加藤恕彦(かとう・ひろひこ)        恕彦&マーガレット夫妻

 

 2020年11月7日(土)

 海外に住んでいて、合法(ケーブルテレビ)・違法(Youtubeなど)の違いはあれ、日本のテレビ放送を見ることはあっても、ラジオ放送まで聴くことは滅多にない。テレビや映画などに比べてラジオ放送をアップしてくれる人がさほど多くないこともあるし(ただし私が子供の頃から好きなラジオ・ドラマはちょこちょこアップされるのでたまに聴いて楽しんでいる)、そもそも海外で日本のラジオ放送を聴くことは、インターネット時代の今でも意外と難しいからである。

 例えばダウンロードすればPCやスマートフォンで日本国内のラジオ放送を聴くことの出来るラディコ(radiko)というアプリを使おうと思っても、海外では聴取制限がかかっているため、有料のVPNサービスを利用するなどして日本国内と同じ環境設定にしないと聴くことができなくなっているのである(と思っていたら、いつの間にかGoogle Chromeの拡張機能を利用すれば海外でも使えるようになっているそうである。まだ試していないので使い勝手の程は分からないが・・・・・・)。

 

 

 

 そんな中、2018年8月に放送が始まり、現在まで18回を数えているあるラジオ番組を、これまで私は1回も欠かすことなく聴いて来た。作家の村上春樹がディレクター&進行役を務めている「村上RADIO」(ムラカミ・レイディオと発音するらしい)である。

 過去の放送で紹介された曲目などについては同番組の公式ウェブサイトをご覧頂くとして(https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/)、今回はそのうち、去る9月13日に放送された第17回「5分で聴けちゃうクラシック音楽」を採り上げたいと思っている(放送内容については→https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/index_20200913.html。実際の放送は→https://www.bilibili.com/video/BV1tf4y1X76L?from=search&seid=17828707780673622833で聴取可能)。

 ちなみに先月末に放送された「秋のジャズ大吟醸」と称する最新回も、しっとりと聞かせるジャズの名曲が紹介されていてなかなか良かったので、以下にアドレスを貼っておく(https://www.bilibili.com/video/BV1bV411y7Br?from=search&seid=6985137184723012137)。

 

 

 普段はジャズやロック、ポップスなどの音楽が中心のこの番組で、クラシック音楽が初めて採り上げられた今回の放送では、約1時間という放送時間の制約もあって、タイトル通り5分以内の短い曲が紹介されているのだが、個人的には作曲者のストラヴィンスキー自らが指揮をとっている「若い象のためのサーカス・ポルカ」や、(伝)ロッシーニの「二匹の猫の滑稽なデュエット」などの珍しい選曲がとりわけ面白かった(後者は番組内で村上春樹も話している通り、シュワルツコップとロス・アンヘレスのデュエット(?)に、ジェラルド・ムーアのピアノ伴奏という実に豪華な布陣なのだが、果たしてこれほどの豪華メンバーを必要とするのかどうかはまた別問題である→以下に紹介するバッハのフルート・ソナタのすぐ後で紹介されるので、ご興味のある方は聴いてみてください。また、こちらでも同じものが聴けます→https://www.youtube.com/watch?v=7gRqMyB623g)。

 

 しかし今回私が言及したいのは、俗に「シチリアーノ」と称されるバッハのフルート・ソナタ第2番第2楽章(BWV1031。ただし現在ではバッハの作品ではないと考えられているようである)の演奏が紹介されている加藤恕彦(かとう・ひろひこ)というフルート奏者のことである(敬称略)。

 

 初めにこの人の略歴をインターネットから勝手にツギハギして以下に記しておくと(参照元は以下の通り。ついでに写真も勝手に拝借した。心より感謝したい)、

 https://ameblo.jp/tamarutama/entry-12547994201.html (年譜あり)

 https://musentanz.exblog.jp/22432016/ (その後削除されリンク切れ)         

 https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2019-12-23

 https://oncon.mainichi-classic.net/winners/21-30/

 

 

 加藤恕彦(かとう・ひろひこ。1937年7月4日~1963年8月16日)

 東京生まれ。11歳の時に林りり子の指導で本格的にフルートを始め、1957年には第26回日本音楽コンクール管楽器部門で2位となる(1位は後にNHK交響楽団の首席フルート奏者を務めた宮本明恭)。翌年にはフランス政府給費留学生として渡仏し、パリ音楽院でガストン・クリュネルとピエール・ランパルに師事。1960年のミュンヘン国際音楽コンクールで2位(1位がパウル・マイゼンで、2位は加藤とミシェル・デボスト)となった後、モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の首席フルート奏者に就任。

 1963年に留学生仲間だったオーボエ奏者マーガレット・キング(英国人)と結婚したが、夏の休暇に新妻を連れて出かけたアルプスのモンブラン登山の途中で夫婦ともに消息を絶った(その後加藤恕彦の遺体は発見されたものの、妻の遺体は発見されないままのようである)。

 

 

 

 今回のラジオ番組でも言及されているように、若き日の小澤征爾などとも交流があり、その余りに唐突で早すぎる死に際して多くの音楽家たちから稀有な才能を惜しまれたというこのフルート奏者のことを私が知ることになったのは、学生時代にフランスに1年弱「遊学」していた30年以上前のことである(「遊学」という言葉が「留学」と同義で、必ずしも「遊ぶ」という意味が含まれていないことは承知しているのだが、ほとんど勉強らしい勉強をしなかった実態を鑑みると、「留学」と書くのはどうしても躊躇われるのである)。

 ろくにフランス語も出来ない上、事前に大学院に進むつもりもないと明言していた私を、どういう訳か交換留学生として選んでくれた某大学の今は亡きM教授(Wikipediaにも項目がある人だが、あえて名前は記さないでおく。役職は当時のもので、その後名誉教授に)が、フランスで暮らし始めたばかりの私宛てに、「アルプス山嶺に消ゆ―母へおくる若き天才音楽家の手紙」という加藤恕彦の書簡等を収めたカッパ・ブックスを送ってくれたのである(上の写真。内容的にこの本と同じなのか別物なのか不明なのだが、後に「加藤恕彦留学日記―若きフルーティストのパリ・音楽・恋」という本が聖母の騎士社という出版社から刊行されている。今ではいずれも絶版のようだが、やや高値がついてはいるものの古書ならAmazonなどで購入可能である)。

 

 慣れない異郷で既に日本語に飢え始めていた私は早速この本をむさぼるように読んだのだが、当の加藤恕彦は四半世紀も前に26歳という若さで死んでしまっていてもはやその演奏に接することも出来ず、そもそも当時の私にはクラシック音楽の知識などほとんどなく、クラシック音楽通の友人たちに教えてもらった「名盤」をカセットやCDで少しずつ揃えて聴き始めていた頃で、しかもこの本(日記や手紙)を通じて知ることになった加藤恕彦という青年は、当時の私の目には如何にも自信過剰で時として傲慢にすら見えたのだった。

 

 

 今から考えれば、若くしてその音楽的才能を高く評価され、海外の檜舞台でも着実に実績を積み重ねつつあったこの若者が、自らの輝かしい未来を前に意気揚々としていたことは十分理解出来るし、それに比べて何の才能もないおのれの不甲斐なさを痛いほど自覚していた私が、遙かに年長で(ちょうど私の亡母と同年生まれである)、既に故人だったこの人に対してすら無意味な嫉妬を覚えていただろうことは確かで、この本にしても今読み返せば全く違った感想を抱くに違いない。

 

 手元に本がないのでかなり好い加減なうろ覚えになるが、自分と同じくフランスに留学していたこの人が、演奏旅行かなにかでイタリアに赴く途中、列車内で知り合った言葉の通じないイタリア人たちとジェスチャーなどを交えて会話しているうち、たちまち即席のイタリア語をこなせるようになったと書かれていたのが記憶に残っている。

 そして仏語や仏文学が専門であるはずの自分が、いざフランスに来てみるとろくに言葉も出来ず、大学の講義についていくことはおろか、同じ学生寮のフランス人たちとの会話にも苦労する体たらくなことに打ちひしがれている一方で、音楽の才能にも恵まれたこの若者が、語学力においても行動力においても自分より遙かに優れていることに激しい嫉妬と挫折感を覚えただろうことも否定できない(その後私はひどい人見知りと引っ込み思案な性格も災いして、早々に大学をドロップアウトして自費で語学学校に通う羽目となり、せっかくのM教授の好意や期待をあっさり裏切ることになってしまったのである)。

 


 

 ついでに書いておくなら、本を通じてこの加藤恕彦という人の存在を知ることになる前、私は語学学校でたまたま一人の日本人フルート奏者(おそらく私とほぼ同年代)と同じクラスになったことがあった。私ひとりの偏見というだけでなく、他のクラスメートたちも頻りと不満や陰口を漏らしていたのを覚えているのだが、彼は最初からクラスの皆から距離を置いてほとんど口さえきかず、授業で発言する際もとにかく自分の才能をひけらかす自慢話ばかりで、ひどく付き合いづらかった(というより言葉を交わすことすら事実上不可能だった)という記憶しかない。

 

 確かそれから1ヶ月程で学校もやめてしまったはずなのだが、今でもたまに彼のことをふと思い出すことがある程、短い交流期間だったにしては良くも悪くも強烈な印象を残す人物だったと言っていい。その後彼が音楽家としてどうなったのかも全く知らないし、そもそも名前すら覚えていないため、たとえプロ奏者になっていたとしても確かめようもないのだが、いつも一人離れた場所で我々に冷笑を向けていたような彼が、教師がしつこくせがんだこともあって、最後の挨拶代わりにフルートを演奏してくれたことがあった。

 もっとも私にフルート演奏の良し悪しなど分かるはずがない上、彼が演奏したのは(もはやタイトルすら記憶していないが)かなり前衛的な曲で、演奏が終わってから、私自身も含めクラスの皆がポカンとしていたのを覚えている。

 そして普段の言動から彼に対してすっかり反感を抱いていた私は(今から思い返せば、その性格はどうあれ、やはり確固たる自分の道を歩み続けている同年代の若者に対するやっかみが私にあったのだろう)、その演奏に対しても良い印象を持つことは出来なかった。私自身、今より更に人間の器がちいさく、「青かった」のである。

 


 

 そして上記の本を読んだ時、私はたまたま同じフルート奏者だったこの若者のことを加藤恕彦という人に勝手に重ね合わせ、いわれのない否定的印象を抱いてしまったのかも知れない。

 だから今回の村上RADIOで久々にこの人の名前を耳にした時も、懐かしいというよりも、むしろ苦々しい思いばかりが甦って来たのだが、たった1曲の短いものだとは言え、実際の演奏に触れることが出来たことで、「いわれなき」反感を多少なりとも払拭出来たと言えるかも知れない(上の動画の28分15秒あたりから、この人に関する紹介と演奏が始まります)。

 

 もっとも今もって私にはフルート演奏の良し悪しなど皆目分かりはしないのだが、彼の演奏するバッハのフルート・ソナタは、事前に想像していたのとは違って少しも奇を衒ったところがなく、曲自体の持つ静謐で穏やかな雰囲気もあるだろうが、26歳の若者の演奏としては、実に落ち着いて少しも破綻がない印象を覚える程である(この演奏から程なくして彼はこの世を去ることになった訳である)。

 

 

 1937年生まれの加藤恕彦に対し、上記のM教授は1930年生まれと約7歳も年上なのだが、おそらく小学校から大学まで同じ某私立学校に通っただろうこの2人が、互いに面識があったのかどうか私は知らない(もしかしたら上記の本の中にふたりの間の交流についての言及があったかも知れないのだが、生憎にして全く覚えていない。言及がなかったとしたら、本を送ってもらった際か帰国した後にでもM教授に直接確認しておくべきだったのだが、教授は私の指導教授でもなく、また、その期待をあっさり裏切って何の成果もなく日本に戻ってきたことへの負い目もあって、遊学から戻った後、まともに話を交わした記憶がないのである)。

後日追記。その後M教授の自筆年譜というものがインターネットにアップされていることを知って読んでみたのだが、そこにM教授がフランス政府招請給費留学生としてパリに滞在していた当時、加藤恕彦夫妻と毎週のように合奏をしたり、加藤の要請でフルート奏者の吉田雅夫やランパルを夕食に招待したりしたことが記されていた。

 同年譜には、オーボエを吹きたいと言って大学のオーケストラに入ろうとしたというエピソードも記されていて、M教授が自らも楽器を演奏し、音楽に造詣の深かったことを今回初めて知った→あえて記さなかった教授の名前がこれで分かってしまうのだが、以下のPDF参照(下のリンク・アドレスを押せば自動的にPDFがダウンロードされるはずですが、もし反応しない場合には、アドレスをコピーしてインターネット上に貼付して頂ければ幸いです) 

https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-00630001--004.pdf?file_id=71230

 

 だからこのM教授がどういうつもりで加藤恕彦の「遺著」と言ってもいい上記の本を送って来てくれたのかも、今となっては推し量る術すらないのだが、自分自身の実力不足を誰よりも自覚していて、日々不安と自信喪失に駆られていた当時の私に少しでも発奮・成長してもらおうという、一種の「親心」からだったのかも知れない(そして残念ながら私はそれに少しも応えることが出来なかった訳である・・・・・・)。

 

 何とか学校を卒業して社会に出てからも、私はまるで借金を抱えた債務者のように、いつの日かこのM教授や、遊学費用を出してくれた学校に恩返ししなければと思い続けながら(★)、しかし仕事の上でも私生活でも何ひとつ成果や業績をあげることなく、いたずらに歳月だけが流れ、そうこうするうちにM教授は亡くなってしまった(そのことを知ったのも歿後かなり経ってからのことだった)。

《★そのくせ私ほど愛校心の希薄な人間もおそらくなく、同窓会組織などには端から頑なに背を向け、学校への寄附なども一度もしたことがなく、まさに恩知らずな卒業生でしかない(恥)》

 

 しかも私はその後、会社人生からもあっさり脱落してしまい、今も異国の地で無為の日々をダラダラ過ごしているだけで、これから何らかの成果なり業績なりを残す可能性など皆無である。

   だからたとえ私自身がくたばって泉下のM教授に再会する機会が万一訪れたとしても(もっとも教授はカトリック信者だったから「泉下」ではなく「天国」だろうが、そうなると天国になどとても行けそうにない私には、M教授と再会する望みはさらになくなりそうである)、到底「合わせる顔がない」のである。嗚呼・・・・・・。

(追記。この記事を書いたすぐ後で、フランスとは何の関係もない本をたまたま本棚から取り出してつらつら眺めていたら、あとがきの最後にこのM教授の名前が出て来て驚いた。これなどもユングの言うシンクロニシティというやつだろうか。それとも私が変なことを書いたので、天国のM教授の霊が降臨したのだろうか・・・・・・)

 

 

 つまらない個人的な思い出話はどうでも良いとして、 加藤恕彦によるフルートの演奏はこれまで何度かLPレコードやCDに収録されて来たようで、これらの音盤の概要は以下のブログやウェブサイトで知ることが出来る(この記事の最後にアドレスを貼っておくことにする。中には演奏の一部が聴けるページもある)。

 残念ながら日本のAmazonではいずれの音盤も取り扱われていないものの、Yahooオークションなどではたまに出品されているようである。もっとも仮にLPレコードを競り落としてみたところで、プレイヤーを持っていない私にはそれを聴く手立てがそもそもない(今更レコード・プレイヤーを買うつもりも正直ない)。せめて中古CDをリーズナブルな価格で入手出来たらいいのだが、今は日本に住んでいないこともあり、そうした機会がいつ訪れるかすら全く分からないところである(ざっと検索してみただけだが、Youtubeなどにも加藤恕彦の演奏はアップされていないようである)。

 

 ともあれ、若くして逝ったこのフルート奏者(夫妻)とともに、ついに恩返しの出来なかったM教授の死を改めて悼み、キリスト者だったこのふたりの魂の平安を心から願いたい。RIP.

 

 

 


 

 

 以下で「アルプス山嶺に消ゆ/加藤恕彦の芸術」というレコードの一部演奏が聴ける。

 https://ameblo.jp/ibukidaisc/entry-12425739459.html          

 そのうちの1曲→https://static.blog-video.jp/output/hq/u8lfkbFhv80oLCfqMKmtWzWr.mp4

 

 また以下は(上でも故人の経歴を紹介する際に参考したサイトとしてアドレスを貼付しているが)今回の「村上RADIO」で紹介された「加藤恕彦フルート・リサイタル-日本の生んだ若き天才の遺産」についての記事

 https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2019-12-23

 

 3枚組CD「HOMMAGE A HIROHIKO KATO/加藤恕彦の芸術」の内容詳細

 http://www.muramatsuflute.com/shop/g/gC868/