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 2015年3月28日(土)
 今回もしつこく、前回紹介したKBSクラシックのアンケート結果について少し触れてみたい。

 一応韓国のラジオ放送がきっかけにはなっているものの、今回のブログの内容も実質的にはクラシック音楽に関するものであり、韓国に住みながらも、しばらく前からこのブログで採り上げる題材はどんどん韓国と関係のないものばかりになって来てしまっている。
 しかしそれもそのはずで、正直なところ、私は今の韓国にほとんどと言っていいくらい興味がないのである。たまたま縁があって住んでいる場所であるし、今の私にとってはある意味で最適な場所だとも言えるのだが、その理由はと言えば(一見逆説的ではあるが)、この国や地域に関して全く関心がないからなのである。
 日本でも人気がある(あった?)らしい韓国ドラマやKポップスなどのいわゆる「韓流」なるものもほとんど見たことも聴いたこともないし(少しだけ見たり聴いたりして、正直どこが良いのかちっとも理解できなかったためである)、一時期は傑作や佳作が次々と現れて注目していた韓国映画も、その勢いはいつの間にやら終息してしまい(★ もっとも韓国映画だけではなく、続々と作られ続けている映画そのものが、ある時期から私にとってもはやさほど魅力的なものではなくなってきてしまったのだが)、現代・古典問わずに、韓国文学や韓国音楽など文化全般にも関心が向かない。

《★当時私が最も注目していたのはポン・ジュノとイ・チャンドンという2人の監督だったが、ポン・ジュノは若手では他の追随を許さない逸材だと思っていたものの、その後の作品を見続けてきて改めてその全体像を振り返ってみると、「殺人の追憶」一作だけが突出した傑作で、「ほえる犬は噛まない」(原題:フランダースの犬)と「母なる証明」(同:Mother)がそれなりの佳作、そして大ヒットした(らしい)「グエムル―漢江の怪物」(同:怪物)や今のところの最新作である「スノーピアサー」(原題:雪國列車)などは、正直言って見ても見なくても良いような水準だったと思っている(2020年追記。ポン・ジュノはその後「パラサイト」で世界各国の映画祭などを席捲し、カンヌのパルム・ドールのみならずアカデミー賞の主要賞を独占するなど、一気に世界的な「ブレイクスルー」を遂げた。もっとも私は未だに「パラサイト」を見ていないので、その真価の程はよく分かっていない)。
 一方のイ・チャンドンは、「ペパーミント・キャンディー」(同:薄荷飴)や「オアシス」、「ポエトリー アグネスの詩」(同:詩)など、コンスタントに優れた作品を撮り続けてはいるものの、ポン・ジュノと同じくもともと寡作なこともあって2010年以降は新作を発表しておらず、今後もこれまでのような高水準を保ち続けられるかどうか(そもそも今後も映画を撮り続けていくのかどうか)不明である(2020年追記。その後イ・チャンドンは村上春樹の「納屋を焼く」を原作とする「バーニング」を撮り、それなりに評価されたが、個人的には原作の良さを活かしきれていないだけでなく、イ・チャンドンらしくない凡作だと考えている。この異才の人も老いには勝てなかった口だろうか。次作が作られるかどうか分からないものの、挽回を期待したいところである)。

 また、以前このブログでも採り上げた「息もできない」(同:糞蠅)のヤン・イクチュンにも大いに注目していたのだが、この初監督作が余りに高い評価を受けてしまった重圧もあってか、未だに第2作を完成させることが出来ないまま今日に至っている(2020年追記。その後ヤン・イクチュンは俳優として日本映画やドラマにも出演して活躍しているが、監督作は未だに発表されていない。このまま傑作「息もできない」が唯一の監督作に終わってしまうとしたら誠に残念でならない)。》

 

 かつては美味しいと思っていた韓国料理も、今では自分から欲して食べたいとも思わなくなってしまった(実際、最近では外食をほとんどせずに自宅で日本風の食事ばかりしており、たまに外食することがあっても大抵は失望するだけである)。とは言え、むろん私はいわゆる「嫌韓」などではない(はずである)し、出来るだけこの国やこの国の人々について一般論的な判断は避けようとしているつもりなのだが、ただ単純に興味が湧いて来ないというだけなのである。


 ついでに言えば、毎日シコシコ勉強している韓国語にも別に語学として関心がある訳ではなく(そもそも日本語に似すぎているので、日本語が分る人間にとっては異郷の言葉を学ぶという楽しみや意外性の少ない言語であることもその一因である)、ただ韓国に住んでいるから(ついでにいつか収入源に結びつくかも知れないと思って)勉強しているに過ぎない。


 つまりは私はこの場所で「ただ生きている」だけでしかない。言わば水槽の中で魚が口をパクパクさせているようなものである。そしてそれが(皮肉な言い方かも知れないが)今の私には最もふさわしい生き方なのである。
 職業もなく(つまりは定収入がなく)、将来自分たちの生活がどうなっていくのか全く分らない不安定な身としては、出来るだけ無駄なことにお金もエネルギーも使わないで済むことが必須(?)である。例えば此処が(むかしから関心を持ってきた)フランスや英国などであったならば、あるいは食べ物や本、DVDなど無数の誘惑が目の前にちらついて仕方のない日本であったならば、私は今のように外界の動きにほとんど関心を持たず、落ち着いて家の中に静かに閉じこもって韓国語の勉強をしたり、古典文学の世界にのんびり浸っていたりすることなど出来はしなかっただろう。交通費などを別にすれば、食材などを中心に物価は日本よりも高く質も良くないし、感情的で偏見に満ちみちたテレビや新聞などを見たり聴いたりするだけで気分の悪くなる場所ではあるものの、(あくまで「今の私」にとってではあるが)まさに韓国は「ただ生きて」いくには最も都合の良い場所なのである。

 

 自国や自国文化を愛することにかけては人後に落ちない(?)この国の人たちにこんなことをうっかり口にでもしたりしたら、さぞかし大変なことになりかねないので(これは日本でも同じかも知れないが、バリバリの愛国者でなくともムッとはされるだろう)、普段の私はただニコニコと笑顔を浮べて、あたかもこの国やこの国の文化に関心のあるような振りをしているのだが(というより、ただ何も言わずに黙ってニコニコしていると、人々が勝手にそう解釈してくれるようなのだが)、実際のところはこの場所やこの国が好きでもなければ嫌いでもない(おそらくそうした「表と裏」の使い分けが、非日本人には理解しがたい「日本人らしさ」とでもいったものなのかも知れないが)。韓国という場所は私にとって単なる生存の場所でしかなく、言ってしまえば舞台の書割のようなものでしかないのである。
 だからインターネットなどで人のブログなどを覗いていて、韓国が好きで好きでたまらない、とにかく目に入るもの、耳から聞えてくるもの、口に入る食べ物すべてが面白く、楽しく、美味しくて仕方ないというような人たちがいることや、人によっては毎週のようにわざわざ韓国にやって来て、(私から見れば)いつも同じような場所に行き、同じような食べ物を食べ、同じような内容のブログを書いているのを目にしたりすると、何とも訳が分らないというか、全く理解不可能なのである。


 もちろん人の趣味は千差万別であるし、他の人が何を好もうが嫌おうが私に関係することではなく、私があれこれ言う資格などない。それにしても(とついつい余計なことを考えてしまうのだが)、同じ場所をそこまで頻繁に訪れるだけのお金と時間、そして好奇心が有り余っているのであれば、韓国への旅行がどれだけ安いものであったとしても、私ならば3回の韓国旅行の代わりに他のアジア諸国をひとつ巡るなり、10回(あるいは20回?)の韓国旅行の代わりに欧米やアフリカなどを訪れるに違いない。いくら好きなものであっても、そうそうしょっちゅう見たり触れたりしていたら、自然と飽きが来て感動も薄れるものだろう。
 もっとも何かを「猛烈に好き」だというのは(言葉は悪いが)「狂っている」のと同じことで、実際には何も見たり聴いたりしている訳ではないのだろうから、理性などではどうにもならないことを私も過去の自分の経験から理解してはいる。だからこんなことを言うのが「野暮」で意味のないことも承知の上なのだが、無闇やたらと韓国(でも何でもいいのだが)のことを毛嫌いし、軽蔑したりしている人たちと同様に、無闇やたらと韓国(同上)のものを崇めたてたり好んだりしている人たちを見ると、私の中にはただただ大きな懐疑の念が湧き起こってくるだけなのである。
 そしてそんなにこの国のものが好きならば、いっそ住む場所を代わってあげたいと思うくらいなのだが、しかし上記の通り、無職で将来も不安定な私にとっては、今のこうした「周囲の何にも関心がない」状態が必要かつ快適な環境でもあるので、やはり代わってあげることは出来そうにない。


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 閑話休題。
 という言葉は、「面白いはず」の本題を始める前のつまらない無駄話(閑談)を切り上げるという意味なのだろうが、以下に書いていくことになる本題にしても、自分で言うのもなんではあるが、ちっとも面白い訳ではないので、むしろ「閑話継続」とでも言うべきなのかも知れない。とまれ、KBSクラシックのアンケート結果について、個人的に気になったことを以下に幾つか挙げてみたいと思う。



 ①シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」が「室内楽曲」部門で1位、そして「総合」でも27位に入っていること
 私自身、この曲が嫌いだという訳では全くないのだが、「室内楽曲」部門のベスト10に、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲も、モーツァルトの弦楽四重奏曲(あるいは五重奏曲)も入っていないことがまず私には驚きであり(重複している曲も含めて365曲が挙げられている「総合」順位では、さすがに両者の弦楽四重奏曲が何曲かランキング入りしているが)、しかも最上位の3曲を占めているシューベルトの室内楽曲のうち、最上位がこの「アルペジョーネ・ソナタ」であることはやはり意外な結果だった。
 以下でも書いているように、この曲も何かの映画やドラマに使われでもしたために、今回たまたま上位に登場することになったのかも知れないとも思ったのだが、今のところそうした事実は確認できていない(あるいは私が知らないだけで、この曲は一般的にもそれだけ人気のある曲なのだろうか?)。
 私であれば、やはり上位にはベートーヴェンかモーツァルトの弦楽四重奏曲(あるいは五重奏曲)を入れるだろうし、シューベルトでも今回第3位に入っている「弦楽四重奏曲第14番(死と乙女)」や「弦楽四重奏曲第15番」などを選ぶだろう。


 

 しかし改めてリストを細かく見てみると、「総合」では同じ113位に入っているブラームスの「弦楽六重奏曲1番」と「ハンガリー舞曲5番」が、「室内楽曲」部門のリスト上では5位と6位に分かれてしまっている。同様に、「総合」138位に入っているシューマンの「ピアノ四重奏曲」やベートーヴェンの「大公」、同じくベートーヴェンの「チェロ・ソナタ3番」、モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」が、「室内楽曲」部門ではそれぞれ9位と10位に分かれてしまっている(実は138位には「室内楽曲」8位のドヴォルザークの「アメリカ」も入っているのだが、こちらは「総合」でも118位にも二重でランキングしており、そのためか、他の「総合」138位の曲よりも上位にランクされている)。
 しかもこの138位には、ベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第14番」も入っているのだが、なぜか「室内楽曲」部門のベスト10からは洩れてしまっている。「総合」と「室内楽曲」とで票数が変わる訳でもないだろうし(それとも変わるのだろうか?)、同じ113位や138位にランクしている曲の間に、実際には微妙な票数の差があるということも考えづらい(そもそも誤差があるのなら、順位が変わってくるはずである)。
 それとも「総合」の票数は小数点以下切捨て(そもそも小数点以下という票数がありうるのかどうか分らないのだが)で、部門別の票数は小数点以下も考慮してランキングを決めるといった、順位決定方法の違いがあったりするのだろうか?
 ますますもってこのランキングの信憑性に疑問を持たないではいられなくなったのだが、前回も書いた通り、こんなことを未だに気にし続けているのは韓国広しと言えども私くらいのものだろう。なによりこれ以上細かく調べてもなんのメリットもなく、単なる時間の無駄でしかないので、他の部門のランキングと「総合」との比較はあえて行わないようにしたい→と言いながらも、結局気になって「声楽曲」部門だけ見てみたが、やはり「総合」の順位との不整合が幾つも見つかった。

 


 

 ②「交響曲」部門の上位には順当なものが揃っているが(?)、12位にマーラーの交響曲第2番「復活」が入っている(「総合」では32位)
 これは放送当日、「交響曲」部門の発表を担当していた音楽評論家だったか演奏家だったかも、予想外の結果で驚いたというようなことを言っていたように、単に私がマーラーという作曲家が余り得意ではないこともあるが、思いのほか上位にランクされているという印象を持った(もっとも少し調べてみたら、この曲はコンサートで採り上げられる機会も非常に多く、むしろマーラーの交響曲の中でもかなり人気の高い曲らしいことが分った。そこで改めて家にあるCDで聴き直してみたのだが、やはり私には未だによく理解できない音楽だったとしか言いようがない)。
 交響曲はクラシック音楽の代表的存在と言っても良く、また名曲と称される曲が多いこともあってどの曲を選ぶかは悩みどころだが、もしあえてマーラーから選ぶとしたならば(もっとも上記の通り私はこの作曲家の作品が得意ではないので、なにを書こうとまったく説得力もないし参考にもならないのだが)、やはり今回の上位リストに入っている第1番、第5番、第9番のいずれか、部分的には最も好きだとも言える第6番、実質的には9番目の交響曲である「大地の歌」あたりを選ぶことになると思う(ただし残りの交響曲については、何度聴いてもその良さが分らず、最後まで聴き通せないことすらあるので、そもそもなにも語る資格がないのだが……)。
 個人的な好みから言えば、「交響曲」部門にはブラームスかベートーヴェン、モーツァルトあたりから選ぶことになるだろうが、そもそも私はマーラーに限らず、交響曲というジャンル自体が余り得意な方ではなく、シベリウスやブルックナー、シューマン、チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク、ベルリオーズ、ショスタコーヴィチなど有名どころの交響曲すら余り聴くことがなく、ちゃんと評価することが出来ないのである。



 

 ③声楽曲の第1位にシューベルトの「冬の旅」(韓国では一般に「겨울 나그네=冬の旅人」と称するようである。★★)が選ばれたこと
 本当のところこの選曲は少しも意外ではないし、私も大好きな曲なのではあるが、あの暗~く感傷的な歌が最上位に来るというのが、如何にも韓国らしいなと思ったので挙げてみた。韓国の一般的な見方からすれば不感症とも思われかねない私のような無表情、無感動、無感情の人間からすると、この国は感情(表現)が過多だと思えることが多く、まさにこうした感傷的な音楽がよく似合うと思われるのである。
 個人的に選ぶのであれば、「宗教曲」というカテゴリーがよりふさわしい気がするものの、今回のリストでは歌唱を中心とする作品をまとめて「歌曲」に分類しているのでその方法に従うが、バッハの「マタイ受難曲」は絶対に外せないし、やはり「歌曲」というよりは「オペラ」に分類した方が良いと思われるのだが、モーツァルトの「フィガロの結婚」をまず挙げることになるだろう。

《★★むかしアン・ソンギ(安聖基 안성기)とイ・ミスク(李美淑 이미숙)主演で「冬の旅人」という映画があったのだが(1986年公開)、この題名がシューベルトの歌曲から来ているだろうことに今回初めて気付いた》

 ④映画の影響
 「管弦楽曲」部門3位に挙げられたショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」などは、まず間違いなく映画の中で使われたことで上位に入ったのだろうと推測される。私が知っているだけでも、韓国映画「カル」(原題「Tell me something ★★★」)とスタンリー・キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」があり、最近でもあのラース・フォン・トリアーの(いつものように物議を醸している)「ニンフォマニアック」でも使用されていたようである。
 他にもラフマニノフの「ピアノ協奏曲」(2番&3番)やベートーヴェンの「交響曲第7番」、同じくベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番 皇帝」なども、そうでなくても上位に来ていただろう人気曲ではあるものの、「英国王のスピーチ」や「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」などの映画の影響も小さいとは言えないだろう。

《★★★ハングル表記の原題は「텔 미 썸딩」(テル・ミ・ソムティン、あるいはソムディン)》


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 ⑤マイ・ベスト
 好んで聴きはするものの、決してクラシック音楽に造詣が深い訳でも幅広い知識がある訳でもない私が、無知を顧みずに(私の知っている極めて限られたクラシック音楽の中から)作曲家1人あたり1曲に限定して、5曲を選んでみるとすると、以下のような選択になるだろう(順不同)。

 バッハ「マタイ受難曲」
 モーツァルト「フィガロの結婚」
 ブラームス「交響曲第4番」
 ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番」
 ワグナー「ニーベルングの指環」


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 例えば世界文学のベスト作品を選ぶ場合でも、どうせなら「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」といった大長篇作品を選びたくなるのと同様、クラシック音楽の場合にも、規模が大きく様々な音楽的要素を含んでいるオペラ作品や宗教曲を選びたくなってしまう。もっともブラームスは交響曲1番にしようかと最後まで迷ったし、ベートーヴェンにしても果して弦楽四重奏曲でいいのか、弦楽四重奏曲の中でも他の曲(例えば「大フーガ」付きの第13番)でなくていいのかどうか悩みもした。

 

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 上にも書いたように「マタイ受難曲」は絶対に外せないとして、では果してバッハの音楽をこの1曲に代表させてしまっていいのか悩むところであるし、「ニーベルングの指環」は音楽的な側面のみならず文学的な意味からも、そして作品の規模からしても傑出した作品だとは思うものの、果して生きている間にこの曲を改めて全曲通して聴き通すことがあるかどうか正直よく分らず、そのような作品をベスト作品に選んでしまっていいのかも疑問である。
 もちろんモーツァルトにしてもブラームスにしても、好きな曲を一々挙げていったら5曲などでは到底足りはしないのである。
 そこで上記の他にも、作曲家をダブらせないという前提条件を維持しつつ、思いつきで他の選択肢も試みに挙げてみるとすると、

《交響曲》シューベルト「ザ・グレート交響曲」(こういう書き方をするとなんだか間抜けだが★★★★)
《協奏曲》ヴィヴァルディ「フルート協奏曲集」
《室内楽曲》ラヴェル「弦楽四重奏曲」
《独奏曲》ドビュッシー「前奏曲集」
《声楽曲》ペルゴレージ「スターバト・マーテル」
《管弦楽曲》チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」

 

 といった曲が思い浮かぶが、しかし此処でもやはり、シューベルトは「楽興の時」や「即興曲」、ピアノ・ソナタ(例えば19番や21番)は外してもいいのか、歌曲集やミサ曲を挙げないでもいいのかなどと悩み、室内楽曲でもフランクの「弦楽四重奏曲」か「ヴァイオリン・ソナタ」、あるいはプーランクの「フルート・ソナタ」でも良いのではないかなどと迷うのである。名作揃いのフォーレの室内楽曲も棄てがたい。

《★★★★かつては第8番が「未完成」、第9番が「ザ・グレート」となっていたはずだが、その後の研究によって最近では番号が入れ替わっているようなので、あえて番号は書かなかった。他の作曲家の作品でも、作品番号と作曲の順番が食い違っている場合は結構あるが(ベートーヴェンの弦楽四重奏曲やショパンのピアノ協奏曲などなど)、所詮こうした番号は便宜的なものなのだから、いちいち修正しないで欲しいと個人的には思っている。
 例えばベートーヴェンの「第9」交響曲が実は8番目の交響曲だったと分ったところで、今更「第8」に変えたりするのだろうか(もっとも「ダイク」=この合唱付きの交響曲というような呼び方をしているのはもしかしたら日本だけなのかも知れないけれども、これが「ダイハチ」になってしまったとしたら、曲自体は同じでその素晴らしさに変りがないとしても、なんとなくありがたみ(?)が減じてしまうような気がしないでもない)。》



 協奏曲にしても、例えばチャイコフスキーやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲や、ハイドンやエルガーのチェロ協奏曲、ショパンのピアノ協奏曲などなど、色々と思いつく作品はあるのだが、どれも余りにまっとうな選択すぎて選ぶのをためらってしまう。試みに上に挙げたヴィヴァルディでも、他に「調和の霊感」などの有名曲もあり、どれを選んでいいか迷ってしまって結局選べなくなってしまうだけである。
 ドビュッシーのピアノ曲では「子供の領分」や「ベルガマスク組曲」、「映像」なども捨てがたいし、弦楽四重奏曲や管弦楽曲、メーテルリンクの戯曲によるオペラ「ペレアスとメリザンド」も忘れる訳にはいかない。

 


 声楽曲(というより宗教曲)でも、パレストリーナの「ソロモンの雅歌」やフォーレの「レクイエム」、ヴィヴァルディの「スターバト・マーテル」などのことが気にかかっているし、余り詳しいとは言えないので上には挙げなかったものの、オペラや歌曲にも好きな曲は少くないのではあるが……(後日追記。歌曲ではマーラーの「さすらう若人の歌」を挙げておきたい)。


 

 

 ともあれ、3回に分けて採り上げてきたKBSクラシックのアンケートについて採り上げるのは、一応今回でおしまいにしたいと思う。

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 いつも通りの個人的な記録としてこの間に読み終えた本を記載しておくと、大江健三郎の「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」、ジェイン・オースティン「高慢と偏見」(ちくま文庫版)、そしていつも実に面白い本を紹介してくれる英国の知人お勧めのドナ・タート「シークレット・ヒストリー」の3作品である。そして途中で読むのを諦めたホメーロスの「イーリアス」(岩波文庫新版)。


 先年「The Goldfinch」によってピュリッツァー賞(フィクション部門)を受賞したドナ・タートのデビュー作「シークレット・ヒストリー」には、古代ギリシャ語の教授とその教え子たちが主要人物として登場するのだが、作中で触れられるギリシャ古典に非常に興味を覚え、長らく積ん読となっていたホメーロスを読むことにしてみたのである。
 しかしいざ読み始めてみると、ひどく覚えづらい登場人物(や神)の名前が頻出し、個人的に大して関心を持てないアカイア(ギリシャ)とトロイア間の戦闘場面が延々と続くのにすっかり辟易して、全体の半分を少し超えたあたりであえなく挫折してしまった。
 読み始めたからにはなんとか最後まで読もうとも思ったのだが、途中からただ単に文字を目で追っているだけの読書になってしまい、最後まで読み終えたとしても「本当に読んだ」とはとても言えないような漫然として読み方だったため、思い切って読むのをやめ、改めていつかまた挑戦してみることにした訳である。


 今はやはり長い間積ん読になっていたロジェ・マルタン・デュ・ガールの大作「チボー家の人々」を読み始めたところで、同時に(「イーリアス」の挫折に懲りもせずに)ホメーロスの「オデュッセイア」を並行して読んでいるところである。
 さらに語学の勉強のために韓国語の小説も読んでいるが、これについては(暫く前にも書いたように)いずれ別に採り上げる予定である。