2021年2月13日(土)

 まずは寒い時期にはどうしても多くなりがちな訃報を6件+1件(敬称略)。

 

 最初はフランスの脚本家で作家のジャン・クロード・カリエール(8日死去。享年満89歳。上の写真)。

 あえて紹介するまでもない映画界の巨匠だが、若くして小説家としてデビューした後、映画監督のジャック・タチやピエール・エテックスと知り合ったことがきっかけで映画の制作現場に立ち会うようになり、タチの「ぼくの伯父さんの休暇」の小説版を出版した際にイラストを担当したエテックスと共同脚本・監督で何作もの映画を手がける一方、脚本家として頭角をあらわして数多くの傑作・名作映画を書き上げた。

 中でもルイス・ブニュエル作品は「小間使の日記」(1964年)を手始めに、「昼顔」(1967年)、「銀河」(1969年)、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(1972年)、「自由の幻想」(1974年)、「欲望のあいまいな対象」(1977年)など、後期代表作のほぼ全作で脚本を担当している。

 他にもギュンター・グラス原作でフォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」(1979年)や、ミラン・クンデラ原作でフィリップ・カウフマン監督の「存在の耐えられない軽さ」(1988年)、大島渚の「マックス、モン・アムール」(1986年)、1968年の仏5月革命を背景にしたルイ・マルの「五月のミル」、エドモン・ロスタンの傑作戯曲を映画化した「シラノ・ド・ベルジュラック」(ジャン・ポール・ラプノー監督、1990年)、プルーストの小説をフォルカー・シュレンドルフが監督した「スワンの恋」(1984年)、ドストエフスキーの原作をアンジェイ・ワイダが映画化した「悪霊」(1988年)、アラン・ドロン主演でジャック・ドレーが監督した「太陽が知っている(La Piscine)」(1968年)や「ボルサリーノ」(1970年)、「友よ静かに死ね(Le Gang)」(1976年)などの他、ジュリアン・シュナーベルやフィリップ・ガレル、ジャン・リュック・ゴダール、ミヒャエル・ハネケなどにも脚本を提供している。

 また演劇界の巨匠ピーター・ブルックがインドの叙事詩「マハーバーラタ」を舞台化した際にも台本を担当している。

 

 英紙ガーディアンの訃報記事は、

 https://www.theguardian.com/film/2021/feb/09/jean-claude-carriere-writer-of-cyrano-de-bergerac-and-belle-de-jour-dies-aged-89

 

 
 

 2人目は言語社会学者の鈴木孝夫(10日死去、享年満94歳。上の写真左。右は私が勝手にこの人に似ていると思っている俳優の徳井優)。

 学生時代にこの人の講義を聴講したことがあり、「閉された言語・日本語の世界」や「ことばと文化」、「武器としてのことば―茶の間の国際情報学」、「朝鮮語のすすめ 日本語からの視点」などの著書にも親しんだものである。もっとも今から振り返ると、当時どこまでこの人の主張を理解し、納得していたのか疑問でもあるのだが、言語と社会の関わりなどについて多少なりとも考察する機会を得られたことだけは間違いないだろう(そのことが特に何かの役に立ったという訳ではないとしても、である)。

 

 

 3人目はドラマ演出家でTBS相談役でもあった鴨下信一(10日死去、享年満85歳。上の写真中央)。

 この人の演出作の中で、世代的にも、個人的にインパクトを受けたという意味でも、やはり山田太一脚本の「ふぞろいの林檎たち」(1983年、1985年、1991年)が真っ先に思い浮かぶのだが(同じ山田太一脚本の「岸辺のアルバム」(1977年)や「想い出づくり」(1981年)は放映当時は見ておらず、前者は後にDVD化されてようやく見るには見てみたが、さほど優れているとも思えなかった)、他にも橋田壽賀子脚本の「女たちの忠臣蔵」(1979年)や司馬遼太郎原作で早坂暁脚本の「関ヶ原」(1981年)、野島伸司脚本「高校教師」(1993年)など、いずれもちゃんと見た訳ではないものの、放映時に話題になったのは記憶に残っている。

 今回改めてこの人が演出したドラマのリストを見てみて、実際にはほとんど見ていないことに気づいたのだが、それには私がドラマというものを一番よく見たのが1970年前半~80年代半ば頃までの約10年程で、それ以降は映画しか見なくなってしまったことも影響しているかも知れない。

 

 

 4人目は声優・俳優の森山周一郎(8日死去、享年満86歳。上の写真)。

 この人のことも特に好きだった訳ではないのだが、「刑事コジャック」のテリー・サバラスを始めとする洋画・海外ドラマの吹き替えや(もっとも「刑事コジャック」はちゃんと見たことがないのだが)、宮崎駿のアニメ「紅の豚」の主人公ポルコ・ロッソ役などで、古き良き(?)時代の代表的な声優のひとりであることは間違いないだろう。

 俳優としても数多くの時代劇や刑事・警察ドラマなどでの演技や、映画でも周防正行の「Shall we ダンス?」(1996年)など、声優作品に比べるとそれほど頻繁に接した訳でもないのだが、その印象的な声と風貌とによって今でも記憶に残っている作品は少なくない。

 

 

 5人目はカナダの映画俳優クリストファー・プラマー(5日死去、享年満91歳)。

 一般的に最も有名なのはジュリー・アンドリュースと共演した「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)のトラップ大佐役(上の写真左)だろうが、個人的にはジョン・ヒューストンの「王になろうとした男」(1975年)でのラドヤード・キップリング役や、リチャード・マシスン原作の「ある日どこかで」(1980年、ヤノット・シュワルツ監督)、テリー・ギリアムの「12モンキーズ」(1995年)や「Dr.パルナサスの鏡」(2009年)、最も新しいところでは「人生はビギナーズ」(原題:Beginners、2010年)などが特に記憶に残っている(最近の「手紙は憶えている」(2015年)や「ゲティ家の身代金」(2017年)はDVDや動画ファイルは持っているものの、まだ見ていない)。

 

 英紙ガーディアンの訃報は、

 https://www.theguardian.com/film/2021/feb/05/christopher-plummer-sound-of-music-star-and-oldest-actor-to-win-an-oscar-dies-aged-91

 同紙の映画専門記者 Peter Bradshaw による追悼記事は、

 https://www.theguardian.com/film/2021/feb/05/christopher-plummer-dies-sound-of-music-beginners

 

 

 最後は女優で元タカラジェンヌの大路三千緒(おおじ・みちお、12日死去、享年満100歳。上の写真)。

 宝塚の同期には越路吹雪や乙羽信子、月丘夢路など錚々たる人が名を連ねているのだが、正直なところ、この人のことは向田邦子原作のドラマ「阿修羅のごとく」の母親役でしか見た記憶がない(しかしその印象は非常に強烈で今でもよく覚えている)。

 他にもNHKの連続テレビ小説「おしん」(1983~1984年)や大河ドラマ「翔ぶが如く」(1990年)などにも出ていたらしいのだが、あいにく私はいずれも見ていない。

 100歳での逝去ということで、上記「阿修羅のごとく」で共演していた俳優陣でも、夫役の佐分利信も、娘役の加藤治子や八千草薫も、あるいは婿役の緒形拳や末娘の恋人役の深水三章、長女の愛人役・菅原謙次、その妻役の三條美紀、夫の愛人役・八木昌子、口さがない隣人役の千石規子、巡査役の金井大などなど、かなりの人が先に逝ってしまった。むろん原作者の向田邦子や演出家の和田勉も既に鬼籍に入ってしまっている。

 

 

 他にもジャズ・ピアニストのチック・コリアが亡くなったことをニュースで知ったのだが(9日死去、享年満79歳。上の写真)、あいにく私は名前こそ知ってはいるものの、この人の曲や演奏のことはほとんど知らないため、これ以上何か書くことは出来ない。

 

 ともあれ、これらの人々の死を悼み、冥福を祈りたい。

 

*

 

 前回の本に続き、この間に見た映画の備忘メモを以下に掲げておくが、なにせ本数が多いため、基本的にタイトルと点数など簡単な内容に留めておくことにする(それでも結局ひどく長くなってしまったが・・・・・・)。

 

・「飼育(1961年)」(大島渚監督) 2.5点(IMDb 6.8) インターネットで視聴

 言わずと知れた大江健三郎の初期作品(芥川賞受賞作)の映画化だが、大江らしさはほとんど感じられず、ひどく大仰で芝居がかった演劇調な演技や、日本の陰湿なムラ社会をいささか図式的に描き出した、昔ながらの日本映画といった趣である。無責任構造に支配された因習的なムラ社会を批判的に描くのが今作の主眼なのだろうが、他の大島渚作品でもそうなりがちなように、その意図だけが空回りしてしまっている。

 

・「冬の華(1978年)」(降旗康男監督) 3.5点(IMDb 6.8) 日本版DVDで視聴

 倉本聰脚本。フランス風フィルム・ノワールと「ゴッドファーザー」の混淆といった趣で、スタイリッシュなヤクザ(高倉健)が実は「あしながおじさん」だったという物語(今作が高倉健最後のヤクザ映画だそうである)。クロード・チアリの音楽も悪くない。

 

・「ダウンタウン・ヒーローズ(1988年)」(山田洋次監督) 3.0点(IMDb 6.8) 日本版DVDで視聴

 早坂暁原作(未読)。今は無き「旧制高校」における若者たちの姿を描いた作品で、北杜夫の「どくとるマンボウ青春期」や「回想記」などに通ずる内容だが、個人的には北杜夫のエッセイの方が遙かに面白い。

 教師役のすまけいが最後に「自由」を巡って一席ぶつ内容などは如何にも正論で鼻白むが、渥美清や倍賞千恵子を筆頭に、笹野高史や米倉斉加年など、山田洋次作品の常連組が出ているのも嬉しい(「男はつらいよ」でマドンナ役を演じた淡路恵子や樫山文枝も出演している)。

 

・「運が良けりゃ(1966年)」(山田洋次監督) 1.5点(IMDb 5.9) 日本版DVDで視聴

 後の「男はつらいよ」につながる「愚兄賢妹」物語の原型だが、ちっとも笑えないし、その笑いも悪趣味でしかない。主演のハナ肇の演技も空回りで良いところがなく、武智豊子の因業ババアぶりと凄惨な最期だけが見どころ。

 

・「馬鹿まるだし(1964年)」(山田洋次監督) 3.5点(IMDb 5.9) 日本版DVDで視聴

 藤原審爾原作(未読)、脚本は加藤泰と山田洋次。これまた後の「男はつらいよ」に通ずる内容で、「無法松の一生」や聖書(イエス・キリストの生涯)からの影響も少なくない。

 桑野みゆきは今作ではわずか22歳だが、未亡人役を演じていて少しも不自然なところがない貫禄ぶりである(黒澤明の「赤ひげ」は翌年公開で、彼女はそれから2年後の1967年にわずか25歳で引退してしまう)。後にドラマ「北の国から」などにも出た清水まゆみもまだ初々しい。

 

・「霧の旗(1965年)」(山田洋次監督) 3.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで再見

 松本清張原作。原作の影響も大きいだろうが、後の山田洋次作品からは想像し難いようなノワール調のサスペンス映画である(脚本が橋本忍だということもあるだろう)。「山田組」の最重要メンバーのひとりである高羽哲夫による撮影や、林光の音楽も素晴らしい。若き倍賞千恵子が冷酷非情なヒロインを好演しており、相手の滝沢修もさすがの巧さである。兄の利き手はどちらだったのか、真犯人は果たして誰だったのか、最後まで明かされないところも謎めいていて良い。冒頭部は同じ清張原作で橋本忍脚本の「張込み」(1957)に似ている。

 

・「みな殺しの霊歌(1968年)」(加藤泰監督) 1.5点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 山田洋次が「構成」として参加。主演の佐藤允と倍賞千恵子の関係は、車寅次郎とさくらの陰画とも言える。警察幹部役の松村達雄がしきりと痔に苦しむ場面が意味不明で可笑しい。作品自体は実に平凡。

 

・「蜘蛛の街(1950年)」(鈴木英夫監督) 1.5点(IMDbなし、CinemaScape 3.1) テレビ放送を録画したもので視聴

 5階建ての公団住宅で繰り広げられる犯罪(?)映画だが、内容は凡庸極まりない(しかし公開当時は日本映画にこうしたリアリズム的演出の犯罪映画は例がなかったらしく、江戸川乱歩などにも注目されたようである。参考→ http://www.eiganokuni.com/kimata/14.html)。主演は宇野重吉と中北千枝子という地味なコンビだが、若き日の中北千枝子は(役の上でもウブでやぼったい風貌だった黒澤明「素晴らしき日曜日」(1947年)などと比べても)実に愛らしい。個人的には今は無き多摩川園が登場するのも懐かしかった。音楽は「ゴジラ」(1954年)など怪獣映画でも知られる伊福部昭で、後の怪獣映画を想起させる曲調を既に感じさせる。

 

・「四季・奈津子(1980年)」(東陽一監督) 3.0点(IMDb 7.2) インターネットで視聴

 五木寛之原作(未読)。
 公開当時はエロティックな要素ばかりが喧伝されたものだが、それから40年以上を経て初めて見てみると、烏丸せつこの演技にも内容にも猥雑さは稀薄で、作品自体も意外と悪くない(ただしほとんど棒読み演技の阿木燿子だけは頂けないが)。
 

・「赤い風車(1952年) 原題: Moulin Rouge」(ジョン・ヒューストン監督) 3.5点(IMDb 7.1) 日本版DVDで視聴

 まだ庶民的キャバレーだった頃のパリ「ムーラン・ルージュ」の様子を映し出す出だしの20分弱は退屈したものの、トゥールーズ・ロートレックの前半生が描かれ始める頃から徐々に惹き込まれた。何と言っても主演のホセ・フェラーの名演に尽きると言っていい作品だが、後にクロード・シャブロル作品などで年老いた姿に接することの多かったシュザンヌ・フロンが今作では実に美しく魅力的なのに驚かされた。

 今作にもヒッチコック「フレンジー」の Rita Webb がクレジットすらない「ちょい役」で出ているのだが、その特徴ある顔でやはりすぐに識別できた(下の写真。ただし別の映画の画像をインターネットから拝借)。

 

 

・「アフリカの女王(1951年)」(ジョン・ヒューストン監督) 3.5点(IMDb 7.7) インターネットで再見?(英語字幕付き)

 C・S・フォレスター原作(未読)。

 ロード・ムーヴィーの走り(?)と言って良い内容、かつ冒険&戦争モノ、かつロマンスモノでもある。以前格安DVDで見た(はず?)ものとは格段に違う、ジャック・カーディフによる美しいカラー映像とアフリカの風景(特に水辺の動物たち)に圧倒された。ご都合主義的な偶然も多いが、まだまだ未開な地域も多かっただろうアフリカ現地での悪条件を考えあわせれば、細かいことに文句をつけるのも野暮に思えてくる佳作。

 

・「ホワイトハンター ブラックハート(1990年)」(クリント・イーストウッド監督) 3.0点(IMDb 6.6) 日本版DVDで再見

 上記「アフリカの女王」の撮影現場を実地で垣間見た脚本家による小説をもとに作られた映画だが、オリジナルを微塵も越えることの出来ていない凡庸な楽屋話でしかない。細かいことで気になったのは象狩りの途中で死んでしまった黒人ガイドの遺体は、放置したまま置き去りにしたのかということである(もしそうならガイドはライオンなどの野生動物の餌になってしまったに違いない)。

 

・「過去を逃れて(1947年) 原題: Out of the Past」(ジャック・ターナー監督) 4.0点(IMDb 8.0) 日本版DVDで視聴

 フィルム・ノワールの「ファム・ファタル」モノの傑作。悪女役ジェーン・グリーアの鉄面皮ぶりが際立つが、ロバート・ミッチャムも次々迫る来る脅威に少しも動じぬふてぶてしいキャラクターを好演。聾唖の少年が取る最後の行動も気が利いている。

 

・「幻の女(1944年) 原題: Phantom Lady」(ロバート・シオドマク監督) 3.0点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴

 ウィリアム・アイリッシュ原作(未読)。

 冒頭の帽子をかぶった後ろ姿から惹き込まれるものの、その後はサスペンス映画にしては瑕疵が少なくない(そもそもバーテンの証言でアリバイは成立するのでは?)。何よりも取ってつけたハッピー・エンディングで全てが台無しである。エラ・レインズは実に魅力的に撮られている。

 

・「コンドル(1939年) 原題: Only Angels Have Wings」(ハワード・ホークス監督) 4.0点(IMDb 7.7) 日本版DVDで視聴

 まぎれもない傑作で、間違いなく私がこれまで見たハワード・ホークス監督作のベストである。

 単なるロマンス映画に陥らず、命がけで飛行士を操縦するパイロットたちのバディ(友情)モノでありながらロマンス作品でもあるというバランス感覚が絶妙で、結末のウィットも効いている。

 ケイリー・グラントとジーン・アーサーの持ち味も生かされているし、脇を固めるトーマス・ミッチェル(朋友キッド役)やリチャード・バーセルメス(憎まれ役バット役)を始めとする助演陣も個性的で忘れがたい。リタ・ヘイワースもそこそこの役を演じているが、まだ助演級とまでは言えない(それでも既に存在感十分だが)。

 邦題は最悪と言っていいほど意味不明でしかない(確かにコンドル=鳥が作中でそれなりの役割を担いはするのだが・・・・・・)。

 

・「ヨーク軍曹(1941年)」(ハワード・ホークス監督) 2.0点(IMDb 7.7) 日本版DVDで視聴

 実話に基づいた作品で、公開されたのは太平洋戦争開戦前ではあるものの、国威発揚および護教的映画の最たるものと言っていいだろう。おまけにだらだら長くて苦痛な2時間半でしかない。信仰と戦争(殺人)の問題も何ひとつ解決されておらず、ご都合主義の自国(アメリカ)礼賛で誤魔化されてしまっている。

 

・「西部の男(1940年)」(ウィリアム・ワイラー監督) 2.0点(IMDb 7.3) 日本版DVDで視聴

 実在した悪徳判事ロイ・ビーン(ジョン・ヒューストンの作品にもポール・ニューマン主演の「ロイ・ビーン(The Life and Times of Judge Roy Bean)」がある)などをモデルとした作品。ウォルター・ブレナンは良いが、内容自体はどうにも支離滅裂で頂けない。

 

・「激怒(1936年) 原題: Fury」(フリッツ・ラング監督) 4.0点(IMDb 7.9) 日本版DVDで視聴

 ナチを逃れてアメリカに亡命したフリッツ・ラングの記念すべき渡米第1作で、上の点数は多種甘めだが、しかしこれはやはり傑作である。

 今作の背景には言うまでもなくナチスによるユダヤ人迫害があるが、同時にアメリカにおいては黒人迫害の歴史があり、関東大震災の時の朝鮮人虐殺のことを想起すれば我々日本人にも無縁な題材ではない。ラストは甘いかも知れないが、集団心理の危うさを描き出した点は評価されるべきだろう。

 スペンサー・トレイシーの演技はいささか力みすぎだが、それをいつもどこか不安げな表情を浮かべているシルヴィア・シドニーがそれをカヴァーして余りあると言える。決して美人とは言えないが、この女優が名匠たちに愛されたのには十分な理由があるのだ。

 

・「裸の町(1948年)」(ジュールス・ダッシン監督) 3.5点(IMDb 7.6) インターネットで視聴

 ナレーションが過剰なのが気になるが、リアリティたっぷりの屋外ロケで、戦後3年にしてこれだけのクオリティの映画を作りえたアメリカの底力はさすがと言うべきか。バリー・フィッツジェラルドがユーモアたっぷりにベテラン刑事を演じ、新人ゆえの血気が先走って次々とヘマを犯しながらも最後は犯人検挙へと至る刑事役のドン・テイラー(★)、天性の虚言癖を持つ男を演ずるハワード・ダフも好演している。

(★この人は「新・猿の惑星」(1971年)や「ドクター・モローの島」(1977年)、「オーメン2/ダミアン」(1978年)、「ファイナル・カウントダウン」(1980年)などの監督でもあり、俳優としてはビリー・ワイルダーの「第十七捕虜収容所」(1953年)やウィリアム・A・ウェルマンの「戦場」(1949年)などにも出演している。

 

・「昼下りの情事(1957年) 原題: Love in the Afternoon」(ビリー・ワイルダー監督) 1.0点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴

 モーリス・シュヴァリエのナレーションで始まる出だしにはワクワクさせられたが、後は終始退屈。50を過ぎた私のようなオッサンが、この種の甘ったるい恋愛映画を面白がれるはずもなく、当時55~56歳のゲイリー・クーパーと、同じく27~28歳のオードリー・ヘプバーンが、少なくとも各々10歳はサバを読んでいる役にも2人の関係にも不自然さしか感じなかった。

 唯一見どころだったのはユーモアたっぷりのモーリス・シュヴァリエで、この人物を主人公とした探偵映画を見てみたいと思ったものである。

 また、飼い主の誤解から何度も折檻される犬が可哀相だったことも(よく似た犬種の亡き愛犬を思い出してしまったせいで余計に哀れだった)、今作に対して良い印象を抱けない理由である(あれはまさに動物虐待でしかない)。

 一箇所、主演の2人が湖畔にピクニックに行く場面で、水面に波紋が広がっていく映像だけは素晴らしいと思った。シュヴァリエの演技とこの波紋に1点ずつ献上しつつ、上記の犬虐待で1点減点。

 

・「アイガー・サンクション(1975年)」(クリント・イーストウッド監督) 3.0点(IMDb 6.4) 日本版DVDで視聴

 原作トレヴェニアン(未読)だが、ミステリーとしては今ひとつの出来。モニュメント・ヴァレー(どうして一般的な日本語表記では「ヴァリー」ではないのだろう?)に聳え立つ「Totem Pole」の大して広くない頂上部分に、クリント・イーストウッドとジョージ・ケネディの2人が腰掛けてビールを呑む場面は、こちらの足がすくんでしまうほど危なっかしい(今作でスタントを一切使わなかったというイーストウッドはともかく、ジョージ・ケネディも自力でてっぺんまで登ったのだろうか? 以下の動画の6分10秒あたりから→https://www.youtube.com/watch?v=FMSVSwGK7g8&t=370s)。それに比べてアイガー登攀の方は今ひとつの迫力で、結末も余りに呆気なさすぎる。

 

・「ギルダ(1946年)」(チャールズ・ヴィダー監督) 1.5点(IMDb 7.7) 日本版DVDで視聴

 これはまさに「大山鳴動して鼠一匹」の、大風呂敷を広げるだけ広げて最後はいつも通りの馬鹿らしいハッピー・エンディングで終わるという、実にハリウッド的なくだらない映画で、リタ・ヘイワースの演技や踊りを見られるのだけが唯一の取り柄と言っても過言ではない(全く違和感がなく彼女自身が歌っていると思って見ていた作中歌は実は吹き替えなのだそうである)。

 

・「復讐鬼(1950年) 原題: No Way Out」(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督) 4.0点(IMDb 7.4) 日本版DVDで視聴

 昨今の薄っぺらな政治的正しさに満ちた映画など全く色褪せてしまうほどの傑作(日英双方とも凡庸な題名によって大いに損をしている、まさに「知られざる傑作」である)。1950年でこのような作品が作られていながら、今作で提起されている問題は未だに根本的解決を見ておらず、むしろ状況は後退していると言ってもいい程である。

 主演陣も皆、素晴らしいのだが、医師役のスティーブン・マクナリーや黒人女中役を演じている Amanda Randolph も実に味わい深い。

 

・「去年の夏 突然に(1959年)」(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督) 3.0点(IMDb 7.6) 日本版DVDで視聴

 テネシー・ウィリアムズ原作(未読)。脚本はウィリアズムとゴア・ヴィダル。

 元が戯曲のせいか、キャサリン・ヘプバーンやエリザベス・テイラーなど登場人物がとにかく饒舌で、彼らの心理的対立によって徐々に息詰まる展開になっていく。しかし結末は意外に呆気なく、大山鳴動して鼠一匹といった感がなくもない。

 今作でも「フレンジー」(1972)で主人公ラスクの母親役を演じている Rita Webb が、台詞はないものの異様な風貌の女性精神病患者を演じていて印象的である。

 

・「幽霊と未亡人(1947年) 原題: The Ghost and Mrs. Muir」(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督) 3.5点(IMDb 7.9) 日本版DVDで視聴

 馬鹿げた話だと言えばそれまでだが、まるで神か、あるいは父親のような幽霊(レックス・ハリソン)の鷹揚さは魅力的で、結末も予想通りではあるものの、しんみりさせられる佳作。ジーン・ティアニーも勝ち気な未亡人役をうまく造形しえているし、嫌ったらしい浮気男のジョージ・サンダースもいつもながらに実に巧い(出番は少ないものの、子役は当時8歳のナタリー・ウッド)。脇を固める女中役のエドナ・ベストや、義母&義妹役の女優たちも良い味を出している。

 白黒映像の美しさを改めて実感させてくれる撮影も素晴らしく、犬好きとしては下の写真のワンコも見逃せない。ただし音楽はかなり甘ったるく今ひとつ。


 

・「月光の女(1940年) 原題: The Letter」(ウィリアム・ワイラー監督) 3.5点(IMDb 7.6) 日本版DVDで視聴

 サマセット・モームの有名な短編(「手紙」、未読)が原作だが、この映画版がホラー作品だったとは知らなかった(ベティ・デイヴィス主演だという時点で想定しておくべきだったかも知れないが・・・・・・)。結末はおそらく原作にない映画独自の付け足しで、正直蛇足だとしか思えなかったものの、「ホラー映画」としては「あり」なのかも知れない(むしろもっぱらこの結末のせいでホラー映画になってしまっているのだが)。

 

・「ボーン・イエスタデイ (1950年)」(ジョージ・キューカー監督) 3.0点(IMDb 7.6) 日本版DVDで視聴

 ブロデリック・クロフォードの暴君ぶりがとりわけ素晴らしいが、甲高い声と変テコな演技のジュディ・ホリデイも決して悪くない。アメリカらしい理想主義的な政治臭が漂っていることでコメディらしさが損なわれてしまっているのが惜しまれる。

 

・「モーガンズ・クリークの奇跡(1944年)」(プレストン・スタージェス監督) 1.5点(IMDb 7.6) 日本版DVDで視聴

 

・「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ(2017年)」(ソフィア・コッポラ監督) 2.5点(IMDb 6.3) 日本版DVDで視聴

 ドン・シーゲルの「白い肌の異常な夜」(1971年。未見)と同じ原作の映画化作品で 、映像や美術、撮影などは素晴らしいものの、内容的には終始ありきたりで、コリン・ファレル演じる伍長の自滅的な行動にも最後まで納得が行かない。

 

・「レイジング・ブル(1980年)」(マーティン・スコセッシ監督) 3.5点(IMDb 8.2) 日本版DVDで再見

 日本初公開当時、主役のロバート・デ・ニーロが映画のために体重を何十キロも増やしたり減らしたりしたことが話題になり、だからという訳ではないものの私も大いに期待して映画館に見に行ったものだが、話題になった割には地味な内容でピンと来なかった記憶がある。スコセッシ作品としても傑作とは言い難いものの、制約の多い伝記映画としてはそこそこの佳作だと言っていいだろう。

 いつもながらDVD(私が見たのは20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンのもの)の日本語字幕の出来は今ひとつで、特に最後の聖書の引用部分は半分ほどが表示されず(画面によく見入ってみるとかなり薄く字が透けて見える)、全く意味不明になってしまっており、日本製DVDの字幕に対する杜撰さには相変わらず呆れるよりない。

 

・「新・明日に向って撃て! (1979年) 原題: Butch and Sundance:The Early Days」(リチャード・レスター監督) 3.0点(IMDb 5.7) 日本版DVDで視聴

 オリジナルの「明日に向かって撃て」(1969年)と比較しなければ、そこそこ楽しめる作品に仕上がっている。「新」という邦題からは分かりづらいが、原題にある通り、いずれも実在の人物で「明日に向かって撃て」の主人公ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの若き日の物語である。私が結構好きだったおバカSFドラマ「アメリカン・ヒーロー」のウィリアム・カットがサンダンス役、トム・ベレンジャーがブッチ役を演じている。

 

・「明日に向って撃て!(1969年) 原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid」(ジョージ・ロイ・ヒル監督) 3.0点(IMDb 8.0) 日本版DVDで再見

 引き続きオリジナルも見直してみた。初見時ほどの面白さは感じず、良くも悪くもラストシーンに尽きると言っていい。自分たちの命を狙っている人間に執拗に付きまとわれ続けることの恐怖はうまく描かれている。以前は全然気づかなかったが、改めて見直してみるとロベール・アンリコの「冒険者たち」(1967年)の影響が顕著である。

 

・「スティング(1973年)」(ジョージ・ロイ・ヒル監督) 3.5点(IMDb 8.3) 日本版DVDで再見

 「明日に向って撃て!」と来れば「スティング」なので(?)、立て続けに見直してみたが、これまた佳作ではあると思うものの、最初に見た時程の意外性や面白みは覚えなかった。この種の「どんでん返し」は一旦知ってしまうと、たとえ記憶が曖昧になっても最初の時程のインパクトは残らないようである。アカデミー賞を受賞した音楽は良い。

 

・「脳内ニューヨーク(2008年) 原題: Synecdoche, New York」(チャーリー・カウフマン監督) 1.5点(IMDb 7.6) 日本版DVDで視聴

 「マルコヴィッチの穴」(1999年)や「エターナル・サンシャイン」(2004年)の脚本で知られるチャーリー・カウフマンの初監督作だが、明快な物語はなくかなり難解な作品となっている。シェイクスピア流に人生をひとつの芝居と捉え、脳内でその舞台となるニューヨークの街を作り上げ、人間同士の無理解や誤解、愛憎、肉体の衰弱や死などを示唆する場面をほとんど脈絡なく映し出していき、全体に陰鬱な雰囲気が漂っている。

 

・「家族の肖像(1974年) 原題: Gruppo di famiglia in un interno 英題: Conversation Piece」(ルキノ・ヴィスコンティ監督) 4.0点(IMDb 7.5) 英国版DVDで視聴

 英国版DVDには字幕がついていなかったため、外国語の聞き取りが苦手な私はこれまで見るのを躊躇っていたのだが、インターネットでぴったり合う字幕データを見つけたので、ようやく見ることが出来た(それでも英語字幕の読解には苦労したが・・・・・・)。

 ヴィスコンティによるもうひとつの「ベニスに死す」。自ら孤独を求めて人間を避けながら、実際は独りでいることに倦み始めて他者を求めていた知識人(バート・ランカスター)を描く作品。主人公は不意に闖入してきた不躾な家族を追い出せないのは、孤独感からと言うよりも、若く美しい男(ヘルムート・バーガー)に惹かれたためなのだろう(最後の方で政治的・思想的な理由も示唆されるが、所詮後付けのものでしかないだろう)。その意味でもこれは同性愛的な性的指向を有し、実生活においてヘルムート・バーガーなどとも愛人関係にあったヴィスコンティ自身の孤独や老い、死に対する恐れを描いた作品だと言ってもいいだろう。

 

・「ビリディアナ(1961年)」(ルイス・ブニュエル監督) 4.0点(IMDb 8.1) 英国版DVDで視聴(おそらく再見)

 人間存在に対する悪意に満ちみちた傑作(カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞しているが、その名に値する数少ない作品のひとつだろう)。修道女になろうとする無垢の女ビリディアナが周囲の汚れきった人間たちによって汚され、純粋さを喪失していく物語だが、今のすさんだ時代に生きている我々(私)には、これが人間存在をあえて偽悪的に描いたものだと言うことはもはや出来ない。むしろこれくらいでは物足りないほど、我々は日々、人間なるものの醜悪さを見せつけられているからである。

 

・「追い越し野郎(1962年) 原題:Il sorpasso」(ディーノ・リージ監督) 3.5点(IMDb 8.3) インターネットで視聴(英語字幕付き)

 デニス・ホッパーの「イージー・ライダー」(1969年)に影響を与えたとされるカルト的な人気を誇るロード・ムーヴィーで、実際、唐突な悲劇的な結末を含めて類似点が少なくない。主演のヴィットリオ・ガスマンとジャン・ルイ・トランティニャン、ヒロインのカトリーヌ・スパークなど、当然だがまだ若くて生き生きしている。

 

・「ひまわり(1970年)」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督) 2.5点(IMDb 7.4) 日本版DVDで視聴

 コテコテのメロドラマで、ヘンリー・マンシーニの甘ったるい音楽(https://www.youtube.com/watch?v=sWSXI2XIp_4)と最終場面でのソフィア・ローレンの泣き顔、そして広大なひまわり畑がすべてと言っていい。同じく戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描きながらも、アンリ・コルピ&マルグリット・デュラスの「かくも長き不在」(1961年)には遠く及ばない(やはりイタリア人とフランス人の人生観や死生観の違いが大きいか)。セルゲイ・ボンダルチュクの「戦争と平和」でナターシャ役を演じたリュドミラ・サベーリエワが重要な役どころで出演している。

 

・「家族の灯り(2012年) 原題:O Gebo e a Sombra(ジェボと影)」(マノエル・デ・オリヴェイラ監督) 2.5点(IMDb 6.4) 日本版DVDで視聴

 こじんまりとした演劇風作品で、照明や映像などに魅力的な部分はあるものの、最晩年のマノエル・デ・オリヴェイラ作品の多くがそうであるように、可も不可もない出来。

 

・「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア(2017年)」(ヨルゴス・ランティモス監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 エウリピデスの「アウリスのイピゲネイア」に取材した作品で、不条理極まりない痛ましい運命に見舞われた医師一家の悪戦苦闘の様子が描かれている。一家に災厄をもたらす若者役バリー・コーガンが素晴らしく、立ち居振る舞いだけで観客の不安を掻き立てることに成功している。

 

・「ジョン・レノン、ニューヨーク(2010年) 原題:LennoNYC」(マイケル・エプスタイン監督) 3.0点(IMDb 7.7) 日本版DVDで視聴

 もともとザ・ビートルズのメンバー個々人の生活には余り興味がなく、今作を改めて見て色々と知らなかったことが分かり、それなりに面白くはあったものの、やはり個人的には彼らの音楽を聴くことには到底比肩しえない「雑学」、「雑知識」でしかなかった。

 

・「若草の萌えるころ(1968年) 原題:Tante Zita(ジタおばさん)」(ロベール・アンリコ監督) 1.5点(IMDb 6.8) 日本版DVDで視聴

 主演のジョアンナ・シムカス好きであれば堪らない作品かも知れないが(ヌードも披露している)、そうでなければただ単に、最愛の叔母に迫りくる死を直視できず夜の町をさまよい歩き、その場その場の衝動的な行動で周囲の人間(主に彼女に欲情する男たちではあるが)を翻弄する身勝手な女のエゴに付き合わされるだけの映画。

 

・「マイライフ・アズ・ア・ドッグ(1985年) 原題:Mitt liv som hund」(ラッセ・ハルストレム監督) 3.0点(IMDb 7.5) 日本版DVDで再見

 日本公開は1988年12月24日で、私は確かパリの映画館で見たはずなのだが、当時も評判の割にはさほど良いとは思わず、今回も同様に今ひとつだった。出てくる犬だけは可愛いものの主人公の少年が特に可愛がっている風もなく、少年役の俳優が芸達者すぎるせいか、母親や犬と離別する場面もどこか借り物のようで惹き込まれない。

 

・「中国女(1967年)」(ジャン・リュック・ゴダール監督) 1.5点(IMDb 7.1) 日本版DVDで視聴

 前年に作られた「メイド・イン・USA(1966年)」あたりから、もはや私はゴダール作品を全くと言っていいほど受け付けられなくなってしまい、今作も同様である。一応最後まで見てみたもののほとんど意味不明で、理解しようと努めること自体が徒労でしかなかった。

 かつて「カミュ・サルトル論争」において重要な役割を演じた哲学者フランシス・ジャンソンと今は亡きアンヌ・ヴィアゼムスキーの対話部分だけが何とか見られるものだった(彼女の若き日の姿を見られる数少ない映画のひとつという意味では価値があるかも知れないものの、今作では彼女が全く魅力的には感じられなかった)。