2020年12月8日(火)

 しばらく前から何度か言及して来ていたが、1980年に凶弾に斃れたジョン・レノンの死から今日でちょうど40年である(NYで亡くなったのは夜11時頃だったそうなので、日本や韓国の時間帯であれば、明日9日の朝9時頃にちょうど丸40年になる計算である)。

 

 やはり過去に一再ならず書いて来たことだが、1980年12月当時中学1年生だった私は、その死が伝えられた時にはジョン・レノンという名前すら知らなかった。

 かなりうろ覚えながらも、確か日本テレビの徳光和夫(アナウンサー)が、背後一面ガラス張りで外の通りがそのまま見えるスタジオでその死を報じているのを目にしたことを薄ぼんやりと記憶している。

   おぼろげな印象では夕方だったような気がするのだが、冬の朝で外がまだ薄暗かったためそんな気がするだけで、実際には朝の番組「ズームイン!!朝!」においてだったのだろう(と一旦書きはしたものの、上記の死亡時刻や昼間は学校に行っていたことなどを考えると、やはり夕方だったのではないかと思うようになった。アナウンサーも番組も全く別だったかも知れない。かくも記憶というものは実に当てにならないものである)。

 

 

 何やら大騒ぎになっていたので、私はすぐ母親にジョン・レノンとは誰なのか尋ねてみたのだが、ザ・ビートルズのメンバーだと知らされてもピンとは来ず、ただ「ああ」と思ったのを覚えている。

 この「ああ」というのは、ザ・ビートルズというグループのことは何となく知っていたし、確かその音楽も何曲か聴いたことがあったはずだが、その名前は聴いたことがないといった程度のぼんやりした感想だったのだろう。ザ・ビートルズという名前からポール・マッカートニーの顔を思い浮かべたような気もするのだが、これは後になって作られた偽の記憶かも知れない。

 

 

 

 私がザ・ビートルズの音楽を意識的に聴くようになったのは、1981年に公開された横溝正史原作の映画「悪霊島」のプロモーションでテレビなどで挿入歌の「Let It Be」と「Get Back」がよく流れていたことがきっかけで、とりわけポール・マッカートニーがピアノを弾きながら歌う「Let It Be」に魅了され、早速シングル盤を買って繰り返し聴いたものである。

 B面に「Get Back」を配した「悪霊島」のサントラ盤シングルもあったはずなのだが(上の写真左)、私が買ったのはB面に「You Know My Name (Look Up The Number)」の入ったオリジナル盤で(同右)、たちまち惹き込まれた「Let It Be」とは全く印象の異なるこの変テコな曲に初めはかなり当惑したものである(https://www.youtube.com/watch?v=iZndVv-jl-U)。

 もっともその後何度も聴き返しているうちにすっかり耳に馴染んで以来、この曲は今でも私のお気に入りのひとつである→調べてみたら、過去の記事でもほとんど同じようなことを書いていたようである→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041066.html)。


 (母ジュリアと)

 

 そのためジョン・レノンが殺害されたというニュースも、当時の私には一人の有名人が殺されたという、それなりに衝撃的ではあるものの、すぐに忘れ去ってしまう数多くの三面記事的なニュースのひとつに過ぎなかったと言っていい。

 やがて自分がザ・ビートルズの音楽に深く入れ込み、公式盤のアルバムだけでなく海賊盤までしこしこ集めるようになり、仕事でニューヨークに赴任してジョン・レノンが殺されたダコタ・ハウスの前に立つことになるだろうなどとは、むろん当時の私は想像だにしていなかった。

 


 

 ジョン・レノンがこの世を去った40歳という若さも若さだが、ザ・ビートルズが解散してから彼に残されていた時間が10年にも満たない短さだったこと、そして妻の小野洋子と共に世界平和や男女平等などを強く訴え続けた彼が、皮肉にも不条理極まりない「暴力」の犠牲となったことに対して、痛ましさを禁ずることが出来ない。

 特にザ・ビートルズ結成以前の若き日(1958年7月の17歳の時)に彼が歌ったバディ・ホリー(★)の「That'll Be the Day」の歌詞(「that'll be the day when I die」)に接するたびに(https://www.youtube.com/watch?v=HI1BpHdpQg8)、まさかそれから20年ちょっと後で「その日」が訪れることになるだろうなどとは、彼自身微塵も思ってはいなかったに違いないことを思うと、何ともやりきれない気持ちがしてならないのである(★当のバディ・ホリーも、公演旅行途中の飛行機事故により22歳で亡くなっている)。

 

 ジョン・レノンは「God」というソロ時代の代表曲のひとつで(https://www.youtube.com/watch?v=aCNkPpq1giU)、神というのは我々が苦痛の度合いを測るためのひとつのコンセプトでしかない、これまで信じていたものを含めて自分はもう何も信じず、ただ自分と洋子だけを信じていく、夢は終わったのだと歌っているが、彼の余りに残酷で早過ぎた死は、「涜神」の言葉を広く世に発したことの報いだったとでも言うのだろうか? 

 最愛の幼い息子と妻を残して逝くことももちろん、「主夫」業に専念した5年の隠遁(?)生活を終えてミュージシャンとして再出発の一歩を踏み出したばかりの中で、心ならずもこの世を去らねばならなかったことは、さぞ心残りに違いない。

 ジョン・レノンの死を改めて深く悼み、その冥福を心から祈りたい。RIP.

 

(後日追記)

 ジョン・レノンのソロ・アルバムの最高傑作「John Lennon/Plastic Ono Band」(日本では「ジョンの魂」)が発表されてから、12月11日でちょうど50年になるそうである。普段からよく聴いている作品ではあるが、改めて50年目の日に静かに聴き直してみようと思っているところである。

 https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kbX1qxSoPOt4KT1hG-yEAseivqMi7GgmA

 

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 この間に読んだ本は、

 

・イエールジ・コジンスキー「異端の鳥」(角川文庫版、青木日出夫訳)

 日本では2011年に「ペインティッド・バード」という原題に基づくタイトルでポーランド文学者の西成彦(私にとっては詩人で元妻である伊藤比呂美との共著「パパはごきげんななめ」などの印象が強い)による新訳が出(この訳書では著者名が「イェジー・コシンスキ」となっているが、他にも英語式に「ジャージ・コジンスキー」などと紹介されることもあり、日本語表記がなかなか定まらない人である)、今年10月にはチェコのヴァーツラフ・マルホウル監督による映画も公開されたが、私がこの文庫本を手に入れたのは確か20年近くも前のことで、中古の文庫本に1,500円以上も払うことをかなり迷ったのを覚えている(それでも当時でもこの値段なら結構な掘り出し物で、日本のAmazonでは今、この文庫本に35,150円という信じがたい値段がついている)。

 それからずっと積ん読のままになっていたのだが(2015年6月のこのブログでは読書中と書いているのだが、記憶は曖昧だが途中で挫折したらしい)、今回はインターネットで手に入れた映画版を見る前に原作を読んでおこうと思ったのである。

 発表当時は衝撃的な内容だったのかも知れないが、今作の約20年後に書かれ、かなり似通った内容・作風であるアゴタ・クリストフの「悪童日記」(原題:Le Grand Cahier)を先に読んでしまったこともあって、正直なところ私にはさほど衝撃的だとも傑出した作品だとも思えなかった。

 特に主人公の少年が戦火の中を渡り歩いて異常な体験を重ねていく構成から、自然と個別のエピソードを積み重ねていく形になっているため、一貫性を欠いた散漫な作りだという印象を抱かずにはいられなかった(内容も印象もかなり異なるものの、先ごろ読んだヘッセの「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)のことを想起しながら読み進めた)。

 ナチス・ドイツ統治下を舞台とするこの種の小説や映画は数自体多く、どうしても残酷非情な描写や表現を競い合ったり、感情&感傷的なものになりがちなのだが、所詮「事実は小説よりも奇なり」で、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」(原題は「それでも人生に然りと言う:心理学者、強制収容所を体験する」)や「アウシュヴィッツ収容所:所長ルドルフ・ヘスの告白遺録」などのノン・フィクション作品が我々に惹起するだけのリアリティや厳粛さは到底持ち得ないと言うしかない。

 フランクルと言えば、先ごろ雑誌「クーリエ・ジャポン」のウェブ版にこの人の嘘や偽善を批判する内容の記事がアップされ、ざっと読んでもみたのだが(今は下記のいずれも途中から有料→https://courrier.jp/news/tag/longread-the-lie-of-viktor-frankl/)、そこに書かれている内容によって「夜と霧」という作品の価値が決定的に減殺されてしまうとは私には思えなかった。

 

 この間に見た映画は、本数が多いため感想等は出来るだけ省略し、題名や監督名、点数などのデータのみを記しておくことにする。


・「第十七捕虜収容所(1953年)原題:Stalag 17」(ビリー・ワイルダー監督) 3.5点(IMDb 8.0) 日本版DVDで視聴

 一種の「脱走モノ」コメディで、監督がワイルダーなのでコメディとしても決して悪くはないのだが、もともと舞台劇であることもあって基本的に室内での描写が中心のため、後の「大脱走」などと比べてしまうとスケールが小さいのは如何ともしがたい。映画監督のオットー・プレミンジャーが好演している。

 

・「火山のもとで(1984年)」(ジョン・ヒューストン監督) 2.0点(IMDb 7.0) 英国版DVDで再見

 マルカム・ラウリー原作(既読)で、筋書きだけで言えば原作にかなり忠実に描かれていながらも、一読しただけでは誰が何をしているのかすらはっきりしない描写に満ちた原作とはかなり印象を異にしている。改めて比較してみるために近いうちに原作を再読してみたいと思っているのだが、積ん読の本が増える一方なので、果たしていつ実現することになるやらである。

 アルバート・フィニーがアル中の主人公を実にリアルに演じているが(その姿が画面にあらわれるだけで不安な気持ちにさせられる)、義弟役のアンソニー・アンドリュースもなかなか好演していて甲乙つけがたい。フィニーの妻役のジャクリーン・ビセットは実に綺麗なものの(役柄的には綺麗過ぎると言っていい程である)、そのせいでやや深みや存在感には欠けるか。

 

 また、ピーター・ジャクソン監督が「ロード・オブ・ザ・リング」に続いてJ・R・R・トールキン原作(いずれも未読)の「ホビット」を映画化した3部作を視聴。

 内容的にも前作の二番煎じのようで初めは見るつもりではなかったのだが、結論から言えば、エンターテインメント色の濃い子供向け「ロード・オブ・ザ・リング」といったところで、合計8時間半近く費やした後で、やはり見なくても良かったという感想しか持てずにいる。

・「ホビット 思いがけない冒険(2012年)原題:The Hobbit: An Unexpected Journey」(ピーター・ジャクソン監督) 2.0点(IMDb 7.8) 日本版DVDで視聴

・「ホビット 竜に奪われた王国(2013年)原題:The Hobbit: The Desolation of Smaug」(ピーター・ジャクソン監督) 2.5点(IMDb 7.8) 日本版DVDで視聴

・「ホビット 決戦のゆくえ(2014年)原題:The Hobbit: The Battle of the Five Armies」(ピーター・ジャクソン監督) 3.0点(IMDb 7.4) 日本版DVDで視聴

 

・「やさしい嘘(2003年)原題:Depuis qu'Otar est parti...」(ジュリー・ベルトゥチェリ監督) 3.0点(IMDb 7.5) テレビ放映を録画したもので視聴

 何と言っても祖母役のエステル・ゴランタン(当時既に90歳。満96歳で死去)が素晴らしい。グルジア(現ジョージア。どうでも良いが、この新表記はジョージア側の要請もあって改められたものらしいが、まるでアメリカかどこかの都市名のようで個人的には違和感しか覚えない)で祖父母の代からフランス文化にどっぷり浸かっているある家族を巡る物語で、実生活でも長くパリに住んでいたエステル・ゴランタンは当然として、孫娘役のディナーラ・ドルカーロワのフランス語も驚く程流暢で、グルジア人一家の物語にしては不自然に思える程である。

 

・「王手(1991年)」(阪本順治監督) 3.0点(IMDb 7.1) テレビ放映を録画したもので視聴

 将棋の「真剣師」を主人公にした作品。大阪の通天閣を中心とするコテコテの大阪の描写は楽しいのだが、将棋の勝負は画面で見るだけではどちらが強いかよく分からず、スポーツ映画などに比べて盛り上がりに欠けるのが難点か。

 俳優陣では若山富三郎が突出して巧く、元ボクサーの赤井英和は仕方ないとして、(演出もあるだろうが)若き日の加藤雅也の演技がかなり微妙だったのは意外だった。今や貫禄十分の國村隼も若い時には結構軽かったと分かって可笑しかった。梅林茂の音楽はかなりベタだが作風に合致していて悪くない。

 

・「ゴールキーパーの不安(1971年)原題:Die Angst des Tormanns beim Elfmeter」(ヴィム・ヴェンダース監督) 3.0点(IMDb 6.6) 日本版DVDで視聴

 ペーター・ハントケ原作(未読)で、ヴェンダースの商業監督第1作。まだぎこちなさはあるものの、不穏な雰囲気と独特の音楽とでなかなか見せ、既に大器であることを伺わせる。

 

・「ワカラナイ(2009年)」(小林政広監督) 3.5点(IMDb 6.8) 日本版DVDで視聴

 母子家庭の出口の見えない困窮を淡々と描く内容は是枝裕和の「誰も知らない」を想起させるが、最後の方で「父と、アントワーヌ・ドワネルの思い出に。」という字幕が出るように、むしろ監督は日本版「大人は判ってくれない」を意図しているようである。

 とにかく高校生の息子役を演ずる小林優斗という俳優の表情や動作、目つきなどが強烈で、この若者のむき出しの個性が作品全体を支配していると言ってもいい。おなかを空かせた彼がもの凄い勢いでカップ麺やパンを食べる場面が何度も反復されるのが後々まで印象に残る。

 

・「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(1997年)」(トーマス・ヤーン監督) 3.5点(IMDb 8.0) 日本版DVDで視聴

 言うまでもなくタイトルはボブ・ディランの「天国への扉」から取られている(この歌はもともと映画「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」のために書かれたものだが、今作ではカヴァー・ヴァージョンが使われている)。

 ご都合主義に満ち、ふざけているとも言える内容だが、作り手たちがそのことを端から十分自覚しながら楽しんで作っていることが分かり、瑕疵はあれども気軽に楽しめて時にクスリと笑える痛快な作品に仕上がっている。発端の重苦しさとは裏腹にユーモラスかつ軽快なまま話が進むため、「最後はひょっとしたら」と期待させる展開で、その唐突な結末を見終わった後で深い余韻が残る。

 

・「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白(2003年)」(エロール・モリス監督) 3.5点(IMDb 8.1) テレビ放送を録画したもので視聴

 主人公(?)のロバート・マクナマラは、第2次世界大戦中に米・統計管理局でB29による日本の各都市への焼夷弾爆撃を推進し、戦後はフォード自動車の経営立て直しに注力して社長にまで昇りつめるものの、大統領に当選したケネディに請われて国防長官に就任する。ケネディ暗殺後のジョンソン政権でも職務を引き継ぎ、結果的にベトナム戦争の泥沼化を招いた人物でもある。今作が果たして真面目なドキュメンタリーなのか、それともマクナマラに対する批判や皮肉に満ちたブラック・コメディなのか、最後まで判然としない作品ではあるが、現代アメリカ史の負の一面を知るには悪くない。

 

 ジョン・フォード作品を何作か。

・「果てなき船路(1940年)原題:The Long Voyage Home」(ジョン・フォード監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 ユージン・オニール原作(未読)。第二次大戦下で高性能火薬を密かに英国に輸送する船員たちの姿を描く作品。

 

・「男の敵(1935年)原題:The Informer」(ジョン・フォード監督) 2.0点(IMDb 7.4) 日本版DVDで視聴

 ヴィクター・マクラグレン演ずる主人公ジポの造型が前半と後半とで全く異なっているため同一人物とは思えず、とりわけ後半ではただの愚かな大男(かつ無鉄砲で力持ち)になってしまっている点が惜しまれる。イエスを裏切ったユダについての言及に始まり、自分の裏切りによって犠牲となった友人の母から赦しを受け、キリスト像の前で絶命する取ってつけたような図式的な(キリスト教的)結末には白けるだけである。

 

・「タバコ・ロード(1941年)」(ジョン・フォード監督) 2.5点(IMDb 6.5) 日本版DVDで視聴

 アースキン・コールドウェルの原作(未読)を映画化したものだが、一貫して貧民の悲惨な姿を描いて結末にも救いがないらしい原作に対し、悲惨ではあるもののドタバタ・コメディに仕立てた今作は、不条理なまでに破茶滅茶な内容になってしまっている(「男の敵」同様、キリスト教精神が根底にあることが濃厚に感じられる)。

 

・「間諜X27(1931年)原題:Dishonored」(ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督) 4.0点(IMDb 7.3) 日本版DVDで視聴

 傑作。マレーネ・ディートリッヒ演ずる「X27」は、マタ・ハリがモデルだそうである。それにしてもこんな傑作が90年近く前に作られてしまっていることを思うと、映画というジャンルは日々技術的には向上していても、本質的にはとうの昔に完成してしまって、それからほとんど進歩していないのではないかと思わせられる。

 主演のディートリッヒは場面場面で表情も印象もがらりと異なり、とりわけ「すっぴん」で演じてみせている田舎娘役の変貌ぶりには驚かされる。結末で彼女が口紅をひき直し、冒頭と同じくストッキングの弛みを整える場面はとりわけ素晴らしく、彼女の最期の描写が余りに直截的で呆気ないだけに、かえって深い余韻がいつまでも残る。

 

・「妖婆の家(1965年)原題:The Nanny」(セス・ホルト監督) 3.0点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴

 ベティ・デイヴィスが出て来る時点で既に「怪しい」と思ってしまうのが今作の最大の瑕疵か。少年役のWilliam Dixは嫌みたっぷりな子供を実にリアルに熱演していて見せ、途中までは一脇役に過ぎないと思われた叔母役のジル・ベネットの後半の活躍ぶりも見ものである。ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」を映画化した「回転(The Innocents)」(1961年)以来、天才子役から個性派女優へと成長する過渡期にあるパメラ・フランクリンが、主人公たちと同じアパートに住む娘役を好演している。

 

・「四川のうた(2008年)原題:二十四城記」(ジャ・ジャンクー監督) 3.0点(IMDb 7.1) 日本版DVDで視聴

 四川省の成都にある軍事工場の閉鎖を前に、そこで働いて来た人々の証言によって中国現代史の一側面を描く作品で、一見ドキュメンタリーのように思えるが、実際は俳優たちを使って再構成したフィクションである(あえてジョアン・チェンなどの有名俳優を起用したことの意図を特典映像で監督自身が説明している)。

 途中で唐突に山口百恵主演のドラマ「赤い疑惑」(1975-76年)についての言及がなされるのに続き、ドラマの主題歌「ありがとう、あなた」が流れて来るのだが(→https://www.youtube.com/watch?v=4_PhyXBHVhk、ただし曲自体はおそらく中国人歌手によるカヴァー)、このドラマは1980年代半ばに中国でも「血疑」というタイトルで放送され、大変な人気を博したらしい。

 未だに地上波テレビでは日本語の歌や映画、ドラマなどが事実上放送できない(法律上は放送出来るらしいが、皆自粛して放送しない)韓国との違いを改めて痛感させられた。

 

 マイケル・ケイン主演の作品を続けて視聴。

・「10億ドルの頭脳(1967年)」(ケン・ラッセル監督) 2.0点(IMDb 6.0) 日本版DVDで視聴

 レン・デイトン原作(未読)の「ハリー・パーマー」シリーズ第3作。見終えた後で1作目から見るべきだったと後悔したが、今作だけで十分という気がしないでもない(正直なところ、どこが面白いのかさっぱり分からなかった)。

 カトリーヌ・ドゥヌーヴの姉で、若くして事故死したフランソワーズ・ドルレアックが出ているが、最初のうちは彼女であることに全く気づかなかった程、これまで見た出演作(フィリップ・ド・ブロカの「リオの男」、フランソワ・トリュフォーの「柔らかい肌」、ジャック・ドゥミの「ロシュフォールの恋人たち」)とは雰囲気ががらりと異なり、蠱惑的であやしい魅力に満ちた女性を演じている。

 

・「泥棒貴族(1966年)原題:Gambit」(ロナルド・ニーム監督) 3.0点(IMDb 7.1) 日本版DVDで視聴

 冒頭であれよあれよと話がうまい方に展開していくと思わせておいて、そこから物語が二転三転して行き、展開の早さも相まって最後までそこそこ楽しめる作品に仕上がってはいる(ただしずば抜けて面白い訳でもない)。

 マイケル・ケインはいつもながらにソツがない一方、アジア人との混血かと見紛うようなメイクで登場するシャーリー・マクレインがなかなか魅力的である。しかしそれ以上に、出演作のうち最も人口に膾炙している「ピンク・パンサー」シリーズでは常軌を逸した警察官役をコミカルに演じていたハーバート・ロムが、意外にも(?)渋く巧みな落ち着いた演技を見せてくれていて、良い意味で驚きだった。

 

・「ミンクの手ざわり(1962年)」(デルバート・マン監督) 1.5点(IMDb 6.7) 日本版DVDで視聴

 ケイリー・グラントとドリス・デイ主演。愚にもつかない凡作コメディー。