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 2015年12月1日(火)
 まずは女優・原節子の逝去について触れておきたい(そうこうしているうちに、水木しげるの訃報も飛び込んできた★1)。

《★1 死の直前まで現役の漫画家であった水木しげるの訃報は、欧米や韓国のメディアにおいても原節子のそれに比べて数としては格段に多い。ちなみにフランスのメディアなどでは、漫画家という言葉は日本語をそのままアルファベット表記したMangakaとして用いられている。水木しげる作品に関しては過去にこのブログでも触れたことがある(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502039713.html)》

 

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 と言っても、死の直前までは元気に過ごし、95歳という高齢で大往生したこの女優の死を「惜しむ」つもりはない。わずか40代前半で事実上の引退をした後(★2)、心ないメディアによって隠し撮りされたことはあったものの、50年以上にもわたって一度も公に姿をあらわさなかったこの女優は、そもそも一映画愛好者に過ぎない私にとっては、フィルムのなかでのみ存在した「偶像」でしかなかった。言い換えればそれは肉体を持たない、ひとつの抽象的な存在でしかなかったと言っていい。
 従ってその偶像が現実に肉体を持ち、その肉体が滅びたということを私は実感することが出来ないのである。むろん何歳での死であれ、一人の人間の死という事実はかぎりなく重たい。女優・原節子はこれからも私にとっては映画のなかで生き続けるが、市井の人・会田昌江の死に対しては心から哀悼の意を表したいと思う。

《★2 11月26日の日本経済新聞に載った佐藤忠男の「原節子さんを悼む、演技超えた理知的な美」という追悼記事によれば、彼女ははっきりとした形で「引退宣言などをしたわけではな」かったそうである。そのためか、海外のものも含めた一連の訃報でも、彼女が「事実上の引退」をした年齢が42歳だったり43歳だったりと、一定していないのである。》


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 英国の新聞「The Guardian」を始めとして(http://www.theguardian.com/film/2015/nov/25/setsuko-hara)、海外のメディアも「永遠の処女」と称されたこの女優の死を報じている(なぜかフランスの「Le Monde」には未だに訃報が載っておらず、一方の水木しげるの訃報は大きく報じられている)。欧米の新聞は、各界の著名人の死に際して詳細な死亡記事(obituary)を載せるのが慣習となっているが、この「The Guardian」の記事はその好例だと言っていいだろう。

 

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 個人的に印象深かったのは、同じRonald Berganという(映画関係の追悼記事専門?の)記者によるものだったと思うが、女優の岸田今日子の死亡記事が大きなスチール写真とともに結構なスペースを費やして掲載されているのを目にしたときのことである(http://www.theguardian.com/news/2007/feb/08/guardianobituaries.obituaries。このネット上の記事には当時の写真は掲載されていない。また文中の日本語の映画タイトルに誤記があるのはご愛嬌である)。
 当然日本でも岸田今日子の死は報じられていたのだが、そのobituaryに比べれば単に事実を並べただけの、事務的な雑報のようなものでしかなかった。日本でもアニメ「ムーミン」の声やドラマ「傷だらけの天使」などでの独特な雰囲気を持った演技で知られてはいたものの、私にしても彼女の訃報が海外メディアでそれほど大きな扱いを受けるだろうとは思っていなかったのである。岸田今日子という女優は、安部公房原作の映画「砂の女」によって海の向こうでも重要な存在になっていたのである。

 もちろんそれなりの映画マニアであれば、「砂の女」だけでなく小津安二郎や市川崑、増村保造などの作品における彼女の姿をも思い浮かべたに違いない(上は「砂の女」、下は小津の「秋刀魚の味」より)。

 

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 それに対して原節子の死が海外で大きく報じられるだろうことは、意外なことでもなんでもなかった。一般市民はいざ知らず、世界の映画愛好家にとって彼女はおそらく最も有名な日本人女優の一人であるに違いないからである。私にとって意外だったのは(もっとも十分に「想定内」ではあったが)、むしろその反対に、ここ韓国における原節子の訃報の数の少なさと、その通り一遍な(ほとんど内容がないとも言える)内容だった。そもそも数えるほどしかない死亡記事においては、「つ」という発音が韓国語には存在しないこともあって、名前の表記さえもが「하라 세쓰코=はら・せすこ」と「하라 세츠코=はら・せちゅこ」とバラバラで、統一すらされていない始末なのだった。
 独立後の韓国では日本統治時代の記憶が鮮明で、日本文化に対する警戒心も極めて強く、日本映画は長らく上映が禁じられてきた。加えてもともと古いもの(古典)よりも新しいものをより好む「新しもの好き」の傾向がある(と私は感じている。★3→長いので記事の最後に)こともあって、何十年も前の日本映画に出て来た女優の死に関心を抱いているような人間はほとんどいないのだろう。だから今回の原節子の訃報の取り扱いも、韓国有数の全国紙ですら通信社の記事を掲載しているだけで、一日本人としてよりも一映画愛好者として大いなる落胆を覚えたものである。


 一時は海外においても隆盛を誇った韓国映画界ではあるが、最近の韓国映画はすっかり国内観客向けの内向きなものになりつつあり(もっとも日本映画はそれ以上にそうした傾向が強いが)、100年以上の歴史を持つ映画というジャンルそのものへの関心や愛情という意味では極めて物足りない場所だと言うしかない(もっともこれは映画に限ったことではなく、あれだけ「正しい歴史」なるものを居丈高に他者に向かって訴えるわりには、不思議なほど過去のものを保存したり継承したりすることに消極的なのも、この国の特徴だと言っていいのである。極言するならば、上記の「新しもの好き」にも見て取れるように、この国は「現在」、すなわち「自分たち」にしか興味がなく、その現在の自分を称揚するための道具として、過去の歴史をも恣意的に利用しているに過ぎないと言えるのかも知れない。★4→これも記事の最後に)。

 ここで話は私事に移る。
 小説であれ映画であれ音楽であれ、同時代の作り手の作品をタイムリーに読み/見/聴くことの喜びといったものは、確かにあるのだろうと思う。それは作り手と自分とが同じ時代の空気を吸い、似たような問題意識や葛藤を抱えているからこそ共感・理解しうるものを共有していたからだろうし、よりミーハー的で覗き見趣味的な興味もいくばくか働いているに違いない。良い意味でも悪い意味でも、同時代の作り手に対する関心の持ち方や距離感は、自分の生まれてもいなかった時代に存在した作り手や彼らが作り上げた作品に対するときとは自ずと異なってくるしかないだろう。
 しかし同時にそのことは、作品そのものに相対する上において不純なものをもたさらないとも限らない。一作品を玩味し評価する際、その作り手がどんな人間で、どのような生を送ってきたかといったようなことは、本来的にはむしろ意図的に無視すべきものだろうからである(むろんこれには異論もあるだろうし、作者の実人生についての知識を求めてくるような作品もないではない)。
 村上春樹は「ノルウェイの森」のなかで永沢という登場人物をこんな風に描き出している。

《永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手に取ろうとしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
 「現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」
 「永沢さんはどんな作家が好きなんですか?」と僕は訊ねてみた。
 「バルザック、ダンテ、ジョセフ・コンラッド、ディッケンズ」と彼は即座に答えた。
 「あまり今日性のある作家とはいえないですね」
 「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない(後略)》
 
 もっとも私自身は同時代の作家の作品を読むことを田舎者や俗物の行為だなどと思ってはいないし、死後30年を経た作家の作品しか読まないといった原則を決めて読書をしている訳でもない。むしろ時間や労力をいとわずに同時代の作り手の作品を丹念に追い続けている人たちには敬意すら抱いている。

 ただ私はこの永沢という人物と同じく、単に「人生は短い」と思いながら同時代の作り手に対して目を閉ざしている怠け者に過ぎない。実際、次々と出版・公開される小説や映画を追いかけていたら、それだけで私の短い人生はあっという間に蕩尽されてしまうだろう。ただでさえ私の後ろには、読むべき本や見るべき映画が無数に堆積しているのである。


 そんな私でもそれなりに新刊本や新作映画に注意を向けてはいる。新聞やインターネットの書評や映画評はよくチェックしているし、気になる本や映画はアマゾンやレンタルDVDのほしいものリストやレンタルリストに登録してもいる。たまに日本に戻る機会があれば、そうした本を図書館で借りるなり買うなりするし、DVDをレンタルして見もする。

 しかしある時から、かつてほど新刊本や新作映画を読んだり見たりしたいという欲求はなくなり、以前も書いたことがあるように、もはや私にとって映画とは新作を映画館で見るものではなく、古い作品をDVDやインターネットを通じて自宅で見るものになってしまった。


 文学に関しても、新刊本が出て必ず手にとってみる作家と言えば、いまや村上春樹ひとりになってしまったと言ってもいい(もっとも氏の作品にしても、もはや期待して買い求めているというよりもただ惰性で買い続けていると言った方が正しい)。もう一人の「同時代作家」には大江健三郎がいる(いた)が、今後小説という形式ではもう書かないということなので(そして私は氏の政治的・思想的な発言や批評活動にはほとんど興味がないため)、「最後の小説作品」となるだろう「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」をもって、氏の読者であることも自然と終わってしまった訳である)。そして次々とあらわれてくる新しい書き手たちの作品には、正直もはやなんの興味もなくなってしまったと言うしかないのである。


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 そんな私が最近共感と興味を抱いている映画研究者の一人に春日太一という人がいる(もっともその後、余りに自著の宣伝にかこつけた「ステマ」的な記事が多すぎることと、話は面白いのに文章力の方はかなり劣ることもあり、完全に興味を失ってしまった)。
 この人のことを知ったのは、インターネットでも公開されている「週刊文春」のシネマチャート(http://bunshun.jp/subcategory/%E6%98%A0%E7%94%BB →現在では他の記事と一緒になってしまい、シネマチャートだけをまとめて読むことは出来なくなっている)を毎週楽しみにしていて、同じ連載記事のなかに「木曜邦画劇場」と題するコラムが載っているのに気付いたときのことである。


 この春日太一という人は主に映画史や時代劇を専門としている研究者らしいのだが、このコラムで採り上げられているのも時代劇や往年の日本映画ばかりで(コラムの紹介文にも「新作ばかりが映画じゃない!」とはっきり書かれている)、いつからか私はこの「木曜邦画劇場」も毎週チェックするようになった。
 そして最近、この春日氏が、芸人のサンキュータツオ氏とアニメ監督の宮地昌幸氏とともに映画について語り合う「偏愛映画放談」なる鼎談がYoutube上で公開されているのを知った(https://www.youtube.com/user/nihoneigasenmon/videos)。早速そのなかの黒澤明特集(全11回。ただし基本的に現代劇のみを扱っている)を聞いてみたのだが、彼らのほとんど礼讃に近い黒澤明への評価には必ずしも賛同する訳でないものの(★5)、立て続けにすべて聴き通してしまうほど面白く「熱い」内容だった。

《★5 「偏愛映画放談」では黒澤明晩年の「夢」や「八月の狂詩曲」、「まあだだよ」などもほぼ絶讃一色なのだが、やはり全盛期の黒澤明と比べてしまうと、「影武者」以降「まあだだよ」に至る後期作品は、お世辞にもうまいとも面白いとも思えないのである。黒澤明が偉大な映画作家であることは疑いようがないものの、これら(黒澤明のフィルモグラフィーにおける)標準以下の作品までをも称揚して過度に偶像化することには、正直違和感を覚えるしかないでいる。》


 そして考えてみれば、私にとって新しい作品が公開されれば必ず映画館に行って見る「同時代の映画監督」と呼べるのは、もしかしたら黒澤明くらいだったのではないかということに思い至ったのである(他にも伊丹十三作品もデビュー作から追ってはいたのだが、「あげまん」を見てひどく失望してからは、テレビやビデオで鑑賞するだけになってしまった)。むろん黒澤明の全盛期は、私が生まれる前の1950~60年代であり、大江健三郎の作品に対してもそうだったように、黒澤明の映画に対しても私は「遅れてきた」同時代人でしかなかった。
 私が黒澤作品の新作を映画館に見に行ったのは1980年公開の「影武者」が最初で、以降、1991年公開の「八月の狂詩曲」までは律儀に映画館に通って鑑賞した(ちなみにこの作品は遺作となった「まあだだよ」のひとつ前の作品である。今回の原節子の訃報記事を読んでいて、英語には「最後から2番目」を意味するpenultimateという言葉があることを知った。2番目だけではなく、最後から3番目はantepenultimate、4番目はpreantepenultimate、5番目はpropreantepenultimateと言うそうである)。もっともantepenultimateである「夢」を見たときからさすがの私も老黒澤の演出に疑問を抱きはじめ、最後の「まあだだよ」は予告篇を見ただけでもはや見に行く気がすっかり消え失せ、結局かなり後になってからビデオかテレビで見ただけである。


 

 この鼎談では比較的最近の映画も採り上げていて、これまで私が最も興味深く聞いたのは是枝裕和の「歩いても 歩いても」を採り上げた回である(https://www.youtube.com/watch?v=gIwdLt3uC0I)。というのも最近になってようやく、是枝裕和の現時点でのpenultimateである「そして父になる」を見る機会があったためである。
 この回で春日氏以外の2人は「歩いても 歩いても」をかなり高く評価しているのだが、ひとり春日氏だけは最初から嫌悪感をあらわにして是枝氏そのものをかなり辛辣に批判している。曰く是枝作品には「あざとい」技法が見え見えで、評論家にも受けるような作品をあえて作っている、「さりげなさまでもが作為的に見え」るほどで、その完璧さがかえって「気持ち悪」く「イライラしてくる」というのである。「破綻しているものが好き」だと言う春日氏は、「シナリオ学校で100点を取れる」ような生真面目で破綻のない是枝作品を見ていると「良いCMを見た感じ」がするとまで酷評するのである。もっとも春日氏も是枝氏の力量そのものは認めており、「歩いても 歩いても」は「これから映画監督や脚本家になる人にはテキストになりうる」作品であり、その一見隙のないようなウェルメイドな作品を「素直に受け止められるか、作為的と見るかで評価が変わってくる」と、自身の評価もあくまで好き嫌いの問題でしかないと絶対的な評価は留保している。
 春日氏に勝るとも劣らないだろうひねくれ人間の私も、これまで是枝氏の作品は基本的に苦手で(唯一の例外は「誰も知らない」である)、初めて「歩いても 歩いても」を見た時にも、その出来過ぎた作り物のような世界に大いなる違和感を覚えたことを記憶している。

 


 今回見た「そして父になる」は、しかし違和感などという生半可なものではなく、はっきり嫌いだと言えるような作品だった。一応点数をつけるとするならば、個人的に嫌いな作品ではあっても、5点満点で2.5点程度はつけるべきだとも思うのだが(IMDbでは10点満点で7.8点)、極言すれば0点でもいいくらい「合わない」作品だった。


 これまでの是枝作品には、春日氏の言うように極めてウェルメイドで隙のない作品が多く、まさにそのさりげない「出来過ぎ感」を躊躇なく作ってしまう「保守性」こそが、私のようなひねくれ者の最も気にさわる部分だと言っていい。しかしこの「そして父になる」においては、これまでの「さりげなさ」はむしろ後退しており、あざといまでの作り手の「狙い」や「意図」が過剰なまでに目につき、映画手法として少しも洗練されてはいないのである。
 おそらく本人も十分に自覚しているのだろうが、なによりも登場人物があまりに紋切り型かつ図式的に造型・配置されていて、少しも生身の人間らしさを感じさせない点に違和感を覚えるしかない。是枝作品においてはしばしば子供の演技が自然だと言われるのだが、しかし今作においてはその子供の演技や見た目すらもがわざとらしく、作り物めいて見えるのである。


 さらに映画の主な登場人物である2つの家族が、一方は絵に描いたような見目麗しいエリート一家(ただしそこにも、血のつながりのない人間との絆という主題を補強するために「義理の母親」や「父親との葛藤」といった「伏線」が敷かれ、主人公ひとりが冷血なエリート人間であるという印象を強化するために、妻を庶民的な家庭出身にするといった極めて明示的な「細工」がほどこされてはいる)、他方は金にも貪欲で抜け目のない庶民家庭に設定されているといったあからさまな対比構造にまず呆れるしかないのだが(対立項目をいちいち挙げていけば、金持ちと庶民層、一流会社と自営業、英才教育と放任教育、規律と放縦、家庭(感情)的な冷たさと暖かさ、親子間の距離感(よそよそしさとなれなれしさ)、生真面目さといい加減さ、世間体重視と実利重視、若々しさと老獪さ、容姿端麗とそこそこの見た目、標準語と関西弁、東京と地方(都会的洗練と地方的な泥臭さ)、清潔と不潔、などなど枚挙に遑がない)、さらに加えて「エリート=悪、庶民=善」とでも言うような旧時代的で粗雑な二元的価値観が終始一貫、付与されてもいるのである。
 この対照的な二つの家族が同じ病院で子供を出産をし、その際に子供のすり替えという事態が発生していたことが、両家の子供が小学校に進学するときになってようやく発覚する。この子供取り違え事件には実在のモデルがあって(ただし子供の性別や家庭環境などは映画では変更されている)、奥野修司という人の書いた「ねじれた絆-赤ちゃん取り違え事件の十七年」という著書がこの映画製作の参考文献として挙げられてもいる。


 これまではその計算し尽くされた人物配置や台詞まわしなどが是枝氏の特長であり、高い評価の要因でもあったのだが、この「そして父になる」では上記の人物設定にも顕著なように、対立構造が露骨すぎて、うまさではなく拙劣さがむしろ前面にあらわれてしまっている。エリートの父親役に福山雅治、電気屋を経営する父親役にリリー・フランキーという、これまた如何にも「はまり役」の俳優を持って来たことにも、作り手の「意図」が稚拙なまでに明らかなのである。
 「そして父になる」という題名も極めて直截的で、なによりも社会的な成功を優先させ、(自身の父親への屈折した感情も影響して)心情的に父親になりきれないで来たエリート人間(福山雅治)が、これまで育てて来た子供が実の子ではなく、病院の取り違え(実際には看護婦の意図的なすり替え)によって間違えられた他人の子供であることが分かり、その子を実の親に「返す」という異常事態を通じて初めて父性愛に目覚めるという、極めて予定調和的な「成長物語」が描かれるのである(しかしそもそも父性愛というものが母性愛に比べてより経験的なものであり、往々にしてかなり遅れて生じてくることは、これまでも数多くの人が語ってきた自明なことではないだろうか)。


 とりわけ私が思わず笑ってしまったのは、突然「天から降りて」きた父性愛に突き動かされて、はっきりした説明もしないまま「実の親」のもとに返してしまった「わが子」を福山雅治が訪ねていく挿話である。自分を「棄てた」両親(育ての親)に対する怒りや反撥からか、突然自分のもとにやって来た両親の姿に当惑して逃げていく子供を、福山雅治が追いかけていく結末近い場面である。
 間に並木をはさんで別々の道を歩いていきながら、福山雅治演ずる父親が子供に向かって謝罪をし、家族3人で過ごした6年間の思い出を涙ながらに語る実に「クサい」場面なのだが、これまで自分に対して目立った感情表現を示したことのなかった父親から、謝罪の気持ちと愛情とが発露するさまを目にした子供が自らの怒りをおさめ、「父親」との和解への一歩を踏み出そうとするまさにその時に、それまで2本に分かれていた道が「偶然」のように合流して、親子は抱擁し合うのである。そして彼は父になった、という訳である。


 是枝裕和という映画作家が、これほどまでにベタな「和解」の場面を演出してしまうなどとは想像だにしていなかった私は、困惑を通り越し、呆れ果てて笑い出すしかなかった。それまで醒めきった目でこの作品を見続けながらも、最終的な評価は留保していた私も、この場面を目にするに至って完全にダメ出しをするしかなかった。
 もっともこの作品はお涙頂戴のお話としてはそれなりにうまく出来ていて、題材や内容も私のように性格のひねくれていない人にとっては共感しやすいものでもあり、実際、一般的な評価は極めて高い(これは上記の「歩いても歩いても」も同様である)。私の評価が正反対なのは、単にベタな演出や作為的な作風を好むか好まないかということだけであって、春日太一氏の言うように私がこの映画に対して否定的なのは単に私個人の好みでしかないのだ。


 他に個人的に違和感を覚えたのは、この2つの家庭が、6年間も子供を育ててきたという自分たちの「経験」よりも、血のつながりという生物学的な事実の方をあっさりと選択してしまうその仕方(の描き方)である。そこに当然あるはずの感情的な葛藤はほとんど描かれることがなく、周囲の親戚や知人たちも、子供を取り違えた責任者であるはずの病院の人間ですら、あたかもそれが既成事実であるかのように、「普通は子供を交換するものだ」と双方の両親に告げる(そして両親の側も、結局はその「普通の選択」をあっさりと受け入れてしまうのである)。


 そうした選択の仕方にも、主人公(福山雅治)の家庭環境や、自分の能力を受け継いでいるようには思えない(育ての)子供に対して抱き続けてきた失望などが影響しているように描かれてはいるのだが、その夫とは対照的に「庶民的=人間的」に造型されているはずの妻(尾野真千子)にしても、一人息子(しかももう2人目の子供が望めない体になってしまった状況において)である「育ての子」を交換することへの感情的な葛藤は極めて淡白にしか描かれていない。同じく「庶民的=人間的」なはずの電気屋の夫婦にしても、「育ての子」への愛情を示す挿話が一応描かれてはいるものの、目立った仕方で子供の交換に異議を唱えはしないのだ。
 それもまた感情をストレートには描かないというこの映画作家の演出方法によるところが大きいのかも知れないが、言い換えればこの作品は福山雅治演ずる男が「父親」としての自覚を持つという成長物語でしかなく、子供がすり替えられたという事実も、ちゃんとした説明なしに実の親のもとに戻される2人の子供が直面する不条理も、そして上記の対立構造や家庭環境の描写でさえもが、結局は「感動的な」結末を準備するための材料に過ぎないのである。そしてそうした用意周到ぶりにしては、上に縷々述べてきたようにあちこちに綻びが見え、あからさまな作為が不器用なまでに前面に露出してしまっている。

 今回上記の「偏愛映画放談」で、絶讃と全否定という正反対の評価を聞かされたことから、「歩いても 歩いても」を見直してみる気になった。あくまで「そして父になる」に比べてみればという条件付きではあるものの、この作品を見た印象は意外にもさほど悪いものではなかった。
 春日太一氏のようにひねくれた視点からアラを探そうと思えば、むろんこの作品にも突っ込みどころは満載である。「そして父になる」同様に類型的な人物造型や、極めて自然そうに聞こえながら、しかしこれまた作為に満ちみちた台詞の数々、如何にもフォトジェニックでありながら、現実にはまずありえないような人物や風景の配置(現実的には極めて不自然な場所に人物が立って海を眺めていたりするのだが、そこにはちょうどうまいアングルで歩道橋と海とが画面に写り込んでいて、「それらしい」風景を形作っている)、「小津」的な画面(とりわけ家の奥から2階へあがる階段と玄関口とを同時に画面におさめて撮っているところ)などなど、映画全篇に「さりげなく」散りばめられている「自然さ」という「不自然さ」や、実に収まりのいい「映画的」な風景描写といったものは、この「歩いても 歩いても」においても健在なのである。


 それでも映画の終盤までは、絵に描いたような「理想的な家庭像」にはおさまりきらない「毒」に満ちみちた夫婦(樹木希林と原田芳雄)がもたらす不穏な空気によって、そこに向かって作品が収束していこうとする「調和」が揺さぶられ、作品がどういう方向に向かっていくのか分からないスリル感も感じられる。だが、作中全体を通じて幾度も言及され、「再生」や「救済」といった象徴的な意味を付与されているのだろう「黄色い蝶」が家のなかに紛れ込み、樹木希林演ずる老母が、見知らぬ子供を助けようとして溺れ死んでしまった長男の姿をその蝶に重ね合わせるあたりから、やはりこの作品も予定調和的で観客の感傷を誘うような「分かりやすい」結末に向けて一気に雪崩れ込んで行ってしまうのだ。
 それまでは登場人物たちが交わすさりげない会話によって多くの情報が伝えられてきたにもかかわらず、結末部分になって唐突に主人公(阿部寛)のナレーションによって、父母が相次いで死んでしまい、「息子に自動車に乗せてもらって買い物に行くのが夢だ」という母親の願いを叶えてやれなかったことがあっさりと「説明」されてしまう。しかしそうした情報は、映画の結末部における阿部寛親子が墓参をする場面だけからでも十分に了解されえたはずなのである。にもかかわらず主人公のナレーションという極めて「非・映画的」な方法を、なにゆえに是枝氏が作品の最後の最後で敢えて取ったのかが、私には未だに理解できないでいるのだ。
 見終えた後に精巧な作り物を見せられたという空虚な印象は払拭しきれないものの、しかしこの作品は「そして父になる」ほどには図式的な構造や作為が露骨ではないこともあって、個人的には春日氏ほどの反撥を覚えることなく見られたと言っていい(点数をつけるのであれば、5点満点で3.5点。IMDbでは10点満点で8点)。

 上記の「偏愛映画放談」はすべての回を聞いた訳ではないため、今後も「歩いても 歩いても」の回のような「毒」のある「偏愛(偏憎?)」に満ちみちた春日氏らの「放談」ぶりを楽しみながら、私自身、大いにひねくれた視点から(新作ではなく)往年の映画作品を見続けていきたいと思っている。

★3 と書いていたら、たまたま中央日報日本語版にこんな記事が載っていた(https://japanese.joins.com/article/072/209072.html?servcode=100%C2%A7code=120&cloc=jp)。
【コラム】昔のものより最新式に没頭する韓国社会 2015年11月30日
《短い秋が過ぎ、憎らしい初冬の冷たい風が最後に残った葉を落とす。徳寿宮(トクスグン)の石垣の道でも、大学のキャンパスでも落葉が木の根元へと帰っていく。「サクサク、サクサク」。環境美化員のおじさんたちが落葉をほうきで片づけている。
 韓国に初めに来た時、美しい紅葉が落ちるとすぐに片づけるのを見てとても驚いた。ある秋の日の朝、出勤しながら一度に落ちた葉を踏みしめた思い出が生き生きとよみがえる。まるでやわらかいカーペットの上を歩くような感じだった。ところがその落葉がその日のうちに行方も分からないほど片づけられてしまい、とても残念だった。自然な秋の雰囲気は消え、寂しくてやせこけた道路だけが残り、かなり失望した。
 もちろん雨が降れば落葉のためにすべりやすくて多少不便だが、それでも水にぬれた落葉、そして少し煙たいその匂いがまさに秋の情緒だと思う。ロシアでは落葉を急いで片づけない。ロシアでは韓国とは違いどんなことでも早く処理することをそんなに重要に考えていない。
 一方で韓国の人々は落葉だけでなく、少し古かったり過ぎ去ったりしたものを急いできれいに片づける傾向がある。特に先端の情報通信技術時代に韓国では落葉のように軽く扱われて捨てられてしまうものが多すぎる。店の看板やインテリアはもちろん、携帯電話・自動車・食べ物など何でも新しいものに交換するのに忙しい。
 韓国に来てみると誰もが最新の携帯電話を持っているのを見て驚いた。一度購入したら5年以上は使う外国人とは違う。韓国社会は古くなったものを良くないと考えて何でも最新であることを非常に重要視しているようだ。実際もう少し使ってもかまわないものなどを、なぜ必ず変えなければいけないのか疑問を感じたことが一度や二度ではない。恐らく孔子の思想が根深い韓国社会で、ほかの人々の前に見えるものを重視する文化的な影響ではないのかと推測してみる。若者たちは他人と似たようにするよう推奨している社会の雰囲気から抜け出すために最新の物を購入して自身を差別化したがるのかもしれない。
 韓国に住みながら韓国と日本の社会トレンドに類似点が多いという言葉をしばしば聞く。だが日本に行ってみると日本の人々が最新式よりも長く使えるものを好むという事実を知ることになった。韓日間のこのような差は仏教の寺刹でも確認できる。日本の寺刹に行ってみると、まるで落葉のように建物が古かった。一方で韓国の仏教の寺刹はしばしば色を新しく塗り変えたためか、新しい建物がむしろ不自然だった。
 新しいものをつくり出す創造は良いことであり意味がある。新しいものを追求する努力のおかげで韓国もこれほどまでに発展できた。だが新しいものにばかり執着して昔のものをあまりにも軽くとらえていないか、一度ぐらい考えてみるべき問題だ。毎日新しくなる「日新又日新」も重要だが、昔のことを知って新しいことが分かる「温故知新」の美徳を一度ぐらい考えてみたらどうだろうか。イリーナ・コルグン韓国外国語大学教授(中央SUNDAY第455号)》


★4 いつまでもしつこくて恐縮だが、しばらく前から採り上げてきた朝鮮日報のソヌ・ジョン氏は11月29日付の「誇らしい歴史、恥ずかしい史料」というコラムで、皮肉なのか本心なのかは判然としないが、「当然、韓国の歴史は誇らしい」という表現を用いている。個人的には歴史教科書の国定化を決めた現政権への皮肉だと解釈したいのだが、言うまでもなく誇らしい歴史などというものは存在せず(幻想でしかなく)、単にそれを誇らしいと思う「私」がいるだけでしかない。別段小難しい理屈を述べ立てるつもりはなく、本来、歴史というものはただありのままの事実の集積であって、それを誇らしいと思うのも恥ずべきだと思うのも、受け止め手の勝手な感情であり感傷でしかないというに過ぎない。理想化された「栄光ある歴史」に関しては、かつて芥川龍之介の「金将軍」や武田泰淳の「司馬遷―史記の世界―」を参照しながらこのブログに書いたことがある(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502040553.html)。

《先日、東京都内の書店で「朝鮮王公族-帝国日本の準皇族」という本を見つけた。本の帯には「帝国日本への歪んだ忠誠」という文字と共に写真があった。日本の軍服を着て、日本の皇族の列の端に立つ朝鮮王族3人の姿だ。高宗(朝鮮第26代国王、大韓帝国初代皇帝)の息子・英親王(李垠〈イ・ウン〉)と高宗の孫の李ゴン(イ・ゴン)、李ウ(イ・ウ)が靖国神社で祭祀(さいし)を行う姿だという。この本は、日本による植民地支配時代以降における朝鮮王族26人の人生の流転を取り上げたものだ。ただの嫌韓本だろうと思いながら数ページ読んだところ、多くのの史料に基づき綿密に書かれた本だということが分かった。不愉快ではあったが、そのまま置いていくことはできなかった。
 その前日に東京都千代田区の赤坂プリンスホテル再建現場を見学したのも、この本が手放せない理由だった。2005年にこのホテルのシングルルームで英親王の一人息子、李玖(イ・グ)が死亡しているのが発見された。国が独立状態を保っていれば、皇帝になっていた人物だった。東京特派員をしていた当時、その寂しい最期を取材したが、李玖が亡くなっていた赤坂プリンスホテルは、かつて日王(天皇の韓国での呼称)が与え、父・英親王の東京都内の邸宅「旧李王家邸」があった所でもあるという。朝鮮王の孫だった李玖は生まれた場所で死んだのだ。その数年後、ホテルが取り壊され、建て替えられる際に旧李王家邸も消えるかと思われた。ところが、今回行ってみたところ、その近くに文化財として保存されていた。大金を投じて5000トンもある建物を丸ごと移設したそうだ。
 この本は、「旧李王家邸」のように私たち韓国人が忘れたいと思っていることを思い起こさせた。亡国以降、純宗(朝鮮第27代国王、大韓帝国第2代皇帝)の専属料理人として日本の帝国ホテル初代料理長が赴任したこと。純宗はその専属料理人が作ったフランス料理と日本が送ってくれた優良な乳牛の新鮮な牛乳が好きだったこと。英親王は趣味の蘭栽培が専門家レベルに達していたこと。戦争のさなかでも日本の景勝地で登山やスキーを楽しんでいたこと。伊藤博文が使っていた別荘を譲り受けた代価として、伊藤博文の遺族に当時大金だった12万円を支払ったこと…。この本を読みながら日本の緻密(ちみつ)さに驚いた。植民地時代の朝鮮王族の全体像を書いた「王公族録」、高宗の記録を別に書いた「李太王実録」はもちろん、高宗の実兄の行動を記録した「李熹(イ・ヒ)公実録」、甥(おい)の行動を記録した「李埈(イ・ジュン)公実録」まで編さんしたという。王族が平和に暮らしているから、民も反抗せずにおとなしくしていろという意図だったのだろうか。史料の中には日本が歪曲(わいきょく)・ねつ造した記述もあるだろう。しかし、韓国人が歪曲やねつ造を立証できなければ、その記録は最終的に歴史として残る。
 この本を読んでいて一番胸が痛んだのはそうした点だった。朝鮮が亡びた後だったが、日本は高宗実録や純宗実録を8年かけて製作した。朝鮮の現在はもちろん、過去についても日本帝国史の一環にしようという意図だったのだ。編さんを指揮した人物も日本の学者だった。植民地支配からの解放(日本の終戦)後、韓国人たちは2つの実録を朝鮮王朝実録の一部として認めなかった。日本が書いた歴史を認めたくなかったからだ。そこで著者は主張する。「それならば韓国はなぜ、自ら実録を作らないのか」と。日本がしたこと延々と否定しながら、解放後に新たな史料を発掘して正統性のある実録を作らなかった韓国は理解しがたいということだ。もちろん、1960年代に国史編さん委員会が不十分ながら「高宗時代史」を編さんしたので反論がないわけではない。君主国家でもないのに、過去の王朝の実録編さんが法的に可能なのかという疑問もある。しかし、韓国人でなければ誰も朝鮮王朝実録の空白を埋めてはくれない。
 朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は「誇らしい歴史を正しく教えるべきだ」と言う。当然、韓国の歴史は誇らしい。だが、誇らしい歴史を書くには、まず誇らしい史料を発掘しなければならない。現代史も同じだ。故・金泳三(キム・ヨンサム)大統領在任時に始まった「歴史の立て直し」は、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を経て韓国現代史全体に影響を及ぼした。しかし、だからといって今の政府のように歴史を解釈の見直しをすべきだと食ってかかっているわけではない。まず、史料発掘に人材や資金を投じた。盧武鉉政権時に活動が始まった「真実・和解委員会」の場合、投入された人材は230人、予算は759億ウォン(現在のレートで約81億円)に達した。同委員会がまとめた資料を見ると、解放後の韓国は暗黒の国だった。もちろん恥ずかしい歴史も韓国史の一部だ。史料発掘を通じて悔しさを晴らした国民も多い。しかし、歪曲された部分もあった。朴大統領があれほど憤慨する教科書の左派寄りの主張は、多くの部分でそうした史料に基づいている。帝国主義時代の日本の史料を克服できずに誇りを持って韓国近代史を書くことができないのと同様、左派寄りの史料を克服できずに誇りを持って現代史を書くことはできない。苦労して書いたとしても、権力の流れと共に消えるだろう。
 朴大統領は、学者たちが「誇らしい史料」を発掘できるよう、これまでのどのような支援をし、どのような成果を得てきただろうか。帝国主義時代の日本や過去の政権が総力を挙げ山のように積み上げてきた恥ずかしい史料を、どのように取り除いてきたのか。歴史は解釈の見直しだけで新たに書けるものではない。鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員》

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 この間に読み終えた本は、ドナ・タートの「ひそやかな復讐(The Little Friend)」のみ。
 しかもこの作品の(さして書かれる必然性があるとも思えない)冗長で詳細な描写に作品半ばで辟易してしまい、後半はかなりの駆け足で読み飛ばしたため、精読したとは到底言えない読書だった。
 アメリカ南部を舞台としているということで、フォークナーやフラナリー・オコナー、ハーパー・リー、ウィリアム・スタイロンなどの作品を思い浮かべながら(ちょうど今、マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィン」を読んでいることもあり)大いに期待して読んだのだが、私の抱いているアメリカ南部の雰囲気は最後まで感ずることが出来ず、結局この作品を通じて作者がなにを描こうとしたのかも私にはまったく理解出来ないまま終わってしまった。

 映画の方は、先月開催されていた第16回東京フィルメックスでもデジタル修復された作品が上映された、フランスの映画作家ピエール・エテックスの長短篇作をまとめて見てみた(すべてインターネットでの鑑賞)。→エテックスはその後、2016年10月に87歳で逝去した。→https://www.theguardian.com/film/2016/oct/14/pierre-etaix-obituary
 映画監督、俳優(自身の監督作の他にも、ジャック・タチやフェリーニ、ブレッソン、そして大島渚の「マックス・モン・アムール」などにも出演している)、道化師、そしてイラストレーター(ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」のポスターもエテックスの手になるものである)と多彩な才能を持ったエテックスという映画作家について、正直私はこれまで全く知らなかった。しかし今回、2013年にアメリカの定評あるDVDコレクションであるクライテリオンから出たデジタル修復版のほとんどが(違法アップロードだろうが)インターネット上で鑑賞できることが分かり、見てみることにしたのである(ただし字幕はなし)。
 英語や韓国語同様、仏語の聞き取りは非常に苦手なのだが、無料で配布されている英語字幕を参照しながら(ただし映像とはなかなか噛み合わないため、よく聞き取れない部分だけを適宜参照した)鑑賞してみた。いずれの作品も、後に脚本家として名を成したジャン・クロード・カリエールとの共作である。
・「破局 Rupture (短篇)」3.5点(IMDb 6.9)
 ちいさくまとまっていて面白い作品であるが、最後のオチは極めてブラックで後味が悪く、ヒッチコックやフリッツ・ラングの作品を思わせる。
・「幸福な結婚記念日 Heureux anniversaire (短篇)」4.0点(IMDb 7.3)
 単純な面白さという点では、今回見た中では随一で、全盛期のチャップリンの短篇作品を思い浮かべた。
・「恋する男 Le Soupirant 邦題は「女はコワイです(長篇)」3.0点(IMDb 7.4)
 紆余曲折を経て2人の男女が結ばれるハッピーエンディングで終わると思わせながら、あっさりと男女が別れてしまう、極めてフランス映画らしい作品。
・「ヨーヨー Yoyo (長篇)」3.0点(IMDb 7.7)
 出だしはサイレントで、途中で突然トーキーに切り替わる変わった構成の作品。作中でフェリーニの「道」や「8 1/2」、グルーチョ・マルクス(マルクス兄弟)、チャップリンなどへの目配せがあり、アニメーション的な要素も盛り込まれている楽しい1篇である。犬の扱いなども含めて、後のフランス映画「アーティスト」(ミシェル・アザナヴィシウス監督)にも影響を与えているのかも知れない。
・「健康でさえあれば Tant qu'on a la santé (長篇)」2.5点(IMDb 7.2)
 全4話のオムニバス形式。「吸血鬼ドラキュラ」に取材したよくありがちな「不眠」を始めとして、全体に凡庸な出来。
・「絶好調 En pleine forme (短篇)」 2.5点(IMDb 6.7)
 もともと Tant qu'on a la santé のうちの1作で、後に編集し直されて約40年後の2010年になって初めて公開されたもの。極めて断片的な作品で、オムニバス映画の1篇として見るならまだしも、これだけを独立して見るとまとまりに欠けていて退屈である。
・「大恋愛 Le Grand amour (長篇)」3.5点(IMDb 7.3)
 エテックス夫人であり、著名な道化師一家に生まれ、自らも道化師だった Annie Fratellini との共演作。カラー映像も美しく、個人的にはこの作品が今回見た中では最もまとまった映画作品だと言っていい。若い秘書役を演じた女優 Nicole Calfan の初々しい姿も見ることが出来、エテックスと彼女の乗ったベッドが田園風景のなかを走りまわる夢の場面も楽しい。

・「犬神家の一族」(市川崑監督の遺作である2006年版)2.5点(IMDb 6.5)。
 特にこれといった理由もなく鑑賞(再見)。1976年版に比べてしまうと演出も俳優の演技も格段の違いで、これが市川崑の遺作となったことは実に遺憾でならない(個人的な思い入れを含めてほとんど完璧な映画だと言っても良い1976年版を、なぜわざわざリメイクする必要があったのか、大いなる謎である)。同じ金田一耕助モノの「八つ墓村」(1996年)においてもそうだったが、俳優、特に女優陣の演技がオーバー・アクションで見るに耐えず、「犬神家の一族」や「悪魔の手毬唄」など、初期の金田一耕助シリーズの素晴らしさを再認識させるだけでしかない。
 黒澤明の晩年の作品においても、過去の作品では考えれらなかったような過剰な演技・演出が見られるという点では、市川崑作品と共通しているのだが、果してそれが老監督の感覚の衰えに起因するものなのか、あるいはそうした過剰な演技や演出が現代の映画界で求められているだけなのか、いずれにしてもこれは実に不幸な作品である。