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 2016年7月5日(火)
 英国のEU離脱問題は引き続き株式や為替市場を動揺させているが、ここ十日あまりの間だけでも、改めて国民投票をやり直そうとか、残留派の多いロンドンを英国から独立させようといった動き、また国民投票に法的な拘束力はないため、英国議会でEUからの脱退に必要な手続きを進めなければいいといった、「脱EU」を阻止しようという動きが次々と起きているそうである。

 英国では国民投票後、「EU離脱で何が起きるか」や「EUとはなにか」という検索が急増しているとのことで、そもそもEUというものがどういうものなのかもろくに知らず、感情的に「離脱」票を投じた人がかなりいたのではないかと推測する報道もなされている。さらに自分が「無思慮に」投じた一票が、思わぬ結果を招いたことを後悔する有権者が続々と名乗り出て、インターネット上では「Brexit」にかけて、「Regrexit」や「Bregret」など、「Regret(後悔)」という言葉を含んだ新造語が登場しているそうである。


 日本などより遙かに政治に対する関心が高く、ハイド・パークのSpeakers' Cornerなどに見られるように、日常的に人々が活発に議論を重ね、民主主義という制度を支えているものだと(てっきり)思い込んでいた英国ですらこの体たらくなのだから、口角泡を飛ばして議論するよりも、周囲の空気や雰囲気の把握に神経をすり減らし、政治家への不信感が強いためか政治そのものに対する関心も極めて低く、公権力だの政府だのに抵抗したり反抗したりすることに積極的でない日本人に国民投票などさせようものなら、どんな事態になるか分かったものではない(もっともこんなことを書いている私自身が、およそ政治というものにほとんど関心のない人間なのであるから、何をかいわんやである→それでも今回の参院選はこちらの日本大使館(領事部)に赴いて、既に投票を済ませてきた)。


 一方で、今回のEU離脱の流れを牽引してきた元ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏は、デイヴィッド・キャメロン首相の後任を決める保守党の党首選への出馬をやめ、英国独立党党首であるファラージュ氏も党首の辞任を表明するなど、離脱派の足並みも乱れ始めている。そもそもEU離脱によって不要となる拠出金を社会保障にあてるなどとしていた公約を、離脱派の主導者たちが投票後にあっさりと撤回したことで、「離脱」に票を投じた人たちの間から批判や不満が湧き起こっていたのだが、EU離脱の旗幟を先導して振っていたこの二人が相次いで「最前線」から身を引いたことで、EU離脱派の勢いにも既に翳りが差し始めていると言っていいだろう。

 しかしあれだけ大々的に国民投票を実施しながら、すぐにその決定を反故になどしたら、今後、本当に重大な局面において国民の意思を問うような事態が生じた際、国民投票という手段がなんの信頼性も説得力も保持しえなくなってしまうだけで、(英国および英国民は)さすがに無責任すぎるというそしりを免れ得ないだろう。こんなことでは、改めて国民投票を行うべきかどうかを決するために、新たな国民投票を実施するのはどうだろうかといったギャグのような事態すら起きないとも限らない。
 と同時に、人間というものは往々にして間違いを犯す存在であり、一旦下した決定が明らかな間違いだと自覚しながらも、それが自ら選んだ道である以上、どんな代償を払ってでもその道を貫くべきなのか、あるいは自己の誤ちを自覚した時点で、方向修正することがより合理的な方法なのかどうか、特に今回の決定が単なる一個人によるものではなく、「国民」全体の決定であるだけに、判断は難しいところである。
 しかしながら、前回も書いたように、今回のEU離脱決定は英国経済や貿易にもたらす不利益のみならず、スコットランドや北アイルランドの英国からの独立問題に火をつけ、英国という国家を決定的な分裂に導きかねない極めて重大な問題をはらんでもいる(階級や貧富、世代による英国民の「精神的分裂」は、既に今回の投票で決定的になったと見られている)。今後もし国民投票の再実施を求める英国民の数が増えていくなら、再投票という可能性も決して排除できないだろうし、上記の通り国民投票には法的拘束力がないため、次の首相や議会がEU脱退のプロセスを進めず、事実上国民投票の結果を反故にしてしまうという事態も起こりうるだろう。

 個人的には、本気であれ適当であれ、自らの意思で投票してしまったからには、国民はその責任を負うしかないだろうと思いもするのだが、しかしより正直なところを言うならば、未だ英国にポンド建ての銀行口座を保持し続けている身としては(そして今後、宝くじでも当たらないかぎり、再び英国に居住してポンドを使う可能性がまずない身としては)、なんとかEUに残留してもらってポンドの価値が少しでも戻ってくれればいいと願わないでもない(ちなみに私が住んでいた時の最高値は1ポンド=250円台で、今はその半分近い130円台をウロウロしている)。むろん今回の国民投票が行われると分かった時点で、ポンド建ての預金を持ち続けることのリスクは重々承知していたのも事実であるから、あらかじめ預金の解約や円転などの対策を行わなかった自分自身の先見の明のなさを責めるよりないのではあるが・・・・・・。

 さて、前回に引き続きソウルを散策した時の写真を掲げておく。
 ただし1枚目は、地下鉄の車内で見かけた「IKEA」ならぬ「UKEA」の広告である。こんな完全パクリのデザインが果たして「パロディ」や「オマージュ」などの名目で許されるのかどうか疑問なのだが、これもまた「お国柄」ということだろうか。
 2枚目の写真は、景福宮の西側に位置する「西村(ソチョン)」で見かけた、ロンドン地下鉄の表示を真似た看板(?)なのだが、これが一体どんな店のものなのかは結局分からず仕舞いだった。
 残りの写真は、この「西村」にあるソウルの古い街並みである(ただし最後の中華料理屋だけは景福宮の東側にある。また、この店が今も営業中なのかどうかは不明)。
 この後、初めて韓国を訪れた1987年頃に宿泊した韓屋旅館のあった鍾路3街あたりを散策してみたのだが、かつての旅館は跡形もなく、古びて趣のあったはずの街並みも今ではすっかり薄汚くなってしまっていて、余り近づきたいと思わせないような淫靡な雰囲気をたたえていたのが残念だった(残念ながら途中でデジタル・カメラのバッテリーがなくなってしまったため、こちらの街並みは写真に撮ることが出来なかった)。
 上記の通り、後日改めて在外投票のため日本大使館に赴き、周辺を散策したので、その際に撮った写真は次回以降に。

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 この間に読み終えた本はなし。

 映画の方は、

・「殺人の告白」(チョン・ビョンギル監督) 3.5点(IMDb 7.0)
・「さまよう刃」(イ・ジョンホ監督) 3.5点(IMDb 6.7)
・「ファイ 悪魔に育てられた少年」(チャン・ジュナン監督) 3.0点(IMDb 7.1)
・「許されざる者」(ユン・ジョンビン監督) 3.0点(IMDb 6.8)
 いずれも韓国映画。最後の「許されざる者」だけは韓国の軍隊生活を描いた作品だが、残りの3作品はいずれも残酷きわまりない犯罪を描いた、近年の韓国映画が最も得意とするジャンルである(特に「ファイ」における暴力描写は、その必要性を疑いたくなるようなひどさである)。
 最近の韓国映画を見ていて思うのは、韓国の警察はここまで間抜けなのかという疑問である。これらの映画でも、警察官が犯人グループとグルになっていたり、あるいはそうでなくとも捜査過程でも場当たり的な捜査を行い、警察官同士が先輩後輩間や上下間ですぐに感情的に対立して捜査を台無しにし、せっかく追い詰めたはずの犯人にもあっさりと逃げられてしまう様子がしつこいほどに描かれている。
 単なる映画のなかの誇張であればいいのだが、しかし前回見た「ハン・コンジュ」という映画の元になった現実の犯罪について調べてみると、警察(官)による捜査の杜撰さや社会常識の欠如には、実際呆れるしかないのである。もし警察の実態がこれらの映画で描かれるものと大して違わないとしたならば、凶悪犯罪の犠牲になった被害者やその家族の怒りや悔しさ、警察への不信感は充分理解出来るもので、上記の「さまよう刃」(これは元々日本の東野圭吾による小説の映画化なのだが)で描かれているような、被害者の父親による復讐劇も、心情的には否定しがたい程である。

・「キャッチ=22」(マイク・ニコルズ監督) 3.5点(IMDb 7.2)
 ジョゼフ・ヘラーによる原作小説を読み始めたものの、少しも進捗しない上、内容すらまともに追えていない状態なので、まずは映画を見てみることにした(もっともこの映画自体は相当前に見たことがある)。映画には原作のような分かりづらい部分はなく、「M★A★S★H マッシュ」ほどのオフザケはないものの、戦争の不条理をいささかシニカルに描いた反戦(?)映画の佳作だと言っていいだろう。

・「マッドマックス2」(ジョージ・ミラー監督) 3.5点(IMDb 7.6)
 昨年見た「マッドマックス 怒りのデス・ロード」よりも遙かにシンプルで粗削りだが、まさにそれ故に遙かに緊密でリアルな佳作に仕上がっている。

・「雁」(池広一夫監督) 2.5点(IMDb なし、CinemaScape 3.5)
 鴎外の原作とは似て非なるものである。雁は出てくるものの原作とは全く異なる使い方であり、「青魚の未醤煮(サバのみそに)」も出てはこない。音楽にしても、山岡久乃演ずる(夫が若い愛人を囲っている)老妻の造型にしても、まるでホラー映画のようなオドロオドロしさが漂っており、原作とはまるで別物である。
 イプセンの「人形の家」を引用しながら、経済的に恵まれた現状を棄てて自由な生き方を選ぶ「新時代」の女の生き方を一瞬、想像させながらも、しかし結局は元の鞘に収まる(妾宅に戻っていく)しかない、当時の日本女性の境涯を描いた社会派作品だとも言えるかも知れない。

・「ゴジラ」(本多猪四郎監督) 4.0点(IMDb 7.5)
 1954年のオリジナル版(ただし英国の朝刊紙の付録としてついてきたものなので、どこまでオリジナル通りなのかは不明。収録時間は92分と、オリジナルより5分ほど短いようだが、基本的には台詞もすべて日本語、登場人物も全て日本の俳優である)。
 点数はいささか甘めだが、特撮にしても、今見てもほとんど違和感を感じさせない出来で、原水爆問題や科学における倫理・道徳の問題と言った、未だ極めてアクチュアルな問題を扱った佳作である。

・「ふるさと」(神山征二郎監督) 3.0点(IMDb 8.0)
 暫く前からダムについて調べていたこともあり、ダム建設で湖底に沈む村が舞台の映画ということで見てみたが、加藤嘉や少年(千太郎)役の子供が好演してはいるものの、映画としては平凡な作品。