2020年8月15日(土)

 今日は終戦(敗戦)の日である(ここ韓国では「光復節」)。

 

 日本では猛暑が続いているようだが、ここ韓国では長梅雨がなかなか明けず、今日もソウルは朝から雨である。最近のブログで何度も採り上げて来たように梅雨や台風による水害が韓国各地で起きている上、7月の日本と同じく、日照時間の減少で農作物の収穫に影響が出てくるかも知れない。

 特に秋は米などの収穫を迎える時期でもあり、日々口にする主食だけに、不作が続いて価格が高騰すれば、我が家の家計にも少なからぬ影響を及ぼしそうである(もっとも食に全く関心のない我が家では、ご飯を炊いておかずを作るのが面倒臭いため、お米を食べるのはせいぜい2~3日に1日くらいの頻度なのだが・・・・・・)。

 

 

 さて、本当は食や食べ物に関する内容(もっとも上のお米の件からも分かる通り、グルメなどとは正反対なものなのだが)にしようと思っていたのだが、最近ブログを書く意欲がひどく減退していて中々まとまらないため、次回以降に回したいと思う。

 

 代わりにザ・ローリング・ストーンズの未公開曲が公開されたことに簡単に触れるつもりなのだが、実はこの記事を書こうか書くまいか迷っているうちに(←以下を読んで頂ければお分かりの通り、全く内容らしい内容のない、いわば捨て記事なので・・・・・・)、あっという間に月が変わってしまっていたというのが実状で、今回の件がインターネットなどで話題になっていたのは半月以上前の7月下旬のことだった。

 要件だけ先に書いておくなら、1973年に発表された「山羊の頭のスープ」(Goats Head Soup。上の写真)というアルバムの新装版CDボックス(およびLPのセット)が来る9月に発売されるのに先んじ、このセットに収録予定の未発表曲(の一部)が事前に公開されたというだけの話である。

 

 

 

 今回Youtube等にアップされたのは「Criss Cross」(https://www.youtube.com/watch?v=NFXTRdog0r8)と「Scarlet」(https://www.youtube.com/watch?v=Fl0COtEG-TM&feature=emb_logo)の2曲で、特に後者にはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが参加していることでも話題となった(ボックスにはさらに「All The Rage」という未発表曲に加え、デモやアウトテイクなどが多数収録されるそうである。詳細はこちらを参照のこと→ https://www.udiscovermusic.jp/news/the-rolling-stones-goats-head-soup-press-release)。

 

 

 「山羊の頭のスープ」は、前年(1972年)に発表された彼らの最高傑作(とされる)「メイン・ストリートのならず者」(Exile on Main St.)や、それ以前の60年代終わりから70年代頭に立て続けに発表された「ベガーズ・バンケット」(Beggars Banquet)、「レット・イット・ブリード」(Let It Bleed)、「スティッキー・フィンガーズ」(Sticky Fingers)などのアルバムと共に、このグループの数多い作品の中でも名盤と見做されているものである(脱退後に27歳の若さで早世したブライアン・ジョーンズに代わって加入したギタリストのミック・テイラーの在籍期間とその前後が、ザ・ローリング・ストーンズの全盛期だと言われている)。

 

 これまでザ・ビートルズについては、このブログでも何度となく言及して来た一方、1960年代の英国ロック・シーンのもう片方の雄と言っていいストーンズに、私はほとんどと言っていい程触れて来なかった。

 しかしそれは別段私が彼らの音楽が好きではないとか評価していないとかいった理由からではなく、それだけザ・ビートルズ(あるいは米国のザ・ビーチ・ボーイズなど)という存在が私にとって余りに大きく別格な存在だったからと言うしかない。

 と同時に、未だに活動中である彼らの曲やアルバムの数は余りに多すぎ(特に活動初期は英国版とアメリカ版が混在していて分かりづらく、私が初めて彼らの音楽に関心を抱き始めた20歳前後の頃でも、英国盤だけで既に20枚近くのアルバムが出ていた)、どこから手をつけて良いか分からなかったこともあるだろう(おまけに当時は今のように簡単=安価に音楽を聴くことが出来なかったことが大きい)。

 

 

 そんな私が初めて彼らの作品をお金を出して買ったのは、皮肉(?)な話ではあるものの、ザ・ビートルズの足跡を追うためにロンドンとリヴァプールを訪れた時のことで(多分1987年の夏だったはずである)、ザ・ビートルズゆかりの「キャヴァーン・クラブ」近くに店舗を構える、主にザ・ビートルズの関連商品を取り扱うお店で彼らのベスト盤をたまたま見かけ、購入したのだった(当時我が家にはオンボロのレコード・プレイヤーしかなかったため、LPではなくカセット・テープ版を買うしかなかった)。

 この時購入したのはデッカから出ていた「Rolled Gold : The Very Best of the Rolling Stones」というもので(上の写真)、とりあえずこれさえ聞いておけば、デビューから1960年代終わりまでの彼らの代表的な曲がざっくり概観できるという便利なものだった(おまけにうろ覚えでは確か2本のカセットテープが大きめのボックスに入れられていて、そのボックスが中々格好良かったのも、わざわざザ・ビートルズ専門店で彼らの曲を買った理由だっただろう。収録曲等については以下を参照→ https://en.wikipedia.org/wiki/Rolled_Gold:_The_Very_Best_of_the_Rolling_Stones)。

 

 さすがの私でも当時既に「(I Can't Get No) Satisfaction」などの代表曲は知っていたはずだが、このベスト盤はいきなりチャック・ベリーの「Come On」のカヴァーや、ザ・ビートルズから贈られた「I Wanna Be Your Man」の演奏&歌で始まり、そのぶっきらぼうでありながら、ザ・ビートルズなどとは異なる荒削りな力強さを湛えた音楽に即座に惹きこまれたのを覚えている。

 さらにそうした曲の合間に「As Tears Go By」のようなリリカルな曲もあり、彼ら程の傑出したグループのベスト盤であれば当然だとは言え、さらに「Under My Thumb」、「Lady Jane」、「Paint It, Black」、「Let's Spend the Night Together」、「Ruby Tuesday」、「Jumpin' Jack Flash」、「Honky Tonk Women」、「Sympathy for the Devil」、「Gimme Shelter」などの名曲たちが、まさに次から次へと目白押しで登場し、さすがにザ・ビートルズを凌駕する程ではなかったものの、もうひとつの卓越した英国バンドの音楽に魅了されたものである。

 

 

 もっともそれ以降、私は彼らのアルバムとしては「メイン・ストリートのならず者」1枚を買ったことがあるだけで(上の写真はそのカヴァー)、それ以外は何種類かあるベスト盤(「Hot Rocks 1964–1971」、「More Hot Rocks (Big Hits & Fazed Cookies)」、「Singles Collection: The London Years」)を買うかレンタルするかして聴いたくらいで、オリジナル・アルバムをまとめて鑑賞した経験はなかった。

 1990年代に入ってCDレンタル等が普及して手軽&安価に音楽を聴ける環境になったにもかかわらず、当時の私はそれまでほとんど聴いて来なかったクラシック音楽を追いかけるのに忙しく、もはやロックやポップスに時間や労力を費やすことはなくなってしまっていた。何事も時機が重要(時機を逸したらそれまで)ということである。

 

 それから幾星霜かを経て、たまたま昨年の終わりにザ・ローリング・ストーンズのアルバムをYoutubeからダウンロードし、日々の散歩のたびに繰り返し聴いたことがあった。そうするきっかけは色々あったのだが、しかしそれについては(そして何よりも彼らの音楽に対する現時点での私の感想や評価については)、いずれまた別途機会を改めて書いてみたいと思っている(結論だけ先に書いておけば、少なくとも私にとって彼らの音楽は、とりあえず網羅的なベスト盤さえ聴いておけば十分というのが、今のところの正直な感想である。同様に、こんなことを書くのは身も蓋もないと思うものの、今回公開された未発表曲2曲も、私には取り立てて優れた曲だとは思えないでいる・・・・・・)。

 

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 この間に見た映画は(数が多いので感想部分は極力省くことにする)、

 

・「アウトサイダー(1983年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 3.0点(IMDb 7.1) テレビ放映を録画したもので再見

 S・E・ヒントン原作(未読)。

 まるで大昔の不出来なプロモーション・ヴィデオのように巨大なタイトル文字と共に始まる主題歌(ロバート・フロストの詩にもとづくStevie Wonderの「Stay Gold」→https://www.youtube.com/watch?v=g-w-ZP0kQvY)や夕陽を受けた自然や街並み、主人公たちを撮した映像は美しいし、時折興味深いカット(撮影)などもあるものの、如何せん上流階級の子弟と下層階級の不良たちとの対立を描く内容自体は凡庸過ぎ、それを描き出すコッポラの演出も呆れるほどありきたりである。

 駆け足で一気に悲劇へと向かっていく結末や、主人公が親友ジョニーの遺書を読む場面なども稚拙そのもので、これが「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」などの傑作を撮ったのと同じ監督の作品とはとても思えない。

 ただ、主人公2人(C・トーマス・ハウエルとラルフ・マッチオ)が雲隠れするため貨物列車に「ホーボー」のように無賃乗車で乗り込む場面だけは、ちょっとしたロード・ムーヴィーのようで良かった。

 

・「ランブル・フィッシュ(1983年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 2.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴

 これまたS・E・ヒントン原作(未読)で、てっきり「アウトサイダー」の続編だと勝手に思い込んでいたのだが、原作者や一部の俳優が同じだけで全くの別物。

 これまたプロモーション・ヴィデオのような安っぽい白黒映像にペラペラの音楽、そして内容的にもプロットらしいプロットのない即興的な物語なのだが、主人公の兄役のミッキー・ロークはささやくような台詞回しと焦点の定まらぬ視線とで謎めいた人物をうまく造型しており、その兄を英雄視する弟役のマット・ディロンも前作同様なかなか悪くない。 

 それにしてもけばけばしい色使いだった前作からガラリと一転して今作をモノクロ撮影にしたのは、題名にあるランブル・フィッシュという魚の色を目立たせるためでしかなかったのだろうか(モノクロ映画に一部カラーというのは、黒澤の「天国と地獄」などの前例が既にあって珍しくもないし、今作が白黒である必然性は特にないとしか思えないのだが)。

 さらに手ぶらでペットショップに押し入り、動物たちを檻から出したり、魚を川に放そうとしたりしただけで警官に撃ち殺されるようなことが現実にありうるかも疑問である(もっとも相手が黒人であれば、今でも十分ありえそうなことではあるが)。

 ちなみにこの2作には後に自ら映画監督となる娘のソフィア・コッポラも出演している(どうでも良いことだがかなり目立つ出っ歯で、後に矯正したのかも知れない)。

 

・「グラスハープ・草の竪琴(1995年)」(チャールズ・マッソー監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 トルーマン・カポーティ原作(未読)。

 題名となっている草の竪琴についてのエピソードが冒頭部と結末に出てきて、これが中々意味深くて良いのだが、映画全体の筋運びや演出はどこかまとまりに欠けて焦点が定まらず、平板な印象しか覚えない。

 今作に出演している俳優ウォルター・マッソーの息子が監督しているらしいのだが、(原作は未読であるものの)原作者カポーティの思い出に依拠した物語で、ストーリーらしいストーリーのない内容だけに、演出や俳優の演技、雰囲気造りなどが重要で、余り実績のなさそうなこの監督にはいささか荷が重すぎたのではないかと思えてならない。

 

・「ミスト(2007年)」(フランク・ダラボン監督) 3.0点(IMDb 7.1) インターネットで視聴(英語字幕付き)

 スティーヴン・キングの中編が原作(昔読んだはずだが、すっかり内容は忘れてしまっていた)。

 バッド・エンディング映画としてよく挙げられている作品で、目を覆いたくなるような残酷な場面などはほとんどないものの、後味の悪い結末であることは間違いない。

 街を霧が覆いつくして奇怪な現象が起きるということでは、個人的にはジョン・カーペンター監督の「ザ・フォッグ」(1980年)を思い出すのだが(中学生の頃に何度も通った、夜中はポルノ映画、昼間はB級映画の3本立てを上映していた蒲田の映画館で見たことも今となっては懐かしい)、100年前の先祖たちの亡霊が最後の最後にようやくおぼろげな姿をあらわすなど、題名通り街全体が霧に覆われて何もかもが「見えるようで見えない」ことがかえって恐怖を煽ったものだった。

 一方今作は、霧の中からあっさりイカやタコのような吸盤を持った怪物や、巨大化した蚊のような生き物が現れ(しかもそれは異次元=宇宙からやって来たらしいというSF的設定である)、そのチープさもチープさだが、得体の知れぬものに対する恐怖感や不気味さがほとんど感じられないのが残念だった。

 

・「夢見通りの人々(1989年)」(森崎東監督) 3.5点(IMDb 6.3) インターネットで視聴

 宮本輝原作(未読)。

 全体にこじんまりした狭い世界で自己完結するだけの内容で、演出や撮影にも傑出したところや目新しさが見られないものの、「夢見通り」なるディープ大阪(鶴橋)にあるちいさな通りで暮らす、毛色の変わった人々にさりげなく焦点を当てた佳品である。

 登場人物たちは見た目も職業もパッとせず、どこか正道をはずれた「周縁」に生きているのだが、日々の喜怒哀楽やささやかな愛憎に彩られた彼らの人生模様が淡々と描き出されていく。

 ところどころに大阪や関西の芸人たちが出ていたり、原田芳雄や乙羽信子といった名優が脇を固めていたりと(ただしこの監督の演出方法なのか、俳優たちの演技は今作でもオーバーアクション気味である)、映画や芸能好きであれば細かい点でさらに楽しめる。

 ストーリーは南果歩を中心として、大地康雄と小倉久寛を取り巻く「惚れた腫れた」の世界でしかないのだが、原作がそうなのか、無理やりハッピーエンディングにするような小細工を用いず、開かれたエンディングにしているのも良い。

 ともあれ、これまで見た森崎東監督作の中では個人的には今作が一番好きかも知れない。

 

・「刑事コロンボ ロンドンの傘(1972年) 原題:Dagger of the Mind」(リチャード・クワイン監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)に視察(研修)にやって来たコロンボが、スコットランド・ヤードの刑事の親戚である演劇プロデューサー(?)の事故死にたまたま遭遇し、その死に不審を抱いて私的な捜査を始めるという内容で、主にロンドンが舞台となっている(もっともこのプロデューサーの豪邸やその周辺(特に車道)の雰囲気は如何にもアメリカ風だと感じたのだが、実際これはビヴァリー・ヒルズにあるGreystone Park & Mansionという英国風の有名な建物らしく、数多くの映画やテレビの撮影に用いられているようである→https://en.wikipedia.org/wiki/Greystone_Mansion#Shot_on_location)。

 いきなりスローン・スクウェアのRoyal Court Theatreが出てくるのを始め、ロンドンに住んでいた時の我々の最初の滞在先がスローン・スクウェア周辺で、駅前広場に面したこの劇場の回りも何度か散策したため、なんとも懐かしかった(ちなみにこの劇場はウディ・アレンの「マッチポイント」にも登場する)。

 他にもバッキンガム宮殿やロンドン塔とその裏のタワー・ブリッジ、ハイド・パーク・コーナー近くのウェリントン・アーチなど、視察と称しながら実際のところコロンボにとっては「ご苦労様出張」だったに違いなく、ロンドン市内をあちこち訪れて写真を撮りまくったりしているのがご愛嬌である。 

 事件解決の舞台となる「London Wax Museum」というのは言うまでもなく「マダム・タッソー館(Madame Tussaud's→実際の発音は日本語とかなり異なる→https://ja.forvo.com/word/madame_tussaud%27s/#en)」のことだろうが、今作ではベイカー・ストリートではなく、ドラマの最後に登場するロイヤル・アルバート・ホールに程近い、Royal College of Musicが撮影に使われている(IMDbにはImperial College Libraryだというコメントも見られるが、少なくとも蝋人形館の入口部分はRoyal College of Musicの建物が使われている)。

 インターネット上ではドラマ本編の動画は見つけられなかったが、10分のダイジェスト版というのがあり(https://www.youtube.com/watch?v=mFp8tbDZ3RY)、1970年代始めのロンドンの街並みも少しだけ見られるのでご参照頂きたい(3分6秒くらいからタワー・ブリッジなどが見られる。また、6分52秒あたりからは如何にもロンドンらしい霧に煙るテムズ川沿いの光景が、9分14秒あたりから上のRoyal College of Musicからロイヤル・アルバート・ホールに向かってコロンボが歩いていく姿が見られる)。

 「007 ゴールドフィンガー」でボンドガールを演じ、今年の4月に94歳で亡くなったオナー・ブラックマンが主役の女優を演じているが(夫役はリチャード・ベイスハート)、主役の2人よりも、コロンボのエスコート役でスコットランド・ヤードの警察官役を演じているバーナード・フォックスと、一見善良そうでいながら極めて狡猾な執事役を演じたウィルフリッド・ハイド・ホワイトの2人がより印象的である。 

 

・「刑事コロンボ 偶像のレクイエム(1973年) 原題:Requiem for a Falling Star」(リチャード・クワイン監督) 2.5点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 上のロンドン編と同じDVDに収録されていたのでついでに見たのだが、アン・バクスターとメル・フェラーというアメリカ映画の名優が登場し、ハリウッド映画界で起きた殺人事件が扱われているのだが、こちらは事件の設定も、コロンボが事件を解決する手法も今ひとつ(後に裁判で問題になりかねない嘘をついて犯人の自供を導き出すというもの)である。