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 2016年9月27日(火)

 もともと「モノ」に余り関心がないこともあって、韓国に住んでいても商品のデザインなどに興味を惹かれることはほとんどない。韓国のデザイン一般が私の嗜好に合わないだけなのか、それとも単に観察力が不足していて周囲の事物に注意を払っていないだけなのか、おそらくそのどちらでもあるのだろう。
 しかしひとつだけ気に入っているものがある。上と下に掲げた煙草のデザインである。


 ここでいきなり(以下長々と)脱線するが、私はもともと煙草の匂いが大嫌いで、何度か酒の席でふざけた吸ってみたことはあるものの、基本的には煙草は吸わない。嫌いではあっても他人様が煙草を吸うこと自体の是非まで云々するつもりはなく、ただあの匂いと健康に及ぼす害とから、少しでも遠くで吸ってくれたらいいと思っているだけである。

 だからと言って、下手にもう少し離れた場所で吸ってもらえないかなどと言おうものなら、逆上されて何をされるか分からない物騒な世の中である。結局は黙ってその場を離れていくか、くさいのをじっと耐え続けるしかない。


 閉口するのは、ふだん私がのんべんだらりと過ごしている部屋のなかまで、しょっちゅう煙草がにおって来ることである。地上3階にもかかわらず、ちょうど道路に面しているためか、通りで誰かが煙草を吸うだけでも煙草の匂いが3階まで昇ってくる上、階下の住人もかなりの喫煙者らしく、通りには誰もいない時でも頻繁に煙草の匂いがする。築30年近い安普請の建物なので、壁や床の隙間を伝って階上にある我が家にまで煙が洩れてくるのだろう。
 階下の住人や通りで喫煙している人間に向かって煙草を吸うなとは言いづらいため、いきおいこちらが我慢するしかないのだが、それよりも腹が立つのはわざわざ集合住宅の駐車場や脇の通路に入り込んできて煙草を吸っていく輩である。煙草くさいだけでなく大抵吸い殻や煙草の空箱もポイ捨てしていくので、通路には煙草のパッケージや吸い殻が散乱して甚だ汚ならしいのである。

 

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 なかでも近所にある専門学校の生徒らしき、正直お世辞にも出来が良さそうには思えない(加えて未成年だろうと思われる)若者たちが、毎日のように授業の合間や帰宅する前にこの通路に入り込んでは、とてもお上品とはいい難い口ぶりで駄弁(だべ)りながら煙草を吸っていくのにはほとほと困り果てている。まさか火事になったりはしないと思うのだが、それでも他人の家の敷地に断りもなしに入り込んでくること自体、非常識きわまりない。

 しかしそもそも「常識」が分かっているような相手ならば、端からそんな行動はしない訳で、別段自分たちがなにか悪いことをしているという意識などてんでないに違いない。なかには筋肉ムキムキの二の腕に派手な入墨(韓国語では漢字の「文身」の韓国語読みでムンシン=문신と称する)を入れている強者(つわもの)もいて、気の弱い中年オヤジには到底彼らに文句を言うだけの度胸などありはしない。


 そこでパソコンで「출입 금지/금연 구역=立入禁止/禁煙区域」と書いた紙を作成し、雨よけのためビニール・ケースに入れて透明のテープを何重にも貼り付けた上、紐にくくりつけて通路の入口に通せん坊をすることにした。念入りに密封したつもりがすぐに雨風でインクが滲んでしまい、何度か補強・補修してようやく完成を見たのだが、幸い一定の効果はあって、その紐を外して通路にまで入ってきて煙草を吸うような輩はさすがにいないようである。
 しかしその後近所を歩いていると、件の青年たち(女子も混じっている)がすぐ近くの別の集合住宅の物陰でコソコソ煙草を吸っている姿が目に入ってきた。なんのことはない、向こうさんはただ河岸を変えただけで、ヨソに移って同じことを続けているだけなのである。別段私が悪い訳ではないものの、その集合住宅の住民に対して申し訳ないような気持ちを覚えざるをえなかった。
 

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 ところが新たな問題が出来(しゅったい)した。
 我が集合住宅の裏には、各種のゴミを分別収集する区画が設けられていて、週に一度、管理費からお金を出して雇っているゴミ収集業の人たちが種類ごとにゴミをまとめて、表にあるゴミ出し用の集積所に出してくれることになっている。しかしなぜか紙ゴミだけはこのサービスには含まれておらず(あるいはあえて外しているのかも知れない)、近隣地域で廃品回収を生業(なりわい)としている人たちが随時この紙ゴミを回収して、どこかに売り捌きに行っているらしいのである。
 普段直接お目にかかることがないため(もっとも近所を散策していると、リヤカーにダンボールや雑誌などの紙ゴミを載せて歩いている人たちを見かけることがある)、いつどうやって紙ゴミの回収にやって来るのかこれまで詳しくは知らなかったのだが、どうやらこの通路から裏に回って紙ゴミを持って行っているらしく(反対側にも通路があるのだが、集合住宅の入口に面していて住人と鉢合わせになるのを嫌ってか、この通路を利用するのは遠慮しているらしい)、私が通せん坊をしてしまったため通路を通って裏に回ることができなくなり、結果的に紙ゴミが山のように溜まってしまう事態となってしまった訳である。

 

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 やむなく通せん坊をしていた紐をはずし、「立入禁止/禁煙区域」と書いた紙だけを通路の入口に掲げておくことにしたのだが、おかげで紙ゴミの回収は再開されたものの、通路への侵入と喫煙の方もめでたくセットでついてきた。そもそも専門学校生たちが長々と駄弁りながら煙草を吸いに来るのは、大抵は授業が終わって周囲が暗くなった後のことで、いくら「立入禁止」だの「禁煙」だのの注意書きを掲げてみたところで、なんの効果もありはしないのだ。

 また仮にそれらの文字が目に入っていたとしても、そもそもそんなことを気にするような相手なら、最初から他人の敷地に入り込んだりはしないだろう。直接文句を言う度胸のない私は、若者たちが楽しそうにおしゃべりをしながら一服やっているさなか、通路に面したベランダの電灯をつけたり消したりしてみたり、わざとらしく音を立てながら窓を開け閉めしたりしてみたものの、所詮、地上3階から姑息な抵抗を試みたところで効果があるはずもない。

 

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 いずれ抜本的な解決策として、入口に柵でも設置するなりして無断侵入を防がなければと思ってはいるものの、上記の通り、紙ゴミ回収の問題もあって、なかなか良い方策を思いつかないでいる。とりあえずは、紙ゴミの回収が昼間に行われるらしいことから日中の間は通路を解放しておき、夕方になってから通せん坊の紐を入口にかけることにし、今のところそれなりの効果は見られる。しかし毎日この通せん坊のことばかり考えて過ごす訳にも行かず、うっかり紐をかけ忘れたりすると、たちまち吸い殻や煙草の箱が通路に散乱することになり、まさにイタチごっこである。


 この種のトラブルは韓国だけでなく日本でもどこの国でも見られるものだろうから、余り一般化したくはないのだが、どうもこのゴミの投棄や吸い殻の投げ捨ての例にあるように、公共の場におけるマナーという問題に関しては、ここ韓国はお世辞にもマナーの良い国とは言えないようである。
 この通路の入口周辺には上記のゴミ出し用集積所もあるのだが、ほぼ毎日のように通りがかりの人間が食べかけ(飲みかけ)の飲食物やゴミを棄てて行く。ひどい時にはゴミの山が道路にまで溢れてしまうほどで、やむなく我々住人が飲み物の中味や食べ物の残りを処分し、容器も分別して廃棄しなければならない羽目になり、迷惑至極である。
 煙草やゴミの投棄以外にも、バスや自動車、オートバイなどが交通法規を守らず、横断歩道などでも通行人がいなければ、赤信号であっても構わずに通っていく。また、道端に唾や痰を吐きちらしたりする人も年齢や性別を問わずやたらと多く、自分さえ良ければいいという公共マナー欠如の例は枚挙に遑がないほどである(道端で痰を吐く行為に関しては、少し前の「朝鮮日報」に読者からの興味深い投稿が載っていたので、いずれあらためて紹介してみたい)。
 

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 煙草のパッケージの話からすっかり脱線してしまったが、ようやく本題(?)に戻ることにする。

 上や下に写真を掲げたTHIS PLUSやTHIS WILDなどの銘柄は、韓国の煙草メーカー「KT&G」から発売されているものである。非喫煙者である私はふだん煙草自体に接する機会がまったくなく、煙草の銘柄やパッケージにも何の関心もないのだが、老犬を伴って近所を散歩したりしていると、道端に棄てられている煙草のパッケージが目に止まることがある。
 もっとも煙草のデザインは大抵似たり寄ったりで、瞬間的に視界に入りはしてもそのまま通り過ぎてしまうことが多いのだが、写真2枚目にある潮を吹く鯨の絵が描かれた「THIS PLUS」のシンプルなデザインは初めて見た時から気に入り、何度か見かけているうち、私の住んでいる集合住宅の生け垣に綺麗な状態のまま空箱が置かれているのを見つけ、そのまま家に持ち帰って部屋の片隅に飾るようになった。
 その後も、この「THIS」シリーズを道端などで見かけるたびに、また綺麗なものが置かれていないかどうか気にするようになり、いまでは写真の2枚目と5枚目の2種類の箱が部屋に飾られている。3枚目の写真にある船の舵(かじ)と鯨とが描かれているものや、6番目の「THIS ORIGIN」と記された帆船と鯨のデザインもなかなかで、これらのパッケージもそのうち手に入らないかと思いながら、日々近所を散策しているところである。

 

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 上のパッケージの写真はすべてインターネットから拝借したものである。
 また各パッケージの下部にある四角の枠のなかに記されている文章は、「警告:喫煙は肺癌など各種疾病の原因! それでも吸われますか?(あるいは「喫煙は一度はじめると、やめるのが非常に困難です」、「自分の家族や近くの人にまで害を及ぼします」) 煙草の煙には発癌性物質であるナフチルアミン、ニッケル、ベンゼン、ビニルクロライド(クロロエチレン)、砒素、カドミウムが入っています。禁煙相談電話 1544-9030」という内容の警告文である。


 ちなみに近年韓国では禁煙場所の拡大に加え、煙草の広告やテレビなどで喫煙場面を写すことが厳しく制限されて来ており、今年の12月からは煙草のパッケージに喫煙の危険を知らしめるためのイラストを掲示することが義務化されることになっている(参考記事→http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/01/korea-tobacco-warning_n_9362400.html)。

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 この間に読み終えた本は、以下の2冊(と1作品)。

・ギュンター・グラス「ブリキの太鼓」(集英社文庫版、全3冊)
 これまで何度となく途中まで読みかけては挫折してきた作品だが、手元にある昭和56年(1981年)4月30日付第3刷の第1巻を買ってきてから実に35年かかってようやく読了しえたことになる。
 この昭和56年という年は、映画版の「ブリキの太鼓」が日本で公開された年であるから、おそらくこの映画を見て感動(?)して原作を買おうという気になったのだと思うのだが、考えてみれば当時私はまだ14歳で、そんな年齢であのような映画を見、なにがしかの感慨を抱いて原作まで買おうという気になったのだから、今から思えばそこそこ「マセて」いたのかも知れないと思ったりもする。もっとも原作の方は、本などろくに読んだことのないお馬鹿な中学生には全く歯が立たず、すぐに投げ出してしまったはずで、その後も大抵は全3巻の真ん中あたり(つまり映画のなかに描かれた物語があらかた出尽くしてしまったあたり)まで読み進めるのが精一杯だった。
 正直今回も決して順調な読書だったとは言えず、何度か睡魔に襲われてただページを繰っていただけのこともあるから、現代ドイツ文学の傑作として名高いこの作品を、必ずしも十全に理解しえた訳ではない。とりわけ作者ギュンター・グラスの出身地であり、この作品の重要な舞台となっているダンツィヒ(現グダニスク)を中心に語られるポーランドやドイツの近現代史に関しては、私自身の無知もあって、ただ字面を追っていただけだったと言うしかないのが正直なところである。
 主人公のオスカルには終始イエス・キリスト(あるいはイエスを裏切ったユダ)やエデンの園における蛇(サタン)の影がつきまとっており、また作品の最後には「黒い料理女」という謎めいた存在が現れるのだが、正直これらについてもその意味合いや作者の意図をよく理解しえたとは到底言い難い。また主人公のオスカルは成長過程において「ゲーテとラスプーチン」に多大な影響を受けたことになっており、とりわけゲーテの「親和力」は、オスカルの両親とその友人(でありオスカルの実父であるらしい)ヤン・ブロンスキーとの不倫な三角関係という設定に少なからぬ影響を与えているようでもある(従っていずれこの「親和力」も読んでみる必要があると思っている)。「黒い料理女」という存在もあるいはゲーテの作品にヒントがあるのではないかと睨んでいるのだが、とりあえず手元にある「ファウスト」から読みはじめているものの、今のところその手がかりはつかめていない。
 作中で主人公のオスカルは、「ぼく」という1人称と、「オスカル」という3人称とで語られており、つまりこの作品はオスカルが自らの生を物語る自伝であるのと同時に、オスカルという人物を中心に据えてポーランドやドイツの近現代史を第三者の語り手が語る物語でもあり、個人的な思い出と歴史的・客観的な記述、そして作者グラスが想像によって作り上げたフィクションとが渾然一体となっており、その重層的な構造がこの作品に時間的・空間的な深度や複雑さをもたらしていると言っていい。
 正直なところ、この作品が文学的に傑出しているのかどうか、現状では判断を留保せざるをえず、「親和力」をはじめとするゲーテの作品や、ドイツやポーランドの近現代史について勉強した上で、再読する必要があると思っている。

・横溝正史「八つ墓村」(角川文庫Kindle版)
 夏にはなぜか横溝正史が読みたくなるのだが、今年はたまたま「八つ墓村」を「手に取る」(実際にはKindle端末で読む)ことになった(Kindle版を購入してこの作品を数十年ぶりに再読したのは2013年10月のことで、今回は都合3度目の読書ということになる)。
 あわせて下記の通り映画(2種類)も見てみたのだが、いずれの映画においても登場人物や物語を所々で端折っていて、原作とはかなり異なるものになってしまっており(ドラマ版でも原作をそのまま描いているものは今のところないようである)、いつか原作に忠実なまま映画化をして欲しいものである。もっとも原作からして主人公の田治見辰弥が自分の経験を物語る一人称形式の物語になっており、金田一耕助が全く活躍しない作品となっているため、「金田一耕助モノ」として映画化するのには無理があるのかも知れない。

・織田作之助「夫婦善哉」(正・続)Kindle版
 この2篇あわせても中篇程度の長さにしかならない作品であるが、韓国語講習に行く途中、暇つぶしのために再読してみた。「続篇」は近年になって発見されたものらしいのだが、作品的には中途半端な終わり方をしているようにも見え、果して作者が完成作品と捉えていたかどうかは疑わしい。

 正篇・続篇いずれも、最近読んだ林芙美子の「浮雲」のように、駄目男と腐れ縁を続けていく女の話なのだが(もっとも題名にあるように、この二人は「浮雲」とは違ってれっきとした夫婦である)、大阪が主な舞台となっているためか、あるいは作者が駄目男の側に自分を引き寄せて書いているせいなのか、「浮雲」ほどのじめついた暗さはなく、どこか飄々としてユーモラスですらある(だから映画化に際しても、駄目男である主人公の維康柳吉を森繁久彌が演じている)。

 映画の方は数が多いのでコメント部分は省略するが、以下の通り。

・「ローラーとバイオリン」(アンドレイ・タルコフスキー監督) 3.0点(IMDb 7.5) 日本盤DVD
・「バニー・レークは行方不明」(オットー・プレミンジャー監督) 3.0点(IMDb 7.3) 日本盤DVD
・「マドモアゼル」(トニー・リチャードソン監督) 3.0点(IMDb 7.5) 日本盤DVD 
・「見えない恐怖」(リチャード・フライシャー監督) 2.5点(IMDb 6.7) 日本盤DVD
・「10番街の殺人(原題 10 Rillington Place)」(リチャード・フライシャー監督) 3.5点(IMDb 7.6) 日本盤DVD
・「セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身」(ジョン・フランケンハイマー監督) 2.5点(IMDb 7.7) 日本盤DVD
・「エディ・コイルの友人たち」(ピーター・イエーツ監督) 3.0点(IMDb 7.6) 日本盤DVD
・「グラディエーター」(リドリー・スコット監督) 3.0点(IMDb 8.5) 日本盤DVD
・「コンドル(原題 Three Days of the Condor)」(シドニー・ポラック監督) 3.0点(IMDb 7.5) 日本盤DVD
・「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(マーティン・ブレスト監督) 4.0点(IMDb 8.0) 日本盤DVD
・「八つ墓村」(1996年版 市川崑監督) 2.0点(IMDb 6.5) 日本盤DVDで再見
・「八つ墓村」(1977年版 野村芳太郎監督) 3.5点(IMDb 6.7) 日本盤DVDで再見
・「東京物語」(小津安二郎監督) 4.5点(IMDb 8.3) 日本盤DVDで再見
・「どぶ鼠作戦」(岡本喜八監督) 3.0点(IMDb 7.3) 日本盤DVD
・「日本列島」(熊井啓監督) 3.0点(IMDb 5.9) 日本盤DVD
・「あん」(河瀬直美監督) 3.0点(IMDb 7.7)インターネットで視聴
・「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜」(矢口史靖監督) 1.0点(IMDb 7.6) ケーブルテレビの日本チャンネルで視聴