2021年7月23日(木)

 新型コロナウイルス騒動がなければ昨7月22日(開幕式は24日)から8月9日まで開催される予定だった東京オリンピックの関係で、日本は今日から4連休らしい(本来は7月第3月曜の「海の日」が今年だけ今日23日に、本来10月第2月曜日の「スポーツの日」が明日24日に変更されたそうである)。

 大都市圏を中心に「第2波」とも見られるコロナの感染拡大が続く中、観光事業振興のため政府が主導する「Go To トラベル」キャンペーンが、東京発着旅行を除外する形で昨日より始まり、医師会や自治体は連休中の遠距離移動の自粛など注意喚起をしているものの、国内を移動する旅行者の数はいきおい増えるものと見られる。

  危機的状況にある観光業界や航空産業などを支援すること自体を否定する訳ではないものの、果たして現今のような状況で国を挙げて国内旅行や観光を促進することが妥当なのか否か、コロナウイルスの潜伏期間は1日~12.5日と言われているので、その結論は今後2週間のうちに自ずと出てくることだろう。

 ところで海の日やスポーツの日といった祝日に関連して書いておくなら、過去14年間で日本に住んだのがわずか1年ちょっとでしかなく、完全に「浦島太郎」(竜宮城?)状態の私は、日本の公休日の変化に全くついていけておらず、購読している電子版新聞の夕刊がなかったり、今回のように新型コロナウイルスがらみで4連休のことが話題になったりしているのを見聞きして、ああ、今日は祝日だったのかと初めて気づくことがしばしばである。むろん今回の4連休も、オリンピックがらみの特別措置があったにせよ、休みがあることに全く気が付かなかった。

 もっとも今住んでいる韓国の祝日にしても、毎日職場に通うような状況にはない(要は事実上のプー太郎である)ことから、未だにいつが何の日で、それが公休日だったのか単なる記念日だったのか分からなくなることがしょっちゅうである(というのも韓国では公休日がよく変わるからでもある。例えば「ハングルの日」は過去に公休日になったり平日に戻ったりした後、現在は再び公休日となっている)。

 

 さて、中途半端な場所にあったため撮影しづらかった上、デジタル・カメラがオンボロなこともあってとても見づらいのだが(さらにご覧の通りガラスにも緑っぽい色がついていて余計に分かりづらい)、上に掲げたのは、我が家のガラス張りのヴェランダ(の外側)に突如出現した蜂の巣(とそのまわりを動き回っている蜂)の写真である。

 私は虫に詳しくないので確かなことは言えないが、巣の形態や蜂の姿形からすると、アシナガバチと呼ばれる種類の蜂(の巣)なのではないかと思われる。

  以前も同じアパートで、階段のある空間の天井部分に蜂の巣が出来ていたことがあり、その存在に気づいたのが冬だったせいか、巣の中にもまわりにも蜂の姿は見えず、わざわざ人を呼んで除去してもらう必要はなかろうと、(なぜか?)私がアパート住人を代表して棒か何かで巣を取り外し、何枚ものビニールで包んでから一般ゴミとして廃棄したことがあった。

 

 今回は巣のまわりを何匹もの蜂が飛び回っている上、最上階のベランダの外側であることから、蜂に刺されるおそれがあるだけでなく、窓から体を乗り出して巣を落とそうとしているうちに転落する危険もあり、自力で巣を取り除くのは無理だと判断して、アパートの自治会班長に相談することにした。

 すると地元の自治体に連絡すれば巣を取り除いてくれるはずだということで、早速この人が管轄の区に連絡してくれたのだが、直接の担当は消防署だからと区の方で話してくれ、程なく班長さんのもとに消防署から詳細を尋ねる電話がかかって来たそうである。

  消防署では、連絡してもらってありがたい、すぐに出動して除去すると話していたそうで、実際、最初に班長さんに連絡してから1時間もたたないうちに、下のような消防車がアパートの前にやって来た。

 

 

 この素早い対応はさすが何事も「早く、早く」(빨리 빨리=パルリ、パルリ)を信条とする韓国ならではと言って良く、わざわざ日本と比べる必要はないものの、これが日本だったらそもそも個人住宅の蜂の巣の駆除を自治体で対応してくれるのか、対応してくれるとしてもこんなに素早く担当者が来ることはないだろうなどと思ったものである(善し悪しを述べているのではなく、単に違いを言っているだけなのであしからず。ちなみに日本では自治体によって無料で対応してくれるところもあれば、相談を受けたり業者を紹介してくれるだけの自治体もあり、場所により対応はマチマチのようである。また、蜂の巣除去の支援も一般にはスズメバチのみが対象らしい)。

(追記:うっかりして書き忘れたが、当の韓国でも他の自治体がどういう対応をしているのかはよく分からず、一応検索してみると消防署が無料でやってくれる自治体が多いような気はするものの、全国的にそうなのかはよく分からなかった)。私たちが住んでいるのは、映画「パラサイト 半地下の家族」にも出てくる(らしい)半地下付きのアパートがたくさん残る極めて庶民的な街だが、世界に冠たるサ○ソ○や現○自○車などの本社が同じ域内にあることもあって、韓国で最も金持ちな区でもあるらしいから、このブログでも採り上げた暑さ対策用の噴霧器など→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502042446.html、私には無駄だとしか思えないものも含めて、他地域に比べ行政サービスは充実しているようである)

 

 正直、消防車が出動してくるとまでは思っていなかった我々は、その物々しさに当惑と恐縮とを覚えるしかなかったのだが、近隣の住民たちも「すわ、火事か!」とアパートの近くにぞろぞろやって来る始末で、私はそうした人たちを階上から見下ろしながら、自分のことは棚にあげて「暇人が多いな」とつぶやいたものである。

 しかし実際に蜂の巣の大きさや位置を確認して消防車(のクレーン)を使う程のことはないと判断したらしい消防隊員たち(計4名)は、棒のような器具を手にして我が家の中にドカドカ入りこんで来た(幸い、彼らは皆マスクを装着していたのだが、当の私はまさか家にまで入っては来ないだろうと油断していて、マスクをつける暇もなかった)。

 

 すぐさま駆けつけて来たのも韓国らしかったが、それからの除去作業もこれまた実に韓国らしい(良くも悪くもテキトーな)ものだった。4人が入れ代わり立ち代わりヴェランダに出て巣を観察した後、一番年長らしい人が「これは毒性の弱いやつで、刺されても大丈夫ですよ」と得意げにのたまったのも印象的である。

 上記の通り虫のことに全然詳しくない私だが、それでもアナフィラキシーというアレルギー反応のことくらいは聞きかじったことがあったので、どんなに毒性が弱くとも、人によっては(特に過去に同じ種類の蜂に刺されたことのある人であれば)刺されてショック状態になったり、最悪の場合、死んだりしてしまうこともあるのではないかと思ったのだが、せっかく得意そうに話しているので黙っていることにした(それ以前に私の韓国語ではそうしたことをスラスラ説明できるはずもなかったのだが)。

 

 隊員たちはヴェランダの窓を開け、巣のまわりを飛びかう蜂を(刺されないように)巣から遠ざけるため何かのスプレーを撒布すると、同僚のひとりに体を支えられた隊員が件の棒で何度か巣をつついてみせた。ヴェランダのガラスに張り付いていた巣は、ポロっといとも簡単に取れてそのまま階下(おそらく1階のアパート出入口付近)に落下して行った。

 (ええっ~? 下に子供でもいたらどうするんだよ?)と、その時私は胸中で叫んだのだが、目の前で平然と構えている隊員たちの手前、引き続き押し黙って彼らの姿をおとなしく見やるしかなかった。

 それからも隊長らしき人は蜂の巣に関する薀蓄らしきものをあれこれ述べ立てていたのだが、私は階下に落ちた巣のことが気になって、話の内容には注意が向かず(それ以前に私の乏しい聞き取り能力では十分に聞き取れなかったこともあり)、適当に相槌を打ちながら、内心では(早く下に行って巣を回収してくれないかな)と思い続けていたのだった。

 
 一仕事終えた隊員たちはようやく我が家を出て行ったのだが、さらに驚いたのは(言葉もろくに出来ない役立たずの私はそのまま家に残っていたので、以下の話は家人から聞かされた内容である)、1階の地面に落ちていた蜂の巣を隊員の一人が手に取ると、上の消防車の写真にも一部が写っている隣の小公園に行って、草むらにそのまま放り投げたということである。

 彼としては、人間に直接害を与えない(と彼の考える)蜂やその幼虫を殺すに忍びないと考えたのかも知れないが、ただでさえ突然巣を襲われて何メートルも下に落下させられた蜂たちは、外敵を警戒して気が立っているに違いなく、もし公園に子供がいて刺されでもしたらどうするのだと思ったものである。

 同じことを懸念したらしい家人は、消防車に乗り込んで立ち去る消防隊員たちを見送った後で公園の草むらを覗いてみたそうなのだが、あの隊員が巣をどこに放ったのかよく分からずじまいで、諦めてスゴスゴと家に戻って来た。

 夕方に散歩に出た際、私も家人の話していた草むらを覗いてみはしたのだが、ただでさえ伸びに伸びた草や木が繁茂している草むらには蜂の巣の影も形もなく、地面に落ちた時点で巣には蜂はもう残っていなかったのかも知れない(ただし幼虫は中にいただろうが)と希望観測的に思い込むよりなかった。

 

 その後も何日かの間、蜂の巣のあったヴェランダやその階下あたりを、何匹かの蜂が飛びまわっているのを目にすることになったが、あのまま放置して巣がどんどん大きくなり、そこから大量の蜂が巣立ってアパートの住人(むろん我が家も含む)が刺されでもしたら大変だったろうなと思う半面、何の罪もない蜂やその子たちの平和を奪ったことに、多少の罪悪感を覚えないでもない(家人は隊員が巣を公園に棄てたことにもショックを受けたようで、やはり当局に通報したことを後悔しているようだった)。

 昨年愛犬を亡くして以来、犬や猫はもちろん、ちいさな虫や蚊などの命も、人間の命とどれだけの違いがあるだろうかという思いが強くなっていることもあり、余り深く考えず区役所に連絡して蜂の巣を除去してもらったことを、今更ながら家人ともどもウジウジ後悔している始末である(とは言え、他により良い選択肢はなかったとも思うのではあるが・・・・・・)。

  このところ毎晩のように安眠を妨げようとする蚊をやむなく電気蚊取りラケット(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12542478349.html)で退治していることもあり、どんな綺麗事を並べ立てようと、自分も所詮は、虫や動物たちにとっては「天敵」でしかないのだという事実を改めて痛感させられているところである。

 

 

 

 いつもながらついででなんだが、訃報を2件(敬称略)。

 

 まずは映画監督の森崎東(もりさき・あずま。16日死去、享年満92歳。上の写真)。

 と言っても私は決してこの監督の良い観客ではなく、内容をちゃんと記憶している作品は最も直近に見た「ペコロスの母に会いに行く」(2013年)のみという体たらくである。「男はつらいよ」シリーズ第3作の「フーテンの寅」(1970年)はDVDを持っているし、「喜劇 女は度胸」(1969年)と「喜劇 男は愛嬌」(1970年)もテレビ放送を録画したものがあるのだが、一度でも見たかどうかの記憶は極めて曖昧である。

 しばらく前、学生時代以来の友人から黒澤明の「野良犬」(1949年)のリメイクである「野良犬」(1973年)をたまたま紹介されていた上、おそらく今回の訃報に接したとある森崎監督ファンが、以下のアドレスで、今のところDVDも出ていない作品を何本もアップしてくれているのを発見したことから→https://www.youtube.com/channel/UC2ayuBQjHr5PdpKbAxS--Bg ただし著作権の関係でいつ削除されてしまうか不明である→その後、削除された)、追悼の意味もこめて、この監督の作品をまとめて見てみようと思っている。

 

                    (三村建次氏撮影)

 

 続いてベストセラー「ノストラダムスの大予言」(1973年。たまたま上で触れた森崎東版「野良犬」と同じ年の刊行である)で知られる作家の五島勉(16日死去、享年満90歳。上の写真)。

 ご多分にもれず私も幼時にこの書物の存在を知らされ(ただし実際に買って読んでみたのはもっと後だったはずである)、自分が30歳にもならないうちに人類は滅亡してしまうのだという恐怖に襲われた(?)口なのだが、今となっては、幼かった自分がどれだけ深刻に恐れていたのかははっきりしない(ちなみにこの本はノストラダムスの「予言集」の解説書というより、五島氏の勝手な解釈がかなり混ざった「創作」と呼ぶべきものらしい)。

 比較が妥当かどうか分からないものの、私にとってはむしろその数年後に流行った(?)口裂け女などの方が遙かに身近で怖かった気もするので、当時の私にとって自分の死以上に、「人類滅亡」などというものは抽象的で現実味のない、他人事のような概念に過ぎなかったのかも知れない。

 そして中学生くらいになってすっかりひねくれた私は、予言だの陰謀論だのといったものを全く信じなくなってしまい、正直、この著者のこともどこか小馬鹿にしてこの数十年間全く忘れており、少なくとも意識的にはこの人から何の影響も受けてはいないと断言してもいいのだが、遠く過ぎ去ったひとつの(恥ずかしい? 懐かしい?)時代の思い出としてこの人の名を挙げておくことにした。

 

 いずれも大往生と言って良いのだろうが、両名の死を悼み、冥福を祈りたい。

 

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 この間に読んだ本は、

 

 ここ暫く立て続けに読んでいた湊かなえの手持ちの本も以下で最後である。

・湊かなえ「高校入試」(角川文庫)

 これまた途中までは巻をおく能わずの「ページ・ターナー」なのだが(ただし少なからぬ人たちが書いているように、23人もいるらしい語り手の視点が頻繁に変わるため、慣れるまでは非常に読みづらい。毎回冒頭に、語り手の名前だけでなく英語教師とか○○校生徒とかまで書いてもらえれば、いちいち巻頭の人物相関図を見ずに済んだのだが、こちらの記憶力が悪いこともあり、何十回となく人物相関図を参照することになった)、今作も結末がかなり残念な尻すぼみな作品である。

 県内随一の某公立高校の入学試験直前に、高校入試をぶっつぶすという不穏な予告がネットの掲示板に記され、実際試験当日は様々なトラブルが発生するのだが、最後まで読んでも犯人やその関係者の動機がどうにもスッキリせず、果たしてそんなことのために人生を棒に振りかねないことを敢行するだろうかという疑問を最後まで払拭できないのが致命的と言っていいだろう。

 

 湊かなえ作品は、他にも「贖罪」や「白雪姫殺人事件」など、ドラマや映画にもなった有名作で、Kindleでも読めるものがあるにはあるのだが、今回はたまたま知人から譲ってもらった本が手元にあったから読んでみたまでで、正直1日~2日程でさっと読めてしまうこの種の本を定価で買ってまで読もうという気は今の私にはない(今回読んだ範囲で勝手&個人的な結論を書くなら、湊かなえ作品でお薦めなのは「告白」と「山女日記」の2作である)。

  この数ヶ月間、一応カフカだの吉田健一だのも併せて読んで来はしたものの、かなりの時間、湊かなえ漬け(=エンタメ小説漬け)になってしまっていたので、これからは積ん読になっている文学作品をまた少しずつこなしていきたいと思っている。

 

 映画の方は、


・「あゝ声なき友(1972年)」(今井正監督) 3.5点(IMDb 6.3) テレビ放映を録画したもので視聴

 有馬頼義原作(原題は「遺書配達人」。未読)。

 演出や映像技法などは凡庸そのものと言っていいのだが、渥美清が最後に口にする「怒り」という言葉に顕著なように、主人公が戦友たちの遺書を持って遺族たちを訪れるのは弔いのためではなく、国家や戦争に対する怒りからであり、遺族に対しても戦友らの死を「忘れるな」と釘を刺しているのだと言っていいだろう(むろん彼自身、そのことを最後になってようやく自覚するのであり、最初の目的は弔いや贖罪意識のためだっただろう)。

  最後に「真相」が明らかになるという点で今作は一種のミステリー作品だと言ってもいいかも知れないし、主人公が遺族を探して全国を旅する点において、一種のロード・ムーヴィーだと言うことも出来るだろう(実際私はその意味で楽しみもした)。

 遺族やその周囲の人々を演ずる俳優陣は実に豪華な布陣で、彼らの演技を見るだけでも十分楽しめる(むしろそれぞれの出演時間が短すぎるくらいである)。中でも若き志垣太郎が兄の手紙を回想しながら読む場面は素晴らしく、他にも市原悦子や悠木千帆(樹木希林)、倍賞千恵子、田中邦衛、加藤嘉、松村達雄など個性派俳優が勢揃いである。

 

・「ふんどし医者(1960年)」(稲垣浩監督) 3.0点(IMDb 4.9) テレビ放映を録画したもので視聴

 中野実原作(未読)、脚本は黒澤明作品の脚本に何作も参加している菊島隆三。

 コテコテの人情噺である。長崎で最新医学を学び将来を嘱望されていた男(森繁久彌)が、輝かしい未来を捨てて、たまたま足止めを食らった田舎町の貧しい村人たちのために町医者となることを決意する。しかし時の流れと共に最先端医術に置きざりにされ、博打好きの愛妻(原節子)との平和な日々ではあるものの、かつて共に医学を学んだ友人(山村聰)が都に出て名を成す中、一介の町医者として老いぼれてしまった自らの成れの果てを嘆いてみせるしかないのでもある。

 チンピラヤクザの身でありながら、この町医者に命を救われ、立身出世をなげうった医師の思いを知るにつれて自身も医者になりたいと思うようになった若者(夏木陽介)が、一念発起して都会へ出て医学を修め、上海で先端医術に接するなどして、いつしか町医者の知識も技術も凌駕してしまう(彼が町医者に弟子入りを願い出る場面は、「姿三四郎」や「宮本武蔵」を想起させる)。

 愛妻役(上記の通り、博打好きという変わり者でもある)の原節子は当時まだ40歳になったばかりだが、地味な役柄やおばさん臭い髪型もあって、既に老いの影がさして遙か年上に見える。老け役に徹するには顔立ちが派手すぎることもあり(正直、演技も特に優れているという訳ではなかった)、2年後の(事実上の)引退は(残念ながら)必然だったのかも知れないとも思う。

 

 松本清張原作の映画を2本まとめて。

・「風の視線(1963年)」(川頭義郎監督) 2.5点(IMDb なし。CinemaScape 2.0) 日本版DVDで視聴

 原作は未読。

 CinemaScapeでは散々な評価で、確かに松本清張らしからぬ(?)メロドラマである上、演出も凡庸で音楽などにしても相当ひどいのは確かなのだが、見ていて決してつまらないということもない(むしろ個人的には好きな方である)。冒頭の方で唐突に雪原に死体が出現するのだが、それが後々の展開に絡んでくるかと思いきや、ただの一挿話でしかなく、最後までメロドラマが続くのには多少拍子抜けもした。

 この翌年交通事故で早世してしまう佐田啓二はまだ36歳だったにもかかわらず既に老いが兆しているが、新珠三千代同様、登場すると画面がさっと引き締まるのはさすがである。ネチッコイ悪党役を得意とする山内明もいささかやり過ぎの感はあるものの、今作でも実に嫌ったらしいエゴイストを見事に造型している。

 若夫婦を演じる園井啓介と岩下志麻のコンビはいずれも演技が未熟で不自然さが目立つが、奈良岡朋子(御年90歳で今も存命である)や毛利菊枝など周囲の練達なバイプレイヤーたちがカヴァーしていて十分見られる作品になっている。

 カメオ出演している松本清張がそれなりに台詞もそつなくこなしているのもおかしい(ダンスまで披露するサービスぶりである)。

 

・「黒の奔流(1972年)」(渡辺祐介監督) 2.0点(IMDb 7.4) 日本版DVDで視聴

 原作は「種族同盟」(未読)。

 話自体は松本清張作品によくあるドロドロした男女の愛憎モノで(最後の舞台は、セオドア・ドライサーの「アメリカの悲劇」を映画化した「陽のあたる場所」(1951年)を想起させる)、結末も想像の範囲内でしかない。岡田茉莉子は役柄的には歳を取りすぎていて魅力に欠け、残念ながらミスキャストだろう。それとは対象的に、したたかな助手役の谷口香が好演。

 (他の無名女優による?)吹き替えのヌード・シーンが何度か出てくるのはご愛嬌か(こういう些細なことに「時代」を強く感じさせられる)。