左は主人公ギューちゃん役の加東大介、右は小花役の中田康子

 

 2021年12月23日(木)

 映画鑑賞の備忘メモ第6弾は、獅子文六原作(未読)で千葉泰樹監督、主演・加東大介、助演・淡島千景、仲代達矢、原節子等の「大番」4部作。

 以下は2011年にラピュタ阿佐ヶ谷で上映された際の案内サイト→http://www.laputa-jp.com/laputa/program/ooban/

 

  

 

 かつて流行作家だった獅子文六の作品の多くは、「てんやわんや」や「海軍」などを除いて長らく絶版や品切れが続いていたが、何年か前からちくま文庫から次々と復刊され始め(その後、朝日文庫や中公文庫、河出文庫、P+D BOOKSなどもこれに続いた)、NHKで「悦ちゃん」がドラマ化されるなどして、一部で話題にもなった。

 

  

 

 私はそれ以前からフランス(文学)がらみでこの人に興味を覚え、文庫本や全集の端本を古書でちょこちょこ買い集めていたのだが、買っただけで安心してしまって、かなり前に読んだ「悦ちゃん」以外にはまともに作品に触れたことがなかった(実はこう書いている現時点でも、「悦ちゃん」しか読んだことがない)。

 

  

 

 今年になってAmazonのKindleセールで今回採り上げる「大番」の原作(小学館文庫、上下2巻。表紙はつまらないものなので貼付せず)が半額になったことがあって、買おうか買うまいかかなり迷ったのだが、その前後にKindle本をやたらと沢山買いまくって積ん読本が溜まりに溜まっていたこともあって、結局諦めてしまった。

 

  

 

 その代わりという訳ではないのだが、以前たまたまインターネットで見つけて保存しておいた「大番」の映画化作品があったことを思い出し、ちょうど良い機会だと思って見てみることにした。

 

 

 映画を見終えた後も上記Kindle版が改めて半額(実際は50%ポイント還元)になったことがあるのだが、その時も散々迷った挙げ句、やはり買うのは諦めてしまった。積ん読本をさらに増やすより、とりあえず手持ちの獅子文六作品(あらかた日本に置いて来てしまったので、韓国にあるのは「七時間半」1冊のみ)を読んでみて、気に入ったら改めて考慮することにしたのである。

 

 

・「大番(1957年)」(千葉泰樹監督) 3.0点(IMDb 7.0) インターネットで視聴

 当時既に40代半ばだった加東大介が少年期から晩年までを演ずるという「無理」があるものの、後に相場師として活躍する「ギューちゃん」こと赤羽丑之助の波乱万丈の生涯を描く大長編の幕開けとして、今作はそこそこ面白く見られる内容になっている。

 

 

 加東大介の演技はいつもながらに飄々と脱力した感じが好ましいのだが、折に触れてギューちゃんを鼓舞したり慰めたりし続ける淡島千景や仲代達矢(上の写真右)、「チャップリンさん」という渾名を持つ元・名物相場師役の東野英治郎など、彼を取り巻く登場人物たちの造型も多彩で魅力的である。

 「大番」シリーズには、名女優・原節子が謎めいた令嬢役で登場するのだが(上から2枚目の写真)、第1作である今作では何と写真(の中)のみの出演で、若き日の令嬢役を別の若い女優が演じている。

 

 

・「続大番 風雲篇(1957年)」(千葉泰樹監督) 3.0点(IMDbなし CinemaScape 3.0) インターネットで視聴(上の写真)

 株屋として成功するにつれて、女遊びにも精を出し始めるギューちゃんなのだが、淡島千景演ずる「おマキさん」は終始このギューちゃんに尽くし、陰に日向に守立(もりた)て続けていく(下の写真左)。

 相場師ギューちゃんは時に時代の波に乗って派手に大儲けもするが、戦争等の荒波に翻弄されてこっぴどい落魄も経験し、この第2部では頼みにしていた証券会社社長(河津清三郎)が株価の大暴落に責任を感じて自殺してしまい、ギューちゃん自らも相場師から足を洗うことにして故郷へと戻る。

 

 

・「続々大番 怒涛篇(1957年)」(千葉泰樹監督) 3.0点(IMDbなし CinemaScape 2.8) インターネットで視聴(下の写真)

 

 昭和初期に時代がどんどんきな臭くなっていく中、相場師をやめたギューちゃんは闇屋になって金を荒稼ぎするようになる一方で女遊びも一向収まらないのだが、「おマキさん」(淡島千景)はいよいよ「聖母」のような存在となってギューちゃんを無心に支えていく。日米開戦の報を聞いて、ギューちゃんは再び故郷へと戻っていく。

 

 

・「大番 完結篇(1958年)」(千葉泰樹監督) 3.5点(IMDbなし CinemaScape 2.8) インターネットで視聴

 映画としては4部作の中で最も平凡な出来かも知れないが、全4部作を見事に描き切った結末と、シリーズ全体への総合評価として3.5点を献上。

 幼時から憧れた令嬢(原節子)を一途に慕い続けながら、株屋として成功して大金を手にする度に愛人を次々囲って行き、どん底にあった時も気丈に支えてくれた「聖女」おマキさんをないがしろにするギューちゃんの、良くも悪くも天衣無縫な生き方は、現在の価値観では到底是認・許容されるものではないだろう。

 特に愛人全員を一堂に集めて新年会を催してみせたり、上記の「憧れの令嬢」が未亡人になると、たちまち金に飽かして彼女と結婚しようとしておマキさんをあっさり棄ててしまったりするエピソードなどから、ギューちゃんが所詮は自己中心的な俗物中の俗物であることが露呈してもしまう。

 しかしとうとう「我が物」になるかと思われた憧れの令嬢が(事実上の)自殺を遂げてしまい、かつて自分を株式相場の奥深い世界へと導いてくれた「チャップリンさん」(東野英治郎)も死んでしまったのを機に、ふたたび株屋として生きていく決意をするところは、この大河小説(映画)の締めくくりとしてふさわしいものだと言っていいだろう(事実上の「糟糠の妻」であるおマキさんとちゃんと身を固めていたならもっと良かったのだろうが)。


        左は団令子

 

 上記の通り原作は未読のためこの映画版で判断するしかないのだが、基本的に相場師の世界を扱いながらも、その背景となる戦前から戦後にかけての激動の昭和史を概観する結果になってもいるこの作品は、いわば日本の「バルザック」的世界を描き出しているとも言え、ギューちゃんを取り巻く世界が獅子文六の原作の中でどのように描かれているか気になるところである(という訳で、結局そのうち原作のKindle本を買ってしまうことになりそうである)。