イメージ 1

 

 2017年5月27日(土)
 明日28日まで、第70回カンヌ国際映画祭が開催されている。


 注目されるのは最高賞「パルム・ドール」の行方だが、しかしそもそも過去の受賞作を見てみると、ここ20年間で私が傑作だと思った作品はゼロ(もっとも過去10年の受賞作は半分しか見ていないのだが)、過去30年に広げるとようやくマイク・リーの「秘密と噓」(1996年)が登場し、その後もタランティーノの「パルプ・フィクション」(1994年)、ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」(1984年)、そして1979年のコッポラ「地獄の黙示録」とシュレンドルフの「ブリキの太鼓」くらいしかない(ここまでが私が映画館に足を運んで作品を見た時期であり、それ以前の作品はテレビやDVDなどで見たものである)。個人的に評価している作品が一番多いのは1960年代の受賞作で、「甘い生活」、「かくも長き不在」、「ビリディアナ」、「山猫」、「シェルブールの雨傘」、「欲望」と6本もあるが、1970年代は上記2本とスコセッシの「タクシードライバー」のみである(もっとも70年代の作品は見ていないものが結構多いこともあるが)。
 つまり基本的には相性の余り良くない映画祭ではあるのだが、それでもついつい毎年受賞作が何になるか注目してしまうのは、単にメディアに乗せられているということもあるが、アメリカのアカデミー賞とも、ベルリンやヴェネツィアとも違う、「映画発祥の国」フランスの映画祭だということもあるだろう。もっともその割にはフランス映画の受賞作品は少なく、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手であったゴダールもトリュフォーも、あるいはシャブロルやリヴェットも、誰ひとりこのパルム・ドールを受賞してはいない(受賞者のルイ・マルやジャック・ドゥミも、一応ヌーヴェル・ヴァーグに属していたと言ってもいいだろうが、決して主流とは言えない)。
 
 今年はこのパルム・ドールなど主要賞の候補作である「コンペティション作品」に韓国映画が2本(ポン・ジュノ「オクチャ」、ホン・サンス「その後」)、日本映画が1本(河瀬直美「光」)選出されていることもあり、日韓のメディアでもそれなりに取り上げられている。
 しかしいずれの国のメディアにも共通することなのだが(しかも今回だけではなく毎度のことである)、自国の作品を過度に持ち上げ、まるで他国の作品以上に高く評価されて大喝采を受け、最高賞パルム・ドールを取るのではないかと思わせるような記事が載るのである。しかし過度に自国向けに誇張されたこうした記事の予想が当たることはまずなく、それまで紙面ではほとんど触れられて来なかった作品が受賞する結果になり、読者としては一体あの記事は何だったのかと思わされるだけである。そこで欧米メディアによる記事を後から覗いてみると、日本や韓国のメディアに書かれているのとは全く異なった内容を目にすることになり、ただただ唖然とするしかない。
 むろんどんな映画賞でも文学賞でも、受賞の鍵を握る審査員の嗜好も感性も千差万別で、どの作品が確実に受賞するなどということは誰にも言えないのだが、自国贔屓のあまり、直接候補作を見られない一般読者の期待をいたずらに煽るのは実に頂けない(そもそもメディアでしょっちゅう言及される「スタンディング・オベーション」などというものは、クラシック音楽の演奏会におけるアンコールなどと同じく、所詮ひとつの儀礼や習慣である場合がほとんどで、そんなもので作品の出来不出来まで推し量ることなどできるはずがないのである)。

 ここに来て受賞作の発表が近づき、日本のメディアでもようやく現地の下馬評や記者自身の評価に基づく受賞作の予想記事が載るようになってきた(例えば→http://www.yomiuri.co.jp/entame/ichiran/20170526-OYT8T50008.html?from=ytop_os1&seq=06)←既にリンク切れ。しかし自分の予想が外れるのを恐れてなのか、ここでもやはり記者自身の明確な意見表明は押さえられ、実に曖昧な書き方になっている。
 フランスのハフィントンポストの記事を日本語訳した記事も掲載されたが(→http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/26/cannes-favorable_n_16815254.html)、いかんせん情報が古すぎる。そこでこの記事で紹介されている「le film français」なるサイトで最新版の評価一覧をチェックしてみたのが(後日最終版に変更)、上に掲げた写真である(出所は→http://www.lefilmfrancais.com/cinema/132569/cannes-2017-tableau-final-des-etoiles-de-la-critique-11)。
 一見しただけではどの作品の評価が高いのか実に分かりづらいのだが、上のハフィントンポストの記事にあるように、パルム・ドールのシンボルマーク(黄金の棕櫚)の数だけで見れば、現時点でも依然ロバン・カンピヨ監督の「120 Battements par minute」の評価が最も高く、次いで「父、帰る」や「裁かれるは善人のみ」などのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の「Loveless(Faute d'amour)」が続いているようである(さらにアルノー・デプレシャン監督の「Les Fantômes d'Ismaël」やSafdie兄弟の「Good Time」だろうか。セルゲイ・ロズニツァの「Une femme douce」やファティ・アキンの「In the Fade」と同じく、河瀬直美監督の「光」(Vers la Lumière)にも黄金の棕櫚マークが2個ついているものの、他の評者の評価は総じて低めである)。

 上記の通り2作品がコンペティションに選ばれているここ韓国でも(もっともごく一部の映画愛好者だけだろうが)、韓国映画初のパルム・ドール受賞に期待がかかっており、日本語版でも幾つか記事が出ている(http://japan.hani.co.kr/arti/culture/27434.html
あるいは http://japanese.joins.com/article/445/229445.html)。
 非コンペ部門にも韓国映画や日本映画はそれぞれ何本かずつ招待されているが、個人的な印象では韓国映画は作品のジャンルや人材の多様化という点でも依然として日本映画よりも勢いがあると言わざるをえない。

 個人的には、「殺人の追憶」や「母なる証明」などのポン・ジュノ監督の「オクチャ」に多少の期待があるものの、しかし前作の「スノー・ピアサー」にしても今回の「オクチャ」にしても、メジャー映画界に進出して以降、ポン・ジュノ監督は本来の持ち味である韓国らしい土着性を持ちながら人間存在の奥深くに迫っていくような作家性を十分生かし得ていないのではないかという気がしてならない。もともとは極めてマニアックで一部の映画愛好家に偏愛されるようなカルト的作品を撮ってきたポン・ジュノ監督だが、エンターテインメント色の強い「グエムル-漢江の怪物-」が大ヒットして以来すっかりメジャー志向になり、制作規模も予算も大きくなったが、正直なところ、CGなどを多用したメジャー作品とは決して相性が良くない(私はこの「グエムル」という作品もまったく評価していない)。今回の「オクチャ」も、その内容を聞いた時に真っ先に思ったのは「これじゃ、まるで『となりのトトロ』じゃないか」というもので、実際今作への宮崎駿作品やスピルバーグの「E.T.」の影響を指摘する声は少なくないようである。そんな「二番煎じ、三番煎じ」のような作品ではなく、「殺人の追憶」(これは数ある韓国映画の中でも傑出した作品である)や「母なる証明」のような、ポン・ジュノにしか作れない「韓国映画」をまた撮って欲しいものである。

 ともあれ、明日(日本や韓国では明後日の未明)には今年のパルム・ドールも決定するので、(これまでの相性の悪さから)大して期待せずに待つことにしたい。

(追記1)
 とりあえず河瀬直美の「光」は、現地時間の27日にキリスト教関係団体の選出するエキュメニカル審査員賞を受賞したそうである(パルム・ドールのコンペとは直接関係ない賞であるはずだが、おそらくこれでこの作品がパルム・ドールを受賞する可能性はなくなったのではないかと思われる。←過去には両賞一緒に受賞した例もなくはないものの、過去40年あまりで「木靴の樹」、「鉄の男」、「パリ、テキサス」、「秘密と噓」、「永遠と一日」の5本くらいしか例がなく、今回も同時受賞はないだろうと思われる)。

(追記2)
 結局最高賞「パルム・ドール」は、スウェーデンのリューベン・オストルンド監督の「The Square」が受賞。
 以下、グランプリは「120 Battements par minute」、監督賞はソフィア・コッポラ(The Beguiled)、男優賞ホアキン・フェニックス(You Were Never Really Here)、女優賞ダイアン・クルーガー(In The Fade)、審査員賞「Loveless」、脚本賞「The Killing of a Sacred Deer(Mise à mort du cerf sacré)」と「You Were Never Really Here」の同時受賞等に決まり、残念ながら韓国勢は(他の部門においても)無冠に終わった。

 「ある視点」賞はモハマド・ラスロフ監督の「Un homme intègre」が受賞し、審査員賞にミシェル・フランコ監督の「Les Filles d'Avril」、映画のポエジー賞にマチュー・アマルリック監督の「Barbara」が選ばれた(男優賞等は右を参照のこと→http://www.festival-cannes.com/fr/festival/actualites/articles/les-prix-un-certain-regard-2017)。

================================================

 この間に読んだ本は依然としてなし。

 映画の方は、

・「ミッドナイト・ラン」(マーティン・ブレスト監督) 4.0点(IMDb 7.6) 日本版DVD
 犯罪+コメディ+Buddyモノとでも言ったらいいだろうか。主演のロバート・デ・ニーロもいつもよりかなり軽いノリで、全体に如何にも狙ったというドタバタ調のコメディなのだが、脚本がしっかりしていることもあって少しもダレることがない。何カ所かしんみりさせる場面も用意されているし、最後のオチや決めの台詞も手がこんでいて、肩ひじ張らずに楽しめる佳品に仕上がっている。犯罪コメディで舞台がシカゴやロサンゼルス、マフィアも登場するとなると銃撃戦に流血場面がたくさん出て来そうだが、そうした意味ではかなりおとなしく、幅広い年齢層に受け入れられる作品になっている。
 デ・ニーロの相棒役であるチャールズ・グローディンが終始「良い奴」なのがやや御伽話めいてはいるものの、「エイリアン」や「ブルベイカー」、そしてテレビドラマの「ホミサイド/殺人捜査課」などで味のある脇役を演じていたヤフェット・コットーや、ドラマ「Law & Order」でやさぐれ刑事ジョー・フォンタナを演じていた故デニス・ファリーナなど一癖も二癖もあるバイプレイヤーたちが脇を固めていて単調さを免れている。貨物列車に乗り込んだり自動車やバスでアメリカ国内を移動していくロード・ムーヴィーとしての楽しさもあって、ロード・ムーヴィー好きにもおすすめである。

・「エスター(原題:Orphan)」(ハウメ・コレット・セラ監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVD
 かつての「オーメン」を思わせる内容だが、こちらは悪魔ではなく正真正銘の人間が主人公である。邦題にある主人公エスターを演ずるイザベル・ファーマンの、子供なのだか大人なのだか分からない風貌(腕にも黒い産毛がびっしりはえていたりする)が、実はこの作品の大きな鍵となっていることに後で気付かされる。彼女を養女として迎える夫婦(とりわけ夫)がいつまでも養女の危険性に気づかないで自分の考えに固執するのも不自然だし、彼女に疑惑を抱きつつも簡単に盗み聞きされてしまうような家の中場所でひそひそ話をしたり、また女性精神科医が一方的に女主人公に問題があると頭ごなしに決め付けて話を聞こうともしないのも解せない。観客の恐怖心を煽るためそうした矛盾点や強引な設定にも構わず話を進めてしまう点が目について仕方ないのだが、しかし作品の怖さという点では全体的にもかなり怖いと言っていい(正確にはホラー映画の怖さというよりも、楳図かずお作品のような心理的な不気味さや不快感である)。特に正体が判明してからのエスターの顔つきが(一体彼女が実際子供なのか大人なのか、どの顔が本当の彼女の顔なのかが分からなくなるほど、メーキャップがリアルである)実に不気味である。
 結末は「オーメン」と同じく全く救いのない暗澹たるものだろうと想像していたのだが、意外にもそこまで徹底したバッド・エンディングになってはいない。聴覚障害を抱える妹マックス役を演じているアリアーナ・エンジニアという子役俳優が、姉エスターに支配されながら、幼いなりに葛藤と迷いとに揺れる子供を実に見事に演じきっているのが印象的で、終始息つく暇もない陰鬱で重苦しい内容のなか、ただ一人観る者に光明を投げかけてくれる存在となっている。

・「マネーボール」(ベネット・ミラー監督) 3.5点(IMDb 7.6) 日本版DVD
 先日見たクリント・イーストウッド主演の「人生の特等席」とは正反対に、科学的データの解析によって(例えば出塁率が高いなど)野球選手の真価を測定し、低予算で最も効果的なメンバーを揃えて勝利を目指し、結果的に「経験」や「勘」を重要視するスカウトという「職人」が不要であることを証明してみせた、メジャーリーグ球団「オークランド・アスレチックス」の実話に基づく映画である。鑑賞しながらつくづく思ったのは、アメリカ人は本当に野球に思い入れがあって、野球というものに「夢」を見出したいのだということで、子供の頃にはそれなりに野球を見たりやったりしたものの、もう四半世紀近くも野球の試合を(テレビですら)まともに見たことがなく、たまに野球場に行ってみたいとは思うものの、単に空まで大きく視界の開けた高い場所に腰を落ち着け(従ってドーム球場は不可)、ザワークラウトをたっぷりのせたホットドッグにかじりついて冷たいビールを飲みたいというだけの私のような人間には、到底理解できないことである。
 それでもこの作品は貧乏球団が科学的なデータ分析によってスカウトたちから見向きもされないような選手を集め、金にモノを言わせて有名選手を獲得して着実に勝利をあげていく大球団をやっつけるという、判官贔屓を好む日本的感性にもしっくりくる内容になっていて、かく言う私もとても楽しむことができた。
 ブラッド・ピットの演技は相変らず安定しているが、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」で金や薬、女遊びなどですっかり人格破綻した狂気ディーラー役をリアルに演じきっていたジョナ・ヒルが、選手のデータを科学的に分析してアドバイスを与えるブラッド・ピットの補佐役を人間味たっぷりに造型していて大いに感心させられた。ブラッド・ピットの娘役が歌う「The Show」という歌が実にピッタリと作風に合っていて(https://www.youtube.com/watch?v=BTHeZyOL0aw)、スポンサーとの力関係によって全く作品に合っていない歌を使用させられて映画そのものを台無しにすることの多い日本映画界にも大いに見習って欲しいと思ったものである。

・「ザ・マスター」(ポール・トーマス・アンダーソン監督) 3.5点(IMDb 7.1) 日本版DVD
 とある新興宗教の教主と、偶然(ただし後に二人には過去に「因縁」があったことが明らかになる)その教主のチャーターした旅客船に乗り込んできた主人公との間の愛憎入り乱れた友情(?)関係とその離反を描いた、なんとも奇妙な作品である。主人公を演ずるホアキン・フェニックスもフィリップ・シーモア・ホフマンも、そして彼らの間に立ちはだかるエイミー・アダムスも、これら複雑でうまくつかみがたい登場人物たちのエキセントリックな人物像を極めてリアルに演じていて、それだけで作品に見入ってしまうのだが、しかしこの映画が果たしてなにを描いているのかとなると、なんとも茫洋としていて理解しがたい。実在する新興宗教の形成史を丹念に追っていく訳でもなく、互いに強烈に惹かれ合いつつも、性格も生き方も対極にある二人の男の出会いから離反までを描いた個人史という訳でもなく、また彼らの物語が普遍性を持ちうるとも思えず、一体どういう動機によって監督がこうした作品を作ろうと考えたのかまったく想像しようのない不可解で実に評価のしづらい作品である。

・「闇の列車、光の旅(原題:Sin Nombre=名もなき者)」(キャリー・ジョージ・フクナガ監督) 3.0点(IMDb 7.6) 日本版DVD
 メキシコの若者ギャング団内部の対立と、ホンデュラスからメキシコを経てアメリカへと密入国しようとする家族の姿を交錯させた社会派(?)ドラマ。ギャング内の対立が主人公の女性関係に発端する(情事にかまけて縄張り争いをサボり、ギャング団の首領に睨まれ排除されようとする)というのもどうにも設定がショボい上、主人公のギャングの若者とホンデュラス人の少女の間に突然芽生える関係(少女にとっては、ギャング仲間に襲われようとしていた自分を助けてくれたことへの感謝と同時に、女として愛情を抱いたのだろうが)に説得力がなく、最後まで違和感を覚え続けるしかなかった(もっとも愛情というのは所詮そうした理不尽で唐突な感情なのかもしれないが)。
 この男女の中途半端で甘ったるい関係性のため、映画全体の方向性が社会派でも恋愛映画でもない曖昧なものになってしまい、随所に描き込まれるメキシコやホンデュラスの貧民街の荒廃した風景描写の強烈さもすっかりぼやけてしまっている。貨物列車にただ乗りしてメキシコ国内を移動する場面はロード・ムーヴィ好きの私には堪らないはずなのだが、物語の焦点が途中からギャングの若者と移民の少女の関係に絞られ、単なる「ボーイ・ミーツ・ガール」モノ(この映画では若者は少女に対して最後まで冷淡であり、正確には「ガール・ミーツ・ボーイ」なのだが)に収束してしまうのが余りに凡庸かつ類型的である。

・「名探偵コナン 江戸川コナン失踪事件〜史上最悪の2日間〜」(山本泰一郎監督) 3.0点(IMDb 7.3) 日本版DVD
 脚本を「運命じゃない人」や「アフタースクール」の映画監督内田けんじが担当。内田の「鍵泥棒のメソッド」からの派生的作品で、「鍵泥棒のメソッド」を見ていた方が楽しめるだろう。もっとも作品としては「鍵泥棒のメソッド」の方が遥かに緻密に計算が行き届いており(このアニメの方には少しも意外さや最後に謎が解明されるようなカタルシスがない)、またこれまで「名探偵コナン」を見たことのなかった私には登場人物の来歴や人間関係(一応冒頭に説明はあるが)がなかなかつかめず、話の進行に慣れるまでに時間がかかってしまった。内田けんじによる脚本ということで大いに期待したのだが、作品自体に目をひくものはとりたててないのだが、「鍵泥棒のメソッド」に出演した香川照之と広末涼子が声優を担当しているのは嬉しい(ただし堺雅人は出演していない)。