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 2016年10月14日(金)
 つい先日、我が家の呼び出しチャイムが鳴ったため、また宗教の勧誘かなにかだろうと思いながらゆっくりと玄関に向かった。そっとドアを開けてみると玄関先には誰もおらず、階段を駆けるようにして降りていく大きな足音だけが聴こえた。
 ふと気になってさらにドアを大きく開いてみると、玄関脇の壁際に大きな段ボール箱が置かれてあるのに気づいた。どうやら宅配荷物らしいのだが、我が家では最近なにか注文したという記憶がない。そこで荷物を改めてよく見てみると、受取人欄には全く知らない人の名前があり、箱の上にも手書きのサインペンで我が家の住所とは少しだけ番地の異なる住所が大きく記されているのが分かった。


 なぜわざわざ箱の上に手書きで住所が書かれているのかというと、(以前このブログでもいずれ採り上げると書きながら未だに記事にしていないのだが)「道路名住所」という新たな住所表記法が、2014年1月から韓国内で開始されたものの、使い勝手がすこぶる悪いらしく、宅配業者や食べ物のデリバリー業者などでは、2013年以前の旧住所表記をいちいち荷物に書き込んで、それをもとに配達業務を行っているらしいのである。
 この「道路名住所」、導入前からその不便さや問題点が指摘されており、開始から2年半以上過ぎた今でも、時たまテレビのニュース番組などで即刻廃止して元の住所表記に戻すべきだといった内容の報道がなされる程なのである。
 「道路名住所」の問題点についてはそのうち改めて記すとして(?)、サインペンで大きく記された住所自体は確かに受取人のものなのかも知れないのだが、配達人が住所を読み違えて、全く別の建物に入っている同じ部屋番号の我が家に「誤配」してしまったようだった。そうと気づいた私はあわてて表通りに面している寝室に走っていき、窓を開けてすぐ下の道路を見下ろしてみたのだが、さすが「パルリパルリ(早く早く=빨리빨리)」を至上の価値とするここ韓国の宅配業者である。宅配便のトラックは既に影も形もなく、あとには誤配された荷物だけが残されたという次第である。

 韓国では、このように(上の写真参照)宅配荷物を家の前に置いていくことがもはや常態化している。おそらく当初は受取人の側から「いまちょっとだけ外しているので、家の前に置いておいてください」といった要請があって始まったことだとは思うのだが、今では受取人が在宅していようがいまいが、有無を言わさずに荷物を置いていってしまうのである。
 荷物を置いていくのと同時に、受取人の電話番号に「○時○分にご自宅の前に○○からの宅配荷物を置きました」といった内容のテキストメッセージが一応送られては来るのだが、受取人が不在の場合には本当に荷物が置かれたかどうかすぐに確認することが出来ず、実際の受け取りまでに荷物が盗難されたり、誤配などでそもそも荷物がちゃんと届かない事故が起きる可能性も当然ある。
 しかしそうした数少ない(?)間違いより、目先の便利さという「実」をまず取ろうとするのがまさに「韓国流」でもある。受取人が不在だからと言って、日本のように再配達してもらったり郵便局などに出向いて受け取ったりする手間やコストを考えれば(実際日本では宅配等の輸送荷物の約2割が再配達扱いとなっており、それにかかる膨大なコストが問題化しつつあるそうである)、双方(?)合意のもとで家の前に置いておいてもらえば、両者の手間もコストも省けて一石二鳥(四鳥?)という訳である。
 
 管理人のいるようなマンションや集合住宅であれば、管理人室などで一括して郵便物や宅配荷物を預かってくれるだろうし、また若い女性などの場合、配達人による暴行などを恐れて宅配受取ロッカーなど外部の受取サービスを利用している人もいるだろうから、実際にこの種の盗難や誤配等のトラブルが全体のどれくらいの比率を占めているのかはよく分からない。
 「コンシューマーワイド」というウェブサイトの記事(ただし2年前のもの)によれば(http://www.consumerwide.com/news/articleView.html?idxno=978)、消費者による苦情の処理や被害救済、紛争調停、商品の試験・検査など、消費生活向上のために設けられた行政機関である「韓国消費者院」が売上規模トップ5の宅配業者に対する顧客満足度を調査した結果、宅配利用者の33.7%がなんらかのトラブルを経験したことがあると回答したとのことである。トラブルの事由としては「配達遅延」が55.8%、「破損および変形・変質」が41.8%、「紛失」が30.3%となっており(複数回答可)、このうち実際に賠償を受けたケースは全体の25.5%に留まっているそうである。
 また消費者新聞「コンシューマッチ」の(これまた2014年の)記事によれば(http://www.consumuch.com/news/articleView.html?idxno=10277)、「韓国消費院」への宅配関連の相談件数は2010年から2013年の3年間で合計46,694件にのぼり、また件数は毎年着実に増加しており、宅配会社による賠償を受けられず同院に被害救済を申請してきた事例も同期間で16,242件に達しているそうである。これが宅配件数全体のどの程度を占めているかは不明なものの、こちらの調査ではトラブルの事由の8割強を「紛失と破損」が占め、8%が「配達遅延」、そして「その他(誤配や任意返品、集荷拒否)」が9%弱となっているとのことである。

 話を元に戻せば、家人が帰宅するのを待ってから、段ボール箱のインヴォイスに記載された業者の連絡先に何度か電話をかけてみはしたものの反応はなく、とりあえず誤配があった旨のテキストメッセージを残して向こうから連絡してくるのを待つことにした。
 しかし待てど暮らせど業者からの連絡はなく、また受取人の連絡先も個人情報保護のためか「※」マークで一部が隠されているため直接連絡を取ることも出来ず、数日待ってから、やむなく荷物を受取人の家に届けに行くことにした。
 韓国で最も代表的な某検索エンジンで受取人の住所(ただしこの時には「旧住所表記」を入力した)の位置を確かめた上、家人と2人してノコノコ出かけて行ったのだが、いざその場所にたどり着いてみると、地図上の場所と実際の住所表記(新しい「道路名住所」の片隅に、ちいさな文字で「旧住所」も記載されている)が異なるだけでなく、番地の番号からして全く見当違いの方向にあるらしいことが分かった。


 しばらく辺りをウロウロしてから、番地や建物の並びから想定される方向に歩き出しはしたものの、なにせ家人も私も誰にも負けない自信のある根っからの方向音痴である。ここら辺だろうと当たりをつけた場所はまず間違いなく全然別の番地で、そうでなくても受取人が在宅しているだろう夕食時を狙って家を出て来たため、10月に入ってすっかり日が短くなった屋外は既に真っ暗で、老眼で甚だ見づらい住所プレートまでいちいち近寄って確認しつつ、決して軽いとは言えない荷物を抱えながら、周囲の通りを徘徊する羽目になった。
 ようやくその時点で、地図検索に入力したのが旧住所表記であることに思い至った私は、改めて新住所表記を入力して検索してみたのだが、すると目指すべき建物は、私が想定していたのとはさらに全く別方向に位置していることが判明し、その日は肌寒いくらいの陽気だったにもかかわらず、かなりの(冷や)汗をかきながら、今度こそはと目的地に向かって歩き始めた。


 家人と一緒に行って正解だったのは、当の建物が我が家の入っている集合住宅のように玄関前まで勝手に上がれるような構造にはなっておらず、ビルの入口にロックがかかっていて、暗証番号を入れるか、部屋番号を押して住人にロックを解除してもらわなければ入れないようになっていたためである。未だに辿々しい会話しか出来ない私ひとりでは、部屋番号を押して受取人に事情を説明し、ロックを外してもらうようなことは到底出来なかったに違いなく、結局その建物の前で諦めて自宅に引き戻してくるしかなかっただろう。
 苦労した割には受取人の態度は実に素っ気なく、こちらが事情を説明していると一応礼の言葉は口にしたものの、事情はよく分かったから早く荷物を置いて帰って欲しいというような態度さえ垣間見えるようで、我々はなんとも言いがたい後味の悪さを味わいながらトボトボと自宅に引き上げてくるしかなかった。別段親切に届けてあげたのだからそれなりに感謝の念を示して欲しいなどというつもりは毛頭なく、ちゃんと事情を聞いてから宅配業者に苦情を言うなりして再発を防いでもらいたいだけだったのだが、我々に対する態度から察するに、宅配会社には連絡すらしなかったに違いない。

 実際に宅配荷物を配達している人たちは、インターネット通販やテレビ・ショッピング会社が使っている運送会社の下請けのさらに下請けだったりして、人件費もギリギリに抑えられ、とにかくひとつでも多く数をこなすしかないのが実状だろうと思われる。また受取人から苦情が寄せられでもしたらすぐにブラックリストに載せられて、二度と使ってもらえないような厳しい条件のもとで仕事をしているのかも知れない(誇張でもなんでもなく、こうした事例は決して少なくないのである)。
 そういう「社会的弱者」をいじめるつもりなどさらさらないし、むしろ苦情を言いたいのはそうした劣悪な労働条件を下請け業者に強いながら、「速さ」や「安さ」を売りにして、実際は問題の少なくないサービスを提供して澄ましている大企業の方である。しかしただでさえ上下関係(ビジネスや取引の世界においては、契約書上の当事者を示す「甲」や「乙」の序列によって上下・支配関係が自然と決まってしまう傾向があるため、韓国では大企業とその下請けとの間の「非対称」な関係を「甲乙関係」や「甲乙問題」などと呼ぶことがある)が露骨なまでに熾烈な韓国においては、消費者が苦情を言っても損をするのは下位にある「乙」や「丙」、「丁」の業者や従業員ばかりで、「甲」である財閥や大企業は「乙」以下の人々を使い棄てて甘い汁を吸うという昔ながらの搾取構造は、これからもなかなか簡単に変わることはないに違いない。

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 この間に読んだ本は、ゲーテの「ファウスト」(第2部。集英社文庫、池内紀訳)のみ。
 むかし途中で放擲してしまったように、ギリシャ・ローマ神話やキリスト教、錬金術などを巡る描写や挿話が延々と続いて、私のような無知無教養な人間には容易に把握できないような内容なのだが、読みやすいという評判に偽りはなく、池内紀の訳文はスラスラ読める上(ただし理解の方は到底それに追いつかない)、解説で粗筋をまとめてくれてもいるので、とりあえず何が起きているのかは理解できる。しかしただ読み通したというだけで、果してこの作品がなにゆえに世界文学の傑作のひとつとして称揚されているのかはやはりさっぱり分からないというのが正直なところである。
 という訳で第1部に続いてこの第2部も、森鴎外の訳でも参照しながら、改めて読み直してみようと思っているところである。 

 映画の方は、

・「素晴らしき放浪者」(ジャン・ルノワール監督) 3.0点(IMDb 7.5) 英国版DVD
 原題は「水のなかから救い出されたブーデュ(Boudu sauve' des eaux)」。
 学生時代におそらく仏語音声、英語字幕で見た時には、主人公ブーデュを演じたミシェル・シモン(下の写真1枚目)のやりたい放題の演技にひどくイライラさせられた記憶があるのだが、年をとったせいなのか、今回は別段苛立つこともなく結構面白く見ることが出来た。とりたてて優れた作品とは思えないものの、怪優ミシェル・シモン(日本のこれまた怪優である伊藤雄之助=下の写真2枚目にどことなく風貌が似ている)にはまさにはまり役で、ジャン・ルノワールの意地悪で少々エッチな、そして融通無碍な気風がうまく溶け込んだ愉快な小品となっている。


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・「ファミリー・ツリー(原題:The Descendants」(アレクサンダー・ペイン監督) 2.5点(IMDb 7.3) 日本版DVD
 話もよくできているし、ハワイが舞台で、全篇にわたって心地よいハワイの音楽がバックに流れていて雰囲気も悪くない。しかしある親子/夫婦をめぐる家庭劇であるこの物語に、カメハメハ大王の「子孫たち」(これが原題である)と彼らが所有するハワイの広大な土地の売買の話がからんでくることの必然性がうまく汲み取れず、言ってしまえば雰囲気だけの作品であるようにも思えてしまう。登場人物もどれも本質的には善人揃いで、ややもすると綺麗事を上辺だけなぞっているような印象を拭いきれない。

・「ジミー、野を駆ける伝説(原題:Jimmy's Hall」(ケン・ローチ監督) 3.0点(IMDb 6.7) 日本版DVD
 2006年の「麦の穂をゆらす風」に続いてケン・ローチ監督がアイルランドを舞台に撮り上げた作品である。イングランド人であるケン・ローチがアイルランドにこだわり続けるのは、果たして「贖罪」のためなのか、あるいは単に反権力や反体制を描く上で映画的題材として興味があるだけなのか、作品を見終えた後でも正直うまく理解できないままである。
 声高に主人公ジミーを英雄視して描かないところには好感が持てるが、カトリックや守旧派の人々が(事実に基づいているのかも知れないが)図式的なまでに悪辣に描かれているように思えてしまうのも確かである(実状はもっとひどかったのかも知れないのだが・・・)。また演出を極力抑えて淡々と事実を積み重ねて描いてあるため、映画としてはいまひとつ焦点がぼやけてしまい、観る者に確固たる印象や痕跡をもたらさないきらいもある。

・「瘋癲老人日記」(木村恵吾監督) 3.0点(IMDb 7.1) 日本版DVD
 谷崎潤一郎晩年の傑作を映画化。その試みはある程度成功していると言っていいし、山村聰は実際にはまだ40代の終わりでありながら、主人公の狒狒爺(ひひじじい)の持つ醜悪さや悲哀を実にリアルに演じてもいるのだが、原作自体がこうして映像にしてしまうと陳腐化してしまう内容であるのもまた確かなのである。谷崎潤一郎の作品は「刺青」や「鍵」、「春琴抄」、そして代表作の「細雪」にしても、読者の頭の中で「妄想」や「幻想」が加味されることによってより生々しく生きてくる、まさに文学作品ならではの特性を持った作品群であると言え、なにもかもを具体的なイメージとして提示せざるをえない映像作品には本来不向きなのかも知れない(その点、「痴人の愛」や「猫と庄造と二人のをんな」、「台所太平記」などのユーモラスな側面を持った作品は、まだ多少は映画化に耐えうるのかも知れない)。

・「三重スパイ」(エリック・ロメール監督) 3.5点(IMDb 6.5) 日本版DVD
 パリで実際に起きた旧ソヴィエト高官の拉致事件や実在のスパイをもとにした、エリック・ロメール作品にしてはかなり毛色の変わったサスペンス(?)映画である。主人公のスパイとその妻を巡る結末の展開は極めて唐突かつあっさりと描写されており、登場人物たちが饒舌に会話を交わす、ある意味でロメール的な作劇であるそれまでの展開と余りに断絶した対照的な印象を受け、その断絶感・唐突感がかえって旧ソヴィエト体制の不気味さを際立たせ、作品に緊張感を与えることに成功している。善人そうでいて冷徹きわまりない主人公のスパイを演ずるセルジュ・レンコ(ランコ?)と、明るく情熱的、かつ無邪気さを兼ね備えたセミ・プロの絵描きで、夫の素性故に悲惨な運命に巻き込まれていくその気丈な妻を演じているカテリーナ・ディダスカルーが素晴らしい。