2019年10月3日(木)
愛犬が死んで今日で丸4カ月。
今一番懐かしいのは、愛犬の柔らかく暖かかった体や毛の感触であり、体(特に肉球)からかすかに香ってきた独特な体臭なのだが、もう2度とその手触りを感じ、匂いを嗅ぐことが出来ないことを思うと、未だに心がざわざわと落ち着かなくなる。1ヶ月前にも同じことを書いたが、もう4カ月、しかしまだ4カ月である…。
そんな日に書くには気が重い内容なのだが、韓国メディアなどで採り上げられるようになってから大分経ってしまったものの、日韓関係の悪化以来、極力韓国の新聞やテレビを見ないことにしているために詳細が分からず、記事として採り上げるかどうか迷い続けてきた話題がある。
今年のカンヌ映画祭において、「パラサイト(寄生虫)」が最高賞のパルム・ドールを受賞したポン・ジュノ監督の代表作「殺人の追憶」(2003年公開)の題材ともなった、とある未解決連続殺人事件の容疑者が30数年ぶりに特定されたというのである。
この事件は1986年から91年の間に、ソウル近郊の京畿道・華城(ファソン)周辺において起きた9件に及ぶ連続婦女暴行殺人事件で(被害者の年齢層は10代から70代までと幅広く、模倣犯罪と思われる事件も少なくとも9件起きている)、遺体の多くがストッキングやブラウスで縛られて遺棄され、性器が損壊されたり中に異物が挿入されていたという猟奇性や残忍さもさることながら、延べ205万人とも言われる数多くの捜査関係者が投入されたにもかかわらず結局「お蔵入り」となったことでも世間の注目を浴びてきた。
今回、容疑者として特定されたのは、この通称「華城連続殺人事件」(以下「華城事件」)の数年後に、義理の妹を強姦し殺害した罪で無期懲役刑を受け、現在も刑務所に収監中の50代の男「L」である(韓国メディアでは氏名が公表されているが、此処ではイニシャルのみにしておく)。「華城事件」9件中3件の証拠物件から採取されたDNAと、この男のDNAがほぼ一致したことから事件との関連が明るみに出たのだが、「華城事件」当時、「L」が事件現場周辺に居住していたことも判明している。さらに義妹を強姦し殺害した際も、手足をストッキングで縛って死体を遺棄しており、その手口も「華城事件」に類似していたとのことである。
しかしこの義妹殺害事件は、「L」が華城から忠清北道・清州(チョンジュ)に転居した後に起きている上、無差別に相手を選んで暴行・殺害したと思われる「華城事件」と異なり、被害者が犯人の顔見知りだったことなどから、警察は「華城事件」と関連付けた追加捜査を行わなかったらしい。映画「殺人の追憶」でも当時の警察の愚かさぶりは相当戯画化されていたが、実際の捜査においても、警察関係者たちは解決を急ぐ余り勝手な思い込みにとらわれ、捜査の初期段階において既に事件解決の道を自ら閉ざしてしまっていたのだと言っても過言ではなかったのである。
今回「華城事件」への関与が明るみになってからも、当初「L」は自らの関与を否定していたのだが、韓国のテレビ報道によれば(https://www.youtube.com/watch?time_continue=130&v=oS6uJlhHNEs あるいは https://www.youtube.com/watch?v=JLBBfj7K-Lo など)、此処に来て「L」は、「華城事件」を含む14件の殺人と30件余の強姦を自白し始めたそうで、「華城事件」を始めとする一連の事件の真相解明の日もそう遠くないかも知れない。
とは言え、9件に及ぶ「華城事件」はいずれも既に公訴時効を迎えており、本件によって「L」に罪を問うことは法律上もはや出来ない。事件の真相が少しでも明らかになることで、類似犯罪の防止や、とりわけ警察による捜査方法の改善に寄与することはありうるかも知れないものの、当の犯人が別件ではあれ無期懲役刑を受けているにしても、被害者やその家族たちは、これからも今まで以上に犯人に対して憎しみや悔しさを抱え続けていくことになるに違いない。
最後にポン・ジュノの「殺人の追憶」に触れておくなら(内容には今更ここで触れることはしないでおく)、カンヌやヴェネチアなどの国際映画祭におけるアジアやアフリカなど欧米以外の作品の認知や承認は未だにしばしば遅れがちで、ポン・ジュノもようやく今年になってカンヌの最高賞を受賞するに至った訳だが、当の受賞作「パラサイト(寄生虫)」は見ていないものの、100年にわたる韓国映画史においても間違いなく最上位にランクされるだろうこの「殺人の追憶」によってこそ、ポン・ジュノは3大国際映画祭の最高賞を受けて、より広く世界に認知されるべきだったと思わずにはいられない。
そして、またまたついでで恐縮だが、訃報をひとつ。
アメリカのオペラ歌手ジェシー・ノーマンが、9月30日にニューヨークの病院で死去したそうである(享年満74歳)。
とは言え、私は決してこの歌手の良い聞き手ではなく、かろうじて記憶に蘇ってくるのは、小澤征爾指揮の「カルメン」で黒人の彼女がカルメン役を演じたことと(当時のリハーサルの映像→https://www.youtube.com/watch?v=x-FV1Y198MU あるいは https://www.youtube.com/watch?v=DkADJFzJW28)、フランス革命200周年記念を迎えた1989年のパリ・コンコルド広場で彼女がフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌ったことくらいでしかない(https://www.youtube.com/watch?v=NVFccuaGfso)。私は当時たまたまパリに滞在していたものの、残念ながらこの歌唱に直接触れることは能わず、その前後にシングルCDで発売された彼女の歌う「ラ・マルセイエーズ」(ただしライヴではなくスタジオ録音だったはずである)を繰り返し聴いただけである。
ともあれ、このオペラ歌手の死を悼み、その冥福を心より祈りたい。
=============================================================================
この間に見た映画は、
まず引き続きウディ・アレン監督作を何本かまとめて。
・「カメレオンマン(1983年) 原題:Zelig」(ウディ・アレン監督) 3.5点(IMDb 7.7) 英国版DVDで再見
今作はこれまで私の中ではウディ・アレン監督作でのベストであり続けて来たのだが、そのことには日本語吹き替え版(当時は日本では吹き替え版しか公開されなかったはずである)における声優・矢島正明氏の絶妙なナレーションが大きく寄与していたに違いない。
今回英語音声、英語字幕で見直してみると、残念ながら初見時ほどのおかしさや本当らしさ(今作には実際の歴史的映像に加え、スーザン・ソンタグやソウル・ベローがインタビュアーとして出演し、この似非(フェイク)ドキュメンタリーを「それらしく」見せることに貢献している)は感じられなかった(それでも十分に楽しめはしたが)。
今日本で発売されているDVDにもこの日本語による吹き替えは収録されておらず、いずれBluray版などが出る際には是非追加収録して欲しいものである。
・「ミッドナイト・イン・パリ (2011年)」(ウディ・アレン監督) 3.0点(IMDb 7.7) 英国版DVDで再見
当時のパリの風俗に関する知識を(ある程度)持っている人にとっては実に嬉しい設定の作品ではあるのだが(皮相で浅薄な知識しかないとは言え、私もその一人である)、今作に見られるある種の説教臭には鼻白むだけで、アレン作品の中でもとりたてて優れた作品だとは思えなかった。
・「泥棒野郎(1969年) 原題:Take the Money and Run」(ウディ・アレン監督) 2.5点(IMDb 7.3) 日本版DVDで再見
アレン最初期の監督作でありながら、既に後の「カメレオンマン」などの登場を予感させる(あるいは「カメレオンマン」が単に自己模倣でしかないのかも知れないが)ドキュメンタリー・タッチのコメディ作品である。私は昔の東京12チャンネルかどこかで、平日の昼間に放送された日本語吹き替えによる不完全版で初めて見た記憶があるのだが、「カメレオンマン」同様に絶妙な吹き替えのおかげもあってか、その時の方が遙かに「笑えた」ものである。
・「アニー・ホール(1977年)」(ウディ・アレン監督) 2.5点(IMDb 8.0) 日本版DVDで再見
アレンの監督作では最も評価の高い作品だと言っていいが、今作にしても同時期の「マンハッタン」(1979年)にしても、当時のアレン作品は監督の自己顕示や自己憐憫に満ちみちていて、ただただうんざりさせられるだけでしかなく、個人的には全く好きになれず、厳しい評価とならざるをえない。
・「ボギー!俺も男だ(1972年) 原題:Play It Again, Sam」(ハーバート・ロス監督) 4.0点(IMDb 7.6) 英国版DVDで再見
ウディ・アレン脚本。アレン自身の監督作ではないものの、しかし今作はアレンの手掛けた映画の中でも最高傑作ではないだろうか。むしろ彼はこの後、自ら監督できなかったこの「最高傑作」を超えるものを撮ろうと悪戦苦闘し続け、今の今まで映画を作り続けて来たと言っても良いのかも知れない。それは監督としては不幸なことかも知れないが、しかしたとえ脚本家としてであれこれだけの傑作を作り得たことは、一映画人として幸福なことだと言うしかないだろう。
・「ギター弾きの恋(1999年) 原題:Sweet and Lowdown」(ウディ・アレン監督) 3.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで再見
台詞が一切ないにもかかわらず、サマンサ・モートンが食欲旺盛で無邪気な女性という役どころを説得力ある演技でこなしており、秀逸である(むしろ今作は主に彼女の演技でもっていると言ってもいいくらいである)。しかし作品の内容自体は、
①身勝手で女たらしの芸術家(「自称」天才ギタリスト)が、たまたま出会った障害を持つ無垢そのものの女に、それまで誰にも見出したことがない新鮮さを覚えて一緒に暮らし始める。
②ギタリストとして本格的に一旗あげようと、突然この女を捨てて大都会に勝負に打って出る。
③見事に成功を手にするものの、勢いで結婚した社交界の女にも、偽善的で薄っぺらな当の社交界にもウンザリした彼は、女の元に戻っていこうとする。
④女は別の男と幸福な家庭を築いていて、既に何もかも手遅れ。
という他愛のない、如何にも手垢まみれのありきたりな物語でしかないのが難点である。
・「チャンス(1979年) 原題:Being There」(ハル・アシュビー監督) 3.5点(IMDb 8.0) 日本版DVDで再見
ジャージ・コジンスキー原作(未読)。
哲学的なテーマをあれこれ深読みしても良いし、単に一(いち)コメディ作品としても十分楽しめるものとなっている。最後に主人公チャンスが湖の上を歩く姿は、言うまでもなくイエス・キリストを示唆しているのだろうが、劇中にリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」をアレンジした曲が流れることから、主人公チャンスを超人ツァラトゥストラに重ね合わせる解釈もあるようである。
実質上の遺作と言ってもいいピーター・セラーズの無垢な演技も素晴らしいのだが(題名からしてもくだらない「ゼンダ城の虜」や「天才悪魔フー・マンチュー」がこの偉大なコメディアンの遺作ではさすがに悲しすぎる)、シャーリー・マクレイン、メルヴィン・ダグラス、ジャック・ウォーデンなどの共演陣による演技も豪華かつ見ものである。
・「ハリーとトント(1974年)」(ポール・マザースキー監督) 4.0点(IMDb 7.4) 日本版DVDで再見
現代の「リア王」たる老インテリ・ハリー(アート・カーニー)と、猫の相棒トント(この名前はラジオ・ドラマ「ローン・レンジャー」のインディアン青年から取られているそうである)が繰り広げるロード・ムービー(ただしハリーはむしろ自分から孤独を求めているようなところがあり、シェイクスピアの「リア王」のような悲愴感はほとんど見られない)。そもそも私はロード・ムービーには滅法甘いのだが、今作には可愛い猫トントが登場することもあって、さらに評価が甘くなっている。
そして今更ながらだが、今作が私の大好きな(これまたロード・ムービーである)「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)の元ネタになっていることはまず間違いないだろう。
当時まだ50代後半だったアート・カーニーの老け具合が実にリアルで絶妙だが、他にも往年の名女優ジェラルディン・フィッツジェラルドや、インディアン俳優チーフ・ダン・ジョージ、(比較的)若き日のエレン・バースティン、 ハリーの老友役のハーバート・バーゴフ、ハリーの息子役のフィル・ブランズ、テレビ・ドラマ「ダラス」で一世を風靡したラリー・ハグマン、ヒッチハイカー役のメラニー・メイロンなど、脇役陣も素晴らしい。
・「竜馬暗殺(1974年)」(黒木和雄監督) 3.0点(IMDb 6.9) 日本版DVDで視聴
坂本竜馬が暗殺されるまでの3日間を描いた作品で、倒幕運動などで混乱した幕末期に、そうした世相をあざ笑うかのように「ええじゃないか」の掛け声で踊り狂う民衆と、新たな国作りを夢見つつ、同時に何もかも投げ出して女と共に逃げてしまいたいという思いをも捨てきれない坂本竜馬(原田芳雄)や、その竜馬を殺そうと近づきながら、その存在に惹かれて思い悩む中岡慎太郎(石橋蓮司)らの焦燥や葛藤を描き出した異色時代劇で、ATG作品らしい安っぽさや猥雑さ、演劇的で大げさな演技、名撮影監督・田村正毅による粗っぽい映像なども見どころだと言えるかも知れない。
今作では松田優作や桃井かおりはまだまだ素人っぽい大根演技で、むしろ「元祖どっきりカメラ」で良くも悪くもお茶の間の人気者となった野呂圭介の方が遙かにまともな芝居を見せている。病気で突然降板した女優の代役で出演することになったという中川梨絵の奇妙な笑いに下手糞極まりない演技はこの頃に時代「らしく」はあるものの、ほとんど見るに堪えない。





