリ」、「さらば冬のかもめ」、「セルピコ」、「追憶」、「イルカの日」、「パピヨン」、「ジーザス・クライスト・スーパースター」、「ルートヴィヒ」、「映画に愛をこめて アメリカの夜」、「ブラザー・サン シスター・ムーン」、「ジャッカルの日」などが各賞の候補になっており、これだけの傑作・佳作・名作が一堂に会したとんでもない年だったのだと唸らざるを得ない(この翌年もかなり豪華な布陣で、この前後がハリウッドを始めとする映画界の最後の黄金時代だったのかも知れない)。
・「ブラックレイン(1989年)」(リドリー・スコット監督) 3.0点(IMDb 6.7) 日本版DVDで再見(?)
「ブレードランナー」を彷彿とさせる大阪の市場の風景などを見ると、やはりリドリー・スコットだなと思わせはするものの、所詮それは過去作品の焼き直しに過ぎず、何よりも物語がチープなのが決定的に弱い。如何にも東洋的な音楽や最後に「手打ち」をする場所の造型なども安っぽさが先に立ってしまう。
今作が遺作となった松田優作のオーヴァー・アクションぶりよりも、アンディ・ガルシアの自然で人間味溢れる演技や「健さん」の存在感の方が目立ち(最後の立ち回りは「野性の証明」を想起させる)、かろうじて「見られる」作品にはなっている(若山富三郎も英語の吹き替え部分は残念だが、日本語で演じている場面はさすがの迫力である)。
・「ミクロの決死圏(1966年) 原題:Fantastic Voyage」(リチャード・フライシャー監督) 3.0点(IMDb 6.8) テレビ放映を録画したもので再見
子供の頃にテレビで何度も放送されていて好きだったのだが(アイザック・アシモフによるノヴェライズ版小説まで買って読んだ)、数十年後の今見返すと、映像のショボさと、素人から見ても「それはないだろう」という科学的リアリティのなさが気になって、ついつい突っ込みを入れたくなってしまうトンデモ作品である。
私の世代くらいまでなら懐かしさも手伝ってなんとか楽しめるかも知れないが、より若い世代にとってはもはや過去の遺物でしかないだろう。
・「黒いオルフェ(1959年) 原題:Orfeu Negro」(マルセル・カミュ監督) 3.0点(IMDb 7.4) インターネットで視聴
元ネタのギリシャ神話自体は興味深いのだが、それがブラジルのカーニバルという状況の中で果たしてどこまで生かされているかは疑問である。死神の造型も間抜け過ぎ、死が迫りくる中で主人公たちが踊りまくっているのも奇妙である(まさに「死の舞踏」ではあるのだが)。意図したものかも知れないが、最後の悲劇的な場面は余りに唐突でグロテスク。
山田洋次監督の「キネマの神様」(2021年)を見て、以下の過去作品が全く言及されておらず呆れ果てたことから、改めて見直してみた。
・「カイロの紫のバラ(1985年)」(ウディ・アレン監督) 3.5点(IMDb 7.7) 英国版DVDで再見
難しいことは措いておいて、どうせ映画は作り物なのだから、これくらい脳天気な(しかし映画への愛情あふれる)作品でも良いのではないかという気にさせられる佳作。結末におけるミア・ファローの表情が実に良い。私はもはやすっかり「家でDVD」派で、映画館という場所を特権化する考えに与する気は毛頭ないのだが、それでも今作だけは映画館で見直してみたい気がする。
・「キートンの探偵学入門(1924年) 原題:Sherlock Jr.」(バスター・キートン監督) 3.5点(IMDb 8.2) インターネットで視聴
話の内容自体は特に面白い訳ではないものの(題名に反して、探偵が推理力を発揮する訳でもない)、いつもながら体を張った目まぐるしいスタントや特撮シーンの連続で思わず見入ってしまうし、映写室から映画を覗き見ながら愛撫の仕方を学ぶユーモラスな結末も素晴らしい。
・「グーニーズ(1985年)」(リチャード・ドナー監督) 2.5点(IMDb 7.7) テレビ放映を録画したもので視聴
お子ちゃま向けにファンタジー色を濃くした「インディ・ジョーンズ」とも言うべき作品で、子供の時に見たらあるいは面白く見られたかも知れないものの、ハリウッド映画的なご都合主義や楽観主義満載で大人の鑑賞には耐えない。
・「ファーザー(2020年)」(フロリアン・ゼレール監督) 3.0点(IMDb 8.3) インターネットで視聴
冒頭からミステリアスな雰囲気が漂い、認知症で記憶力の低下した父親が騙されて財産などを奪われるような展開になるのかと思いきや、結末は意外にも淡々とした静謐なもので、良い意味で意表をつかれる。特に大きな事件が起きる訳ではないが、人生の「真実の瞬間」を巧みに切り取っていて、チェーホフの戯曲や小津作品にどこかで通ずる印象である。
マイケル・チミノ監督作を3作まとめて(本当は全監督作を見て記事を書くつもりだったのだが、途中で頓挫)。
・「ディア・ハンター(1978年)」(マイケル・チミノ監督) 4.0点(IMDb 8.1) 日本版DVDで再見
これは戦争映画などでは微塵もなく、極めて個人的なアメリカ史、あるいはアメリカを舞台とする極私的な個人史である。
製作はかの(ザ・ビートルズなどで知られる英国の)EMIで、当時のアメリカではこうした内容の映画にお金を出す会社はなかったそうである(ちなみにEMIは他にも上記の「未知との遭遇」なども製作している。偶然なのか、両作の撮影を担当しているのは名匠ヴィルモス・ジグモンドである)。
徹底的なこだわりを持った監督がやりたい放題に撮った作品で、そのことが次作「天国の門」における大失敗を招くことにもなる。
・「天国の門(1980年)」(マイケル・チミノ監督) 4.0点(IMDb 6.8) 日本版DVDで視聴
アメリカ開拓史の負の一側面を、徹底的にこだわった手法で撮ったマイケル・チミノもうひとつの傑作。今作でもヴィルモス・ジグモンドによる映像は見事というしかないのだが、日本版DVDの映像はその魅力を全く伝えておらず(正直よくこのクオリティで商品として売り出せたなという程のひどさである)、最低でもBlu-Ray版で見る必要がある。
・「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン(1985年)」(マイケル・チミノ監督) 2.0点(IMDb 6.9) インターネットで視聴
前作「天国の門」の大失敗の余波で、徹底的に映画作りにこだわって来たマイケル・チミノも、こうしたつまらない商業映画を撮るようになったのだという1本。
今ならアジア人差別だなんだで到底撮れなかっただろう内容だが、ヒロインの造型などは典型的な「エグゾチックでエロいアジア女性」で、余りの紋切型にはさすがにゲンナリさせられる(ちなみに彼女は日本人とオランダ人とのハーフらしい)。
ケン・ローチ監督作品を3作続けて。
・「Up the Junction(1965年)」(ケン・ローチ監督) 3.0点(IMDb 6.8) インターネットで視聴
駄目男と駄目女のどうしようもない話を、ローチは淡々と観察しながらも、どこか愛情や同情をこめて描き出している。
・「夜空に星のあるように(1967年) 原題:Poor Cow」(ケン・ローチ監督) 3.0点(IMDb 7.0) 英国版DVDで視聴
元々はテレビ用映画である。英語字幕付きで見たのだが、早口でラフな英語(ロンドン訛り?)の台詞を理解するのにかなり骨が折れた。ロンドン下町バターシーの当時の風俗をそのまま切り取ったような内容で、老若男女の痴情話を中心に物語られる。
最後に3人の若い女性が通りを歩いていく姿に、フランスのジャック・ロジエによる「アデュー・フィリピーヌ」の一場面が思い浮かんだ。
・「ナビゲーター ある鉄道員の物語(2001年)」(ケン・ローチ監督) 3.0点(IMDb 7.0) 英国版DVDで視聴
英国鉄道の民営化によって仕事を失ったり労働環境の劇的な変化を甘受せざるをえなくなった鉄道労働者の姿を描く、真面目で息苦しい内容である。ところどころにユーモラスな場面もあるし、音楽もおそらく意図的に軽快そのものなのだが、結末の事故とそれを隠蔽しようとする労働者たちの行動が、やむにやまれぬものだけに非常に重苦しい気分にさせられる。
新自由主義やグローバリゼーション、昨今のコロナ禍などによって、今作で描かれている労働者の窮状は20年後の現在も依然としてアクチュアルで、むしろ過酷さはさらに増していると言えるだろう。
フリッツ・ラング監督作品を3作。
・「死刑執行人もまた死す(1943年)」(フリッツ・ラング監督) 3.5点(IMDb 7.5) 日本版DVDで視聴
ベルトルト・ブレヒトが脚本に参加して(ただし途中で降板したらしい)戦時中に作られた反ナチ・プロパガンダ映画だが、サスペンス映画としてもなかなかの出来となっている。
しかし前半の展開部と後半の解決(?)パートの雰囲気がガラリと異なり、後半が余りに「出来すぎ」なことでリアリティを大きく毀損してしまっている。
唐突な転回による悲劇的結末には驚かされるものの、最後の高らかな合唱は今作がプロパガンダ映画であることを思い出させ、いささか鼻白む(それでもこのような作品を戦時中に作れたこと自体は驚異である)。
教授役のウォルター・ブレナンやゲシュタポ・グリューナー役のアレクサンダー・グラナックの演技や存在感が突出している。
・「ビッグ・ヒート/復讐は俺に任せろ(1953年)」(フリッツ・ラング監督) 3.5点(IMDb 7.9) 日本版DVDで再見(?)
家庭では良き父だが、上司に媚びを売ることが出来ず、周囲にうまく溶け込めずに敵ばかり作ってしまう頑固な刑事役をグレン・フォードが好演していて、不幸でありながらも全く感情移入できない主人公の異色な造型がかえって今作をありきたりのサスペンス映画以上の作品にしている。
・「仕組まれた罠(1954年) 原題:Human Desire」(フリッツ・ラング監督) 3.0点(IMDb 7.1) 日本版DVDで視聴
ジャン・ルノワールの「獣人」(1938年)と同じエミール・ゾラの小説が原作(未読)。
ルノワール版よりすっきりしていて分かりやすいものの、アメリカ映画らしくピューリタン的な結末は余りに単純すぎるだろう。ブロデリック・クロフォードが嫉妬深い夫を好演しているが、グレン・フォード演ずる主人公(彼こそが「獣人」のはずなのだが、今作ではむしろ善良に描かれており、題名も原作と似て非なるものになっている)や、彼を密かに愛しているKathleen Caseなどは紋切型すぎてつまらない。
・「ミッシング(1982年)」(コスタ・ガブラス監督) 3.0点(IMDb 7.7) 日本版DVDで視聴
チリのクーデター下で起きたアメリカ人殺害事件に基づいて作られた作品で、カンヌ映画祭では最高賞や男優賞を受賞(個人的にはそれほど優れた作品とは思えないのだが)。
事件の真相を追うサスペンス的な要素よりも、失踪した息子の行方を追う保守的で頑固な父親(ジャック・レモン)と事あるごとに義父に食ってかかる義娘(シシー・スペイセク)との対立場面が中心になってしまっていて、ウンザリさせられる。
・「小説家を見つけたら(2000年) 原題:Finding Forrester」(ガス・ヴァン・サント監督) 1.0点(IMDb 7.3) 英国版DVDで視聴
また1作、ご都合主義満載でハリウッド的な能天気さを見せつけられて時間を浪費した駄作。一見「ガープの世界」に似ているのだが、実際は極めて凡庸かつ典型的なPC(政治的正しさ)映画であり、文学が見世物小屋で観客を瞠目させる手品か何かのような扱われ方をしていて呆れるしかない(ついでながらこの主人公のずば抜けた文学的才能を示しているらしいスピーチなるものが一部しか描かれないのはさすがに杜撰すぎるだろう)。
この種のPC映画に出てくる黒人などのマイノリティは決まって完全無欠なスーパーマンのように描かれ(そして敵役としてユダヤ&白人中年男性が登場)、しかも彼が名家出身の美しい「白人」(マジョリティ)女性に愛されるというお決まりの設定は笑止千万というしかない。
・「シド・アンド・ナンシー(1986年)」(アレックス・コックス監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴
伝説的バンド「セックス・ピストルズ」のシド・ヴィシャスと、その恋人ナンシーに題材を取った伝記(?)的作品で、もともとこの種の映画を面白いと思うことは滅多にないのだが、今作もご多分に漏れずに可もなく不可もない出来である。ゲイリー・オールドマンとクロエ・ウェッブによる痛々しい演技は印象的で、ロンドンやNYの薄汚い風景もなかなかの見物ではある。
・「ナイル殺人事件(2022年) 原題:Death on the Nile」(ケネス・ブラナー監督) 2.0点(IMDb 6.3) インターネットで視聴
PC(政治的正しさ)への配慮から何人かの登場人物がマイノリティなどに置き換えられ、真犯人は原作通りではあるものの、一部の出来事(の犯人)や被害者も原作から変更されているのだが、いずれも奏功しているとは思えない。
何よりも終始ハラハラさせられるような場面がなく、淡々と事件が起きて淡々と解決されるのみで何のカタルシスもない。薄っぺらなCG同様、内容や演出、俳優たちの演技もスカスカで、映像が綺麗なのが唯一の褒めどころか。
ケネス・ブラナー演ずるポワロは前作同様に派手なアクション・シーンを演じており、原作にはない失われた恋や戦場での苦い手柄話も無駄な付け足しでしかない(ついでだがこの人のフランス語はネイティブとは到底思えない下手さ加減である)。
事件の真相を物語る場面でも無意味なまでに早口で(解決が遅れて友人を死なせた悔恨ゆえか?)、今作で初めてこの作品に触れる観客は果たして真相を把握できただろうかと心配になってしまう。
・「さよなら子供たち(1987年)」(ルイ・マル監督) 4.0点(IMDb 8.0) 日本版DVDで再見
声高にナチス・ドイツを批判・非難することなく、終始抑制のきいた演出や演技、音楽や映像で、かえってこの峻厳な物語が生きている。学校生活における子供たちの残酷さや卑俗さもそのまま描き出し、彼ら以上に非情で残酷な大人たちの姿がより浮き彫りになっている。
シューベルトの「楽興の時」も作品にぴったり合っていて、ハリウッド映画とは全く異なるフランス映画ならではと言える作品となっている。少年たちの間の友情もウェットに描かず、それゆえに最後の永訣の場面が際立つ。
作中に出てくるチャップリンの「移民」も実にやるせない。
ということで「移民」も見直してみた。
・「チャップリンの移民(1917年) 原題:The Immigrant」(チャーリー・チャップリン監督) 3.0点(IMDb 7.6) インターネットで再見
改めて見返してみると特別良い出来ではなく、冒頭の船の場面はそこそこ笑えるが、後半のドタバタは大して面白くない。最後の求婚も強引すぎて今一つ感情移入できない。
・「パーマネント・バケーション(1980年)」(ジム・ジャームッシュ監督) 3.0点(IMDb 6.2) インターネットで視聴
傑作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984年、日本公開は1986年)に先立つデビュー作ということで、長年見たいと思っていたものの35年以上たってようやく鑑賞。
如何にも卒業制作といった趣の自伝的習作だが、古ぼけたNYの街の魅力と主人公の少年が終始街をさまよう極小的ロード・ムーヴィー的要素もあって退屈することはなかった。
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」で主役を演ずるジョン・ルーリーがもともとサックス奏者であることを今作を見て改めて思い出した。
・「愛人ジュリエット(1951年) 原題:Juliette ou la Clé des songes」(マルセル・カルネ監督) 3.0点(IMDb 7.0) テレビ放送を録画したもので視聴
実にフランス映画らしく、結末も苦々しい味に満ちている。記憶を長く保てない住民の住む村という設定は面白く、誰もが自分に都合良く記憶を美化するものの、不幸でもなければ幸福でもないという中途半端な状態が興味深い。
ジョゼフ・コスマの音楽が素晴らしく、モンマルトルにある長い階段も映像的に巧みに利用されている。
・「ガンジー(1982年)」(リチャード・アッテンボロー監督) 4.0点(IMDb 8.1) テレビ放送を録画したもので視聴
上記の「シド・アンド・ナンシー」のように実在人物を描く映画は評価が難しいが、今作はその中でも成功作だと言って間違いない。
字幕を用いて説明することはせず、登場人物たちの台詞や動きだけでインドとパキスタンの独立までを描ききった点も素晴らしい。インドならではの大勢のエキストラによる群衆シーンも迫力たっぷりで、奇をてらうような演出や撮影はないものの、風格のある歴史映画に仕上がっている。
メーキャップのおかげもあるだろうが、ベン・キングズレーを始めとする、老け役を演じた役者たちも見事である。
・「アデル、ブルーは熱い色(2013年) 原題:La Vie d'Adèle : Chapitres 1 et 2」(アブデラティフ・ケシシュ監督) 3.0点(IMDb 7.7) インターネットで視聴(セックス・シーンが一部削除された日本版とは異なるオリジナル版)
これが男女の物語であったら果たして映画にまでなっただろうかと思ってしまう、どこにでもあるような恋愛と反目、別れとその後についての物語であり、内容的には凡庸そのものである。
それが女性2人による同性愛となると、昨今のLGBTQの流れに訴えかけるものがあるらしく(さらに女優陣の「熱演」もあってか)高く評価されはしたものの、作品自体に特筆すべきものがあるとは思えない(演出も冗漫で尺も長すぎるし、長ったらしい性描写もあそこまで執拗に撮るべきか疑問である)。
今作がカンヌの最高賞を受賞ということで、上記「ミッシング」同様、この賞に対する私の信頼度はますます低下するのみである。
・「ハズバンズ(2013年)」(ジョン・カサヴェテス監督) 1.5点(IMDb 7.2) インターネットで視聴
「ハッピーアワー」(2015年)を撮る際に監督の濱口竜介が参照した作品ということで見てみた(「ハッピーアワー」は当初「Wives」という題名だったらしい)。
作中で英国人女性がジョン・カサヴェテスに「I don't like your....American bluntness.」という台詞があるのだが、まさにこの映画が「American bluntness」そのものと言っていい無遠慮さに満ちていて不快極まりない。
若くして親友が死んだことで「中年の危機」に陥った3人の「夫たち」が、 大酒をくらった末にいきなりロンドンに行って、ギャンブルや売春などで憂さを晴らそうとする姿は、まさに英国に住んでいた時に幾度となく目にした、大声で我が物顔に振る舞うアメリカ人観光客を想起させられ、ウンザリした。中国人を「Chinks」、大柄な女性を「gawky」などと呼ぶのも当時では当たり前のことだったのだろうか。
・「寄席芸人(1960年) 原題:The Entertainer」(トニー・リチャードソン監督) 3.5点(IMDb 7.1) 英国版DVDで視聴
悪い意味で「予定調和」そのものの内容(結末)で、既に冒頭から最終的に悲劇や没落が到来するのではないかと予感させられる雰囲気である。そんな中でも最後まで前向きで本当には挫折を知らない中年芸人役のローレンス・オリヴィエがさすがの巧さで、今作の後でオリヴィエ夫人となるジョーン・プロウライトが、地味な役柄ではあるもののしっかり脇を支えている。アラン・ベイツやアルバート・フィニーが今作で映画デビューを飾っている。
・「パリは燃えているか(1966年)」(ルネ・クレマン監督) 3.0点(IMDb 6.8) 英国版DVDで視聴
原作はラリー・コリンズとドミニク・ラピエール(未読)・
これぞまさにオール・スター・キャストと呼ぶにふさわしい豪華ぶりで(上の画像左下に主要キャスト名が並んでいる)、ヒトラーのパリ殲滅命令に始まり、連合軍によるパリ解放に終わるまでを実写フィルムを交えて描いてはいるものの、全体に緊張感が感じられず、不出来なドキュメンタリー映画を見ているような印象である。
ゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラという当代一流の文学者と映画人が脚本を担当しながら、パリ中心部での撮影許可を得るためかなりの妥協と自己検閲を強いられたせいか、まとまりのない散漫な作品になってしまっている。
弱体化しているとは言え、武装したドイツ軍兵士たちが待ち受けているにもかかわらず、既に勝ったつもりになって嬉々としてパリに入城し、あっさり殺されてしまう米仏兵や市民の様子を見ていると、そんなことだから簡単にドイツに占領されてしまったのだと憎まれ口を叩きたくなってしまう程である。
・「ふくろうの河(1962年)」(ロベール・アンリコ監督) 3.0点(IMDb 8.1) インターネットで視聴
アンブローズ・ビアス原作の短編小説(映画視聴後に読んでみた)に基づくわずか28分の作品で、とりたてて傑出してはいないものの、最後のどんでん返し(?)などは見事である。
・「モロッコ(1930年)」(ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴
市川崑の「悪魔の手毬唄」(1977年)で知った作品だが、これまで実際には見たことがなかった。同作では、この映画が日本で初めて「スーパーインポーズ」の字幕付きで公開されたトーキー作品として紹介されているが、それ以上にマレーネ・ディートリッヒがハイヒールを脱ぎ捨てて砂漠を歩いていく最後の印象的な場面によって知られている作品だろう。
しかしこの場面を除いてしまうと、長回し撮影や短い戦闘シーンなど興味深い場面はあるものの特筆すべき程のものではなく、全体的な出来はせいぜい平均点だろう。
・「シェラ・デ・コブレの幽霊(1964年)」(ジョセフ・ステファノ/ロバート・スティーヴンス監督) 3.0点(IMDb 6.4) Amazon Prime Videoで視聴(セールでわずか100円だった)
何らかの理由でお蔵入りした後でフィルムが散逸し、「幻の作品」として伝説化されていたホラー映画だが、その後見つかったフィルムを綺麗に修復したものを見られるようになった(ただしアマゾン版は「Mr. Orion」が「オリオン夫人」と訳されるなど(そもそも「オライオン」なのだが、「オリオン座」という言葉と合わせるために字幕では「オリオン」となっている)、おかしな日本語字幕が散見された)。
今ではこれくらいのホラー映画では怖くも何ともないが、当時は幽霊の造型などが目新しかったのだろうか。幽霊の真相を巡る謎や悲劇的な結末にしても特別目新しいものではないのだが、それなりに楽しめはする。
パウリナ役のジュディス・アンダーソン(上の写真中央)は存在感があって顔立ちも怖い。
上のコメントに何度も記しているが、最近はPC(政治的正しさ)にやたらと配慮した作品が増えて来ていて、特定の性別や人種、国籍等に対する差別や偏見をなくすという意味合いでは評価されるべきだろうが、一方で皮相なクリシェ(紋切型)のみが肥大・蔓延していくようで、インターネットやSNSを用いた集団による監視・検閲体制なども相まって世界的な価値観がどんどん画一化し、安直な「正義・不正義」という二元論が拡大していくことに懸念を覚えずにいられないのも確かである。
とりわけそれが映画や文学などの芸術や文化にまで普及していくことは、むしろ安易な価値判断を保留して思考や批判を深めていくことに意義のあるだろうこれらのジャンルの自己否定にもつながりかねないだろう。







































